39. 雨宿し
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元治元年 八月末。
梅雨が明け、蒸し暑い日々が訪れた。
頬を流れる汗、照りつける日差し、そして男達の掛け声。
全てが熱気を呼び起こす。
「まったく。よく本気になっているものです」
京から東北へ進んだ地、美濃国。
ここは、今は亡き北見 藍人が頭首となる前、修練を積んだ地とされていた。
ど田舎の避暑が出来る風情ある宿。
水色の髪を靡かせて、男は煙管の灰を叩き出す。
流した視線の先には、大きな道場が見えた。
「すぐに根を上げるかと思いましたが……」
くすり、と微笑み男……―――水無月は切ない表情へ変わる。
この男、本来であれば京の程近い場所にいるはずなのだけれど、今は訳あり、美濃国まで訪れていた。
「菖蒲は元気でいるでしょうか……」
自分がここにいる意味よりも、京にいるであろう一人の娘のことを案じてしまう。
水無月がここにいる理由は、まさに視線の先にある道場の中にあった。
「烏丸にはお願いしてありますが、元気であることを祈るだけです」
再び肺へと送り込む煙。
傍らに置いていた西瓜は、既に完食してあり、種だけが綺麗に残されていた。
手持無沙汰なので、次は何の甘味を頼もうかと考えて品書きのを見ていたがしばらく眺めたのち黙って置くことにした。
「ここに居続けると、私が太りますね」
早く終わらせてほしいものです。
そう続け、再び熱気漂う道場の入口を見つめる。
事の発端は、約一月前。
茜凪が風間の里の屋敷に入り込んだことから始まった。
―――………
――………
――……
「俺は妖の相手などしている暇はない。さっさと帰れ」
「まぁまぁ風間。まだ来たばっかじゃねーか」
「貴様が招き入れたも同然だろう」
見事、不知火の存在のおかげで屋敷に潜り込むことに成功した茜凪。
茜凪がここへ来た理由はもちろん、強くなり、藍人の死に対する謎を全て解き明かす為。
そこで、藍人が力を認めていた人物から教えを乞おうと思ったのだ。
彼から直接力を認めるような発言を聞いたのは、沖田 総司。
そして鬼である風間 千景だけだった。
その他大勢を社交辞令として言葉を述べることがあっても、本心で藍人が認めていたのはこの二人だけな気がする。
人間に現段階で教えを乞うのは気が引けた。
あくまでそれが、自分が憧れた右差しの背中であるのならば話は別であったけれど。
なので遥々京から足を運び、この薩摩までやってきたのだ。
「兄様……―――北見 藍人が力を認めていたのは、風間家の頭領だと聞きました。ですから、どうか私に剣術や武術を……!」
「くどい。俺に頼らずとも強くなる手段はいくらでもあろう。帰れ」
「でも……っ」
ここで引き下がっちゃいけないと思った。
藍人が認めた彼から教えてもらえるならば、きっと自分は強くなれる。
そう信じていた。
違う、過信していた。
「天霧。どうにかしろ、捨てて来い」
「風間。さすがにそれは」
「私、藍人の死について分からないことが沢山あるんです!どうしても知らなきゃいけない……だから、だから風間様に強くしていただきたいんです!」
正直、不知火からしてみれば“なんで風間なんだ”としか思えなかった。
だが、茜凪がここまで必死に食いついているのも初めて見る。
力になりたいとは思ったが……―――。
「“強くしてほしい”だと?」
不知火が口を挟む前に、風間が言葉を投げやった。
どうやら、先の一言が彼に響いたようだ。
悪い意味で。
「貴様、強くなるために自ら努力はしたのか」
「え」
「人に頼みこみ、強くしてほしいだと?ましてやこの俺に……。頭が高いにもほどがある。身の程を弁えろ」
「……っ」
「風間……」
これは、頭領としての風間の言葉だった。
いつもの自分勝手で我儘な彼のままだったけれど、言葉の一つ一つの中に重責を抱える者の責任が見えた気がした。
「本当に至りたい理由があるならば、俺に頼みこまずとも自ら時間を費やし、身を賭して強くなろうとするはずだ」
「……―――」
「何もない状態から十を欲しがるなど幼子にでも出来る」
赤い瞳が、茜凪の翡翠色を鋭く射抜いた。
まるで、試しているかのように。
「己で五を手にして見せろ。足りぬ部分を補うために強者に頼むことがまだ懸命であろう」
「―――」
「自らの力を使う前に、全てを貰えると思うな。欲しいものは力ずくでも手に入れるべきだ」
それが、彼女を動かす。
前へ、前へ。
一人でも進めるように。
「どこかの流派の免許でも取って来い。後に至らぬ部分を欲するのなら、考えてやらんでもない」
「オイオイ風間、免許って……」
「出来るのならばな」
「風間、些か無理難題なのでは?」
「本気ならば出来るだろう」
人に教えを乞うなど、言っている場合じゃないはずだ。
「……―――」
本気であるならば。
「分かりました」
それから、茜凪の修行は始まったのだ。
第三十九章
雨宿し
「ありがとうございました…!」
朝、陽が昇る前から稽古の仕度を始め。
日没と共に稽古が終わる。
その後、月が天高く上るまで茜凪の一人稽古は続く。
実質、彼女が休む暇など殆ど無かった。
「いてて……」
道場から帰る道。
自分の掌を見つめながら、茜凪は出来た肉刺に溜息を零した。
動きにくい袴を引きずりながら、水無月が待っているであろう宿へと足を向ける。
さすがに女のまま入門を希望したんじゃ、潔く迎え入れられることはないと思い、免許を取るまでの間は男装をすることに決め込む。
元から可愛いものやお洒落なものが好きだった茜凪からすれば、男装は一種の我慢であった。
それも本気だからこそ、乗り越えるべきもの。
「水無月、もうご飯食べちゃったかな……」
水無月は、事を知った烏丸から“心配だからついててやってくれ”と頼まれて美濃まで一緒にきてくれたのだ。
烏丸が来てもよかったそうだが、今一族の内輪揉めが起きているらしく、天狗として彼は手が離せないらしい。
四国出身の彼が頑張って足を伸ばし、妖の体力で一日で往復できるのは京が限界だそうだ。
代わりに水無月が茜凪に付き、京にいる菖蒲には烏丸が付いててやることになった。
「ただいま」
「あぁ、おかえりなさい」
やはり、予想していた通り。
宿へと戻れば水無月は食事を終えていて晩酌まで楽しんでいる。
「茜凪。少し体を休めてはどうです?そろそろ本気で倒れますよ」
「大丈夫です。ご飯食べたら稽古に戻ります」
水無月が頼んだ手のついていない残りを少し口にする。
肉刺はまだ少し痛かったけれど、こんなもんで立ち止まってられるか。
ただただ自分に鞭を打ち続けた。
「烏丸から連絡は?」
「ありましたよ。特に変わったことはないそうです」
「そっか」
「今のところは、ですけどね」
烏丸の一族の方も大丈夫なのだろうか。なんて思いつつ、茜凪は味噌握りを口に詰め込んだ。
かきこむようにして傍らについていた茄子のつけものも口に含み、最後に味噌汁を一気に飲み込む。
「もう少し落ち着いて食べてはどうですか。はしたない」
「時間がもったいないんです」
「そんなに急いだところで免許は逃げませんよ」
水無月がついに思っていたことを口にしたが、そこで思わぬ返事が戻ってきた。
それは、風間の一言が発端で思うようになったのかもしれない。
はたまた、彼女の単なる成長か。
「免許は逃げずとも、藍人を殺した犯人は逃げてしまうかもしれません」
ごちそうさまでした、と告げ、着替えもせずに出ていく茜凪。
袴が歩きにくいことには変わりないのに、着替える時間すら惜しいのか。
「愚直というより、バカなのでしょうかね」
呆れというよりかは、ひねくれた応援をしつつ、水無月は笑うのだった。