36. 靡く白、纏う黒
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目の前に現れた男。
白を靡かせ黒を纏い、戦う構えは異例の左。
その背中は、後にも先にも茜凪を惹きつける唯一の男となる。
「……―――」
疾風の如き速さで敵を薙ぎ払い、傷一つ負わず、息一つ乱さずに男は全てを片付け終える。
深夜の市中、人気のない裏通りでの出来事。
「右……差し……」
それは、男の掲げられた意志だ。
貫かれる誠の想い。
この背に出逢わなければ、茜凪は後に来る藍人との悲痛な別れをただ悲観しただ嘆き、被害者として終わらせただろう。
覆ったのは、この男がいたから。
男―――斎藤がいなければ、彼女は剣を手に取ることもなかった。
「怪我はないか」
「ッ!!!」
菖蒲以外の人間と会話をしたことなんてない。
この男が必ずしもいい人間だとは思えなかったけれど、響いた声に逆らうことも出来ない。
ただただ……深い瞳を見つめていた。
「(読めない……)」
直感能力は働かなかった。
何を考えているのかも、何者なのかも分からない。
ただ、強いということは嫌でも分かった。
藍人とは違う、剣を手にした時に放たれるものが彼は桁違いだったと思う。
「どうした。どこか痛めたのか?」
「あ……ち、が……」
一歩踏み出され、思わず後退すれば相手の男は足を止めてくれた。
無理に近付こうとは思っていない辺りが、今思えば斎藤の優しさだった。
茜凪がどうしようか迷っている間に、男の方から静かな口調で嗜めてくる。
「年端もいかぬ娘がこんな真夜中に何をしている。浪士に狙われても文句など言えぬぞ」
「……、はい……」
「これ以上の一人歩きは危険だ。送ろう」
「え……だ、だいじょうぶです……!」
斎藤の好意の一言だったが、茜凪は大きく再び後ずさった。
本当は甘えたい気持ちに全てを懸けたかった。
再び浪士に絡まれたら、このような僥倖はもうないだろう。
安心して帰れるならば願わずにはいられない。
しかし、山奥まで見知らぬ男を連れていくなんて出来ないのだ。
まず北見の領域に藍人の許可なく人間を連れて行ったらただで済むとは思わなかった。
危険な目に遭うのは、茜凪じゃない。
この男―――斎藤である。
「だが、」
「す、すぐそこなので……!へいきです……!」
言い訳をするしかなかった。
顔をあげ、詫びだけ入れようと思った刹那、パチリとその瞳に目が合う。
意識的じゃなかった分、心臓が跳ねた。
真っ直ぐすぎる瞳。
痛いくらい伝わる思い。
剣にかけられた何かが人並み外れていた。
視線が逸らせずに、頬が熱くなった気がする。
「……っ」
お礼なんて言えなかった。
人間の男に出逢い、言葉を交わしたことも初めてで。
人間にこんなに綺麗で、真っ直ぐな瞳を宿した者がいるなんて。
どんな妖よりも綺麗じゃないか。
―――考えれば考えるほど、逃げ出したくなってしまった。
「待て」
「わ……ッ」
駆けだそうと踵を返した茜凪だったが、その行為は男の腕に阻止された。
振り返り顔を見上げれば、男は真っ直ぐな目をしていて。
「足袋だけで帰るつもりか」
「あ……」
鼻緒が切れてしまい、足から転げ落ちた草鞋。
片足だけが足袋のままだったことに気付き、どうしようかと視線を泳がせる。
だが茜凪が動く前に男が転がっていた草鞋を取り、手持ちの手拭いを切り破って鼻緒に宛がう。
応急処置として作られた草鞋は走っても北見の屋敷まで持ちそうだった。
「怪我をする。履いて行け」
「……っ」
顔の熱は最後の最後まで引くことがなかった。
ちゃんとお礼が出来なかった。
思春期独特の異性に対する感情か、はたまた相手が彼だからか。
単なる人見知りか、知らぬ相手に無様な格好を見られた恥ずかしさからか。
わからない。
ただその場に居続けることが苦しくて、勢いに任せて走り出してしまった。
男は追いかけてくることもなく、茜凪の歩幅で駆けていくのを見えなくなるまで見守ってくれていたと思う。
草鞋を履いてからは、息が切れるまで走り抜けた。
顔も見ず、お礼も出来ず、先程まで浪士に襲われていたことも忘れていた。
ただただ脳裏に残ったのは、あの男との出逢い。
忘れるはずもない。
白を靡かせ、黒を纏う。
強い、強い、憧れの背となった。
第三十六幕
靡く白、纏う黒
「ったく、少しは反省しろよな」
明けた日の朝。
烏丸にお説教を喰らっていた茜凪だったけれど、頭はずっと別のことを考えていた。
昨日、息が切れるまで京の市中から山へと向かってひた走り、北見の入口まで自力で戻ってきた茜凪。
烏丸が心配して探していたようで、随分と手間をかけさせたらしい。
烏丸は笑ってはいたけれど、突如姿を消して飛び出していった茜凪にそれなりに叱責の言葉をぶつけていた。
しかし、当の本人が話を右から左で聞いているので、まったくもって意味がない。
「おーい、茜凪。俺の話聞いてんのか?」
「はい……」
「聞いてないだろ」
「はい……」
「はぁ~〜……。何、どしたんだよ?」
いかにも異様過ぎる彼女の姿を見てられなくなった烏丸は、仕方なく向き直り、茜凪の話を聞いてやろうとしていた。
茜凪は烏丸の言葉に顔を向け、今日初めて目を合わせた。
「なんかあったのか?」
少しむくれて、困ったような悩むような仕草。
ますます首を傾げるしかない烏丸は、とりあえず続きを待ってみた。
すると暫くの間を置いてから、茜凪がついに口を開く。
「昨日、右差しのお侍様に出逢いました」
「侍? 沖田 総司みたいな?」
「誰ですか? そのお方」
まさか烏丸から人物名が出てくるとは思わなかったのだろう。
烏丸は逸れてしまった話題を修正する気もなく、えっへん!と胸を張った。
「知らないのか?お前、ずっと藍人と一緒にいたのに?」
「えっと・・・…?」
“知らない”と返す前に、一応記憶の中を探ってみた。
おきた。
オキタ。
置田?
沖田?
しかし、それらしき人物は思い当たらない。
一体誰なのだと視線で返せば、次の言葉で明らかとなる。
「藍人がよく言ってた、多摩のぼろ道場の天才剣客だよ!」
「えっと……たしか試衛館……?」
「そ!あいつ、上洛してきてるんだぜ」
烏丸がどこか嬉しそうに話すので、この会っていない期間に何かがあったのだと悟る。
よく見れば、あれだけ興味がないと言っていた剣術にも興味を示したのか。
左腰には武士である象徴とも言える刀が。
「なんかそいつらが京に留まって、市中の見回りとか始めたらしいんだ。もしかしたらお前が出逢ったのって、総司じゃないのか?」
そうか、見回りをしていた人だったのか。なんて納得をしつつ、茜凪は烏丸に男の特徴を伝えた。
「その沖田さんって、右差しのお侍さまですか?」
「右差し? 武士は普通、左に刀を差すだろ」
「わたしが見たのは、右差しの左構えのお侍さまです」
「なんだそれ? 総司は右差しなんかじゃないぞ……?」
“じゃあ、誰だ?”なんて、とっくの昔に茜凪が出逢った男を沖田 総司と決めつけていた烏丸が不満そうにブツブツ呟く。
茜凪がそこからは思ったように口にしていた。
「とても強くて、優しいお侍さまでした……」
「へぇ」
「左に構えられた剣も、目も、強さにも迷いがなくて……。まっすぐで……」
「……」
「すごく、すごく強かったです」
そこまで聞いてしまえば、今度は烏丸が黙る番だった。
あれだけ強い藍人が傍にいたのに、藍人や誰かに対して“強い”と口にしたことが無かった彼女。
そんな彼女が告げた“強い”という人物。
素直に、烏丸も出逢ってみたいと願ってしまった。
「お前がそんなに言うなんて、珍しいな」
「え?」
「だって、藍人に対してだってそんな風に言うことないのに」
「兄様は強いんでしょうけど……。でもあの人には、兄様にはない強さというか、志というか……」
「そいつの情報は? お前の純血の直感なら、何かしら手に入れたんだろ?」
「いえ、何にも感じ取れなくて……」