38. 憧れとともに
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茜凪が目を覚ましてから、数日が経過した。
妖は人と違い、寿命が長い。
人と怪我が治る速さも違い、生命力の源になる妖力のおかげで人よりは速く、鬼よりは遅いという立ち位置だ。
傷口も治ってしまえば怪我なんてどうってこともなかった。
だが、今回の刀傷は治るまで時間がかかりそうだ。
「………」
鬼のように、すぐ怪我が回復するのならば今すぐにでも痛みを忘れられるのに。
“この痛みを忘れればきっと、いたみもひいていく”。
「そうだったらいいけど……きっとそんなことない」
体の怪我が癒えたとしても、心のいたみが癒えるのは、きっとずっと先。
癒えることもないかもしれない。
肉を抉る音、笑み、声、血の匂い、全部が焼き付いて忘れられない。
忘れることを許さない。
まるで朧の里が滅んだ時のように。
「“忘れてはいけないよ”……」
藍人に出逢った日、そう言われたことを覚えている。
痛みすら背負って、歩けというのだろうか。
茜凪の問いかけは誰にされるでもなく、虚を裂いた。
「痛すぎる……」
痛くて、重くて、辛い。
こんなもの、持って先に進めない。
でも……―――。
「………」
脳裏に過る、藍人の逞しい背中。
そして、もう一つ。
強くて、優しい白と黒の背中。
「もし、わたしが強ければ……」
第三十八幕
憧れとともに
茜凪が目覚めてからしばらくして、その場にいた者全てに話がされた。
まず、藍人が死んだことは間違いないということ。
茜凪の目撃からというのも勿論であるが、一番の証拠は彼が操っていた式神が全て息絶えたこと。
藍人は以前から“役に立つように”ということで北見の里の至る所に式神を召喚していた。
それは菖蒲のところにでもあるし、風間の里にもあったらしい。
不知火と烏丸の下にも数枚あり、主に雑用などをしてくれていた。
だが藍人の死後、その式神たちはただの紙へと姿を戻し、二度と息を吹き返すことはなかった。
藍人が死んだことには間違いない。
しかし、謎が残されていた。
誰が藍人を殺したのか、ということ。
そして…―――。
「死体は無かった」
「え?」
「あぁ。俺達が茜凪を見つけた時、その場に骸は無かった」
茜凪を発見し、助けてくれたのは烏丸と不知火だったらしい。
すぐに応急処置をした後、きちんと手当てが出来る水無月を呼び出したそうだが……。
茜凪が倒れていた現場には、致死量の血と彼女しか残されておらず、肝心の藍人の亡骸は既に無かったそうだ。
「どうして……誰が持ち去ったの……?」
「さぁな」
「現段階では、そこまで辿りつけません」
水無月が溜息混じりに零し、説明を続ける。
「茜凪。あなたが見た敵のことを教えていただけますか?」
「はい」
記憶を呼び戻しあの日、藍人が戦っていた男のことを思い出す。
会話の内容は途切れ途切れで、恐怖で忘れたものもあれば、単に聞きとれなかったものもある。
「容姿は白髪の赤い瞳をしてて……鬼みたいに強かったです」
「!」
「それから浅葱色の羽織りを着てて、刀は右手で扱ってました」
「そりゃ侍は普通右構えだろ」
不知火から出て来た言葉に、茜凪は不服そうに頬を膨らませて睨んでしまう。
当時の茜凪にとって、武士の基準はいつかの小夜に出逢った男だ。
あの残像が目に焼き付いているからだろう。
「羽織りですか……」
重むろに零した水無月の瞳は、何かを悟ったようだった。
しかし、決定打に欠けるようで続きを口にすることは無かった。
「妖の藍人と殺り合うんだ。敵さんは鬼か妖って見るのが妥当だろーなァ」
「鬼か妖って、藍人は他人に怨まれるようなことしてたか!?」
烏丸が前のめりになって、藍人を庇うような言い草を示す。
しかし不知火は飄々と告げた。
「山ほどあるだろ。アイツ人の神経逆なでするような言動多かっただろーが」
「う……」
「それに、極めつけは人間の娘としか婚姻は結ばない。だろ?そりゃ大老あたりに恨まれても、何も言えないゼ」
「そ、それは……」
「でも大老は北見のお家柄を守りたいはずです。わざわざ頭領とされるほど強かった藍人を殺すんですか?」
茜凪の読みに、烏丸は“そうだそうだ”と言い返す。
己の反論がうまくいかなかったせいもあるだろうが、再び前のめりで言い張った。
「同じ一族とも考えられますが、可能性は低いというのが筋でしょう」
「てことは、他の一族から恨まれてたってことか?」
そこで茜凪は思い出す。
「妖界を滅ぼす……」
「は?」
「藍人の会話の中に、“妖界を滅ぼす”って言葉が出て来た気がします」
「……」
「相手に向けて、そんなことさせないみたいな発言を兄様がしていて……」
すると、水無月は確信したように目を伏せた。
「(ですが、証拠もなく、相手の動きも明確に見えないままここで告げるのは得策ではありませんね。彼女たちを混乱させるだけ……)」
心中でそう呟き、彼は目をあげる。
「この件は水無月家、烏丸家で調べることとしましょう」
「……」
「もちろん、北見の家は黙っていても動くでしょうから」
「わ、わたしにも調べさせてください!」
烏丸と水無月が調べるということに、茜凪も挙手して名をあげたが、水無月は即座に首を振った。
「いいえ、茜凪。せめて貴女は怪我を治してから動くべきです」
「……っ」
「さぁ、部屋へお戻りなさい。後ほど、温かいお茶をお持ちしますから」
「水無月さん、でもわたし……!」
何かしたい。
何かしていないと、心が裂けそうだった。
命を一つ、自分のせいで奪ってしまったなんて。
「言い訳は無用です。早くお戻りなさい」
烏丸に付き添わせ、水無月の問答無用な動きに茜凪は引き下がるしかなかった。
そして、冒頭に戻る。
一人残された部屋で、茜凪はただただ涙を流すだけの日々。
烏丸は傍にいてやると言い張ったが、茜凪が無言の拒否を示していた。
下手な慰めや、傷の舐め合いはよくないと幼いながらに理解していたのだろう。
そうしているうちに約束通り、水無月が部屋へとやってくる。
「お待たせしました、茜凪」
「べつに頼んでいません……」
「素直ではありませんね。ほら、お飲みなさい」
「……」
「話が長くなるので」
そう言われ、初めて面をあげる。
長髪の男は、水色の髪を靡かせて茜凪の前に腰かけた。
「話ってなんの……」
「体に障ると思い、怪我が癒えてからがいいと思いましたが……。貴女が鏡を見て、事実を知った時の方が辛いかと思いまして」
「え……?」
流れが読めないまま、茜凪は首を傾げる。
すると音もなく水無月が近付いてきて、白い夜着の襟を掴み、左肩を肌蹴させた。
胸が見える前で勿論止めて鎖骨の下、心臓の上にある模様を見せる。
「これ……」
最期の瞬間に見た、藍人の腕にあった模様と同じものだった。
「相手の妖力を封じる、術の一つです」
「妖力を封じる……?」
「呪いの一種ですよ。関ヶ原の時代に禁忌とされ、使うことを禁止されたものです」
「………っ、わたし、どうなるの?」
そんな禁忌が、どうして今?
視線で問えば、水無月は言い聞かせるようにして告げる。
「私は、貴女の“本来”の妖としての姿を見たことがありません」
「……」
「人と同じ姿で人間の世界に紛れこむ私たちにとって、妖の本来の姿は力を増幅させます。その力を封じる妖術がです」
とん、と模様を指され、茜凪は顔を困惑させる。
「貴女は、元から本来の姿に戻る方法を両親に教わる前に一人になってしまったのでしょう。姿を妖本来のものにする、方法はご存知ですか?」
「いえ……知らないです」
「やはり。だとすると、今の貴女からすれば支障はないかもしれません。今後、今よりも妖力を扱い武の道を行くなら話は別ですが」
だが、水無月の厳しい表情は消えなかった。
「古来より、北見、多々良、そして春霞は妖の中では最強と謳われてきました。その中で三位と言われていたのが、貴女の一族である、春霞です」
「……」
「しかし、春霞は力の差が激しい一族。同じ民でも、北見より勝るものもいれば、私に劣る妖もいる」
つまり、と言い水無月は問うた。
「血筋で別れるんです。強さというものが」
「純血とそうでないか、ということですか?」
「そう、よく出来ました」
妹を可愛がるように、水無月は目を細めて笑う。
「貴女は純血の春霞の娘だ。本来の姿に戻れば、今や日本にいるどの妖よりも強い。これは間違いありません」
「わたしが……?」
「ですが、今回の藍人を襲った犯人は、貴女が春霞の者であると理解し、仕留め損ねた時の予防にこれを付けたに違いありません」
胸に現れている模様が、不気味に見えてしまい、仕方なかった。
「貴女が生きていると分かれば藍人を殺した犯人を探す上で、貴女に危険が生じます」
「構いません。むしろわたしを使っておびき寄せられるなら……」
「それは許しません。藍人は貴女を守るために戦ったのだろうに、貴女が命を懸けて失敗でもしたらどうするのですか」
それでなくても、今の茜凪は武術のひとつも身につけていないのに。と水無月が続けてしまい、言葉も出てこなかった。
「茜凪、姓を変えなさい。貴女が生きていることが分かれば、敵は必ず貴女を狙うでしょう」
「姓を……?」
「えぇ。幸い、容姿に変化が出ているので、その目の色なら姓さえ変えてしまえば逃げ切れるでしょう」
「え…?」