05. 動き出す陰謀
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寒さは日々、増していく年越しまであと二ヶ月ほどの頃のこと。
確実に体温を奪っていく気候の中、千鶴はいつもと同じく新選組の屯所で炊事を行っていた。
この寒空の下、巡察から戻ってきた隊士たちが少しでも温まればいいということで、夕餉に用意しているのは鍋だ。
さまざまな野菜を入れて、塩と醤油で味付けしていく。
江戸出身の者が多い幹部連中に合わせて、江戸風の風味になるように調整していく中、千鶴はふと悴んだ手をかまどの前に翳した。
「ふぅ……。今日も冷えるなぁ」
みなさんは大丈夫だろうか、なんて思いつつ少しだけ脳裏を過る昨日の光景―――。
寒い中、稽古をつけるために境内に出ていた沖田、永倉、斎藤。
なんとなく傍で彼らの様子を眺めていた時、ふいに近付いてきた、北見 藍人。
差し出してくれた羽織りには、千鶴を不安にさせる存在が仕掛けられていた。
「紙……」
巷で噂になっている“紙が人を成し、人を斬る”という辻斬り。
実際、彼女も斎藤と現場に出くわし、目の前で紙との斬り合いを目撃している。
人の形をした紙が化け、斬れない存在となり、斎藤を襲おうとした場面は脳裏に焼きついたままだった。
そんな“紙”が、北見 藍人の懐から現れて、千鶴に暗示をかけるように響かせた声。
一体、何が狙いなのだろう。
いや、一体彼は誰なのだろう。
「(北見 藍人さん……。誰とも被らないけれど、誰とも似ているあの空気は……―――)」
怖い。
率直に述べると、彼には苦手意識というよりも、恐怖心の方が勝っていた。
ぐつぐつと煮込まれる鍋の前で、思考を巡らせる千鶴。
ぼーっと考え事をしていたのもあるが、背後から近寄ってくる気配に、彼女は気付くことが出来なかった。
「雪村さん、あまり煮込むと鍋から溢れますよ」
気配なく、耳元で聞こえた声。
バッと警戒し、振り返ると……―――。
「!?」
そこには、頭を悩ませる理由となっていた“彼”の存在―――北見 藍人が立っている。
三日月さながらの円を描く口唇。
全身を駆け抜けた恐怖心が、彼女の足を背後へと導いた。
そのせいでかまどの端に置いてあったまな板と包丁が引っくり返り―――
「きゃあ……!? 痛ッ」
千鶴の左手の甲を傷つけて、血を溢れさせる結果となった。
「大丈夫ですか?」
「……っ」
「驚かせるつもりはなかったんだけれど。ごめんよ」
しりもちをついて、左手を押さえた千鶴に不吉な笑みを消さない藍人。
わざとでないと分かっていても、消えない“逃げ出したい”という気持ち。
藍人が屈んで千鶴と目を合わせると同時に―――千鶴の手の傷はゆっくりと、だが確実に止血し痕を消していく。
彼女の小さな悲鳴と、物が盛大にひっくり返る音を聞いて、誰かがバタバタと駆けつけてくる音が聞こえた。
「雪村くん……!?」
勝手場の角から急いで顔を出したのは、もう一人の夕食当番である山崎だった。
さらに遠方から、もう一つの足音がバタバタと響いてくる。
「切ったのか。すぐに手当てを」
「へ、平気です」
駆け寄り、彼女を庇う山崎を冷たい笑みで見つめながら、藍人は佇んでいた。
山崎は即座に彼を睨み上げて、問う。
「北見 藍人。なぜ君がここに居るんだ」
「雪村さんをお手伝いしようと思いまして」
「……」
「いらぬお世話でしたでしょうか?」
淡々と答える彼。
張りつけた嫌味の笑顔はそのままに彼は立ちあがり、山崎を見下ろす。
「すごいですね、雪村さん。もう血が止まってますよ」
「……っ」
藍人が、山崎の背後にいる小さき彼女の手を見つめて、囁いた。
千鶴の瞳が揺れる。
不吉に告げられた言葉は、千鶴の秘密を指していた。
「よかったですね。深い傷ではなくて」
見るからに溢れた血の量は、少ないとは言えない。
だが、彼が言ってのけた言葉に山崎が声を荒げた。
これが深手でないと言えるものか、と。
「北見。まさか雪村くんに……!」
「やだな、それは言いがかりですよ。山崎さん」
向けられた視線。
禍々しいものを見つめるような冷たい瞳。
底光りする奥には、確信が秘められていることをまだ誰も知らない。
「彼女が勝手にこけて、怪我しただけじゃないですか」
幕が上がるまであと僅か。
歴史上に語られなかった、新選組を巻き込んだもう一つの物語が……―――。
第五幕
動き出す陰謀
「千鶴!」
藍人が冷たい視線を残して、勝手場を去ってからすぐのこと。
遠方で響いていた、もう一つの足音の主が勝手場に駆けこんできた。
山崎よりも勢いのある彼は、悲鳴を聞きつけてやってきてくれたのだと思うと心配をかけてしまったと思う。
「大丈夫か!? すごい音したぞ!」
「平助くん……」
山崎に手を握られ、手当をされているところに駆けこんできた平助。
長い髪を揺らし、肩を荒げる彼が千鶴の手を見つめて驚愕する。
「お、おいその手……!」
「大丈夫だよ! ちょっと切っちゃっただけだから」
苦笑いで返すも、そのあとの平助はギャアギャアと声を上げ続けた。
それを聞いて、他の幹部や近藤、土方が勝手場に顔を揃えたのは言うまでもない。
騒動の収集がついたのは夕餉を終えた時だった。
膳を片付けながら、千鶴は自分で分かっていた。
痛みは消えた。
血ももう完全に止まっただろう。
明日になれば、確実に傷跡は消えているはずだ。
幹部や、周りの者を騙しているようで気分はよくなかったが、そのまま包帯をして過ごすことにする。
だが、痛みが消えても消えない、あの北見 藍人の笑み。
「……っ」
言い放たれた言葉も、態度も、不用意に近付いてくる彼にも、恐怖心を抱いてしまう。
彼に悪気がないのだとしたら、それは酷いことだと自覚している分、千鶴は更に追い込まれていった。
そんな彼女を、きちんと理解していたのは多くはなかっただろう。
だが、一人もいないわけではなかった。
「山崎、斎藤」
膳が下げ終わり、各々自室へと戻ろうとする中、土方は監察方である山崎を呼び止める。
同じく間を置かず、戸の付近にいた斎藤にも声をかけた。
同時に土方の方へと視線を向ける二人に、土方は厳しい面持ちで告げる。
「ちょっといいか」
「はい」
返事を返し、そのまま土方の部屋へと案内された二人。
腕を組み、寒さを堪えるように裾に手を突っ込みながら、お呼びがかからなかった沖田はそれを見送った。
「へぇ」
なんとなく不審に思いつつ、沖田は視線を向けただけで口を挟むことはしなかった。
―――土方の部屋に案内され、腰を下ろすように促された山崎と斎藤は、副長の方へと居直る。
土方は廊下に誰もいないことを確認し、声を沈めて切り出した。
「お前らに頼みがある」
改まった彼の態度に、山崎は眉間に皺を少し寄せ、斎藤は目を伏せ、動じずに一度頷き返した。
確認した土方は、小さく息を吸ったあとで、口を開く。
「北見 藍人」
「……――」
「特に目立った行動はしてねぇし、新選組に仇をなすようなこともしてねぇ。が、どうもアイツの動向は不穏だ」
土方が静かに告げる言葉は、先程の山崎が感じたこと。
そして斎藤も境内でのやり取りで思い当たる節があった。
「そこでだ、山崎。北見 藍人の素性をもう一度洗い浚い調べてくれ」
だから監察方である自分が呼ばれたのか、と山崎は頷く。
「どんな手を使ってでもいい。北見の情報を一つでも多く手に入れてくれ」
「わかりました」
「斎藤。お前は千鶴の傍になるべくいるようにしてくれ」
「雪村の……?」