35. 右差しの背中
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季節は巡り、文久三年 冬。
小さな隠れ家へと拠点を移して随分と経ったある日。
ついに記憶の中の茜凪たちの周囲が動き始めることとなる。
血から導き出された、彼らの記憶を目の当たりにする新選組、そして千鶴。
その中で出逢ったのは、一人の男だった……。
第三十五幕
右差しの背中
外で降る雪を見上げていた。
格段に寒くなった最近は、火鉢がないと流石の妖も辛い毎日だ。
雪解けを待つ一方、このまま永遠と銀世界の中にいたいという願望もどこからか生まれてくる。
白い世界を見つめながら、茜凪は目を伏せていた。
「茜凪!」
「!」
背後から声がしたと思えば懐かしく、でも聞き慣れた声より低くなった―――大人になった証拠を見せつけられる。
振り返れば、そこにいた男は荒くれ者の姿や面影はどこにもなかった。
「烏丸くん……?」
「久しぶりだな!水無月の里に届け物した帰りに寄ってみたんだ」
明るく元気な面持ちと、対人関係において“笑って接すれば、誰からも恐れられない”という点を理解した彼、烏丸だった。
実に会うのは久しぶりで、相手の妖の成長速度が垣間見える。
対して茜凪はやはり以前と同じお子様の姿なので、どことなくむくれてしまった。
「ど、どうしたんだよ……。なんでむくれてんの?」
「べつになんでもないです……」
ぷいっとそっぽを向きつつ、大人になった烏丸を見つめていた。
烏丸も、茜凪の一族の成長が極端であることは知っていた。
子供の姿から大人になるまで、他の妖と同じ期間を要するが……大人になるまでの時間は急だ。
わずか二年ほどで成長する彼女と、人間と同じくゆっくり成長する烏丸。
茜凪がその事実を気にしているのも知っていたので、彼は敢えて何も告げなかった。
「にしても寒いなー。とりあえず、風呂借りてっていいか?」
「いいけど、藍人兄様は今不在だよ?寄ってってもいないけれど……」
ここのところ、藍人は京の屋敷を留守にすることが多かった。
何をしているのかも教えてくれないし、もちろん聞いたところで無駄というのも分かっている。
菖蒲は小料理屋に働きに出ているから、ここに戻ってくるのは夕方以降になるだろう。
つまり、この北見の別敷にいるのは茜凪と、藍人を慕い、徐所に移動してきた北見家の者だけ。
烏丸が藍人に会うことも目的としているなら残念な悲報であろう。
「いいんだよ、別に」
だが、彼はあっさりと悲報を受け入れる。
「藍人が戻ってくるまで待つつもりだし、何よりお前に会いたいって思ってたしな」
「……」
傍から聞けば、愛の告白に類似しているように思えたが、烏丸も茜凪もどちらかと言えば恋路には疎かった。
だからこそお互いに何とも思っていないらしい。
「ありがとうございます」
最近の藍人の不在は尋常じゃなく長かった。
戻ってきてても、菖蒲と藍人の時間を邪魔なんてしたくない。
あの二人には幸せになってほしい。
だからこそ、茜凪の相手は必然的に朝焼けだったり、昼間の空だったり、夕焼けや夜空になる。
口を利ける者だと藍人を待っている菖蒲だけであり―――寂しさを感じていた茜凪からしてみれば―――烏丸の存在は素直に嬉しかった。
「そうと決まれば、風呂のあとは歌留多しようぜ!俺、この前水無月の奴に教え込まれたんだよッ」
賑やかな烏丸の声に、だんだんと寂しさが薄れていく。
自然と笑みが溢れて、彼の隣を並んで歩いた。
身長差は歴然で、まるで兄と妹のようになっていたけれどそれすら、今は気にしない。
久々の再会と、話し相手が出来たことが嬉しくて仕方なかった。
―――しかし、その笑みは次の怒号で掻き消されることとなる。
「ふざけるなッッ!!!!」
飛びかった怒鳴り声は、びくりと茜凪の肩を跳ねさせ烏丸の動きを止める。
離れの方なので、あそこは純血や大老などしか近付けない場所になっていたので更に“どうして?”という疑惑が湧いてきた。
烏丸と頷き合い、声がする方へと身を潜めながら近付く。
更に飛び交う声は、北見家の大老の声であった。
「一族を抜けるだと!?藍人貴様、言っている意味がわかっておるのか!」
「え……」
さすがに声が漏れた。
盗み聞きがばれると立場が危ういので床下に潜み、烏丸と耳を立てる。
大老が発した声は二人に動揺を伝え、隠せないほどになった。
漏れそうになる声に烏丸に口を塞がれ、二人は様子を見ながら次の会話を待った。
「あぁ。よく理解してるよ」
「藍人、お前は一族の頭領なのだぞ。たかが人間の娘と婚姻を結びたいという理由で頭首を降り、里すら抜けられると思っておるのか」
「はい」
「はい、じゃない!」
ダンッ!と強く机が叩かれ、更に部屋の言い争いは激しくなっていく。
「人間の娘と婚姻など……ッ!仮にもお前は純血の妖・式神師なのだ。純血の頭首でなければまだしも、お前には一族を背負ってもらう責任がある!」
「そうだ、こやつの言う通りじゃ。何より、藍人。お前には許嫁がおるだろう!」
「その件ですが、翁たち。俺は多々良の者と祝言をあげるつもりなんてありませんよ」
「まだそんなことを……!」
「何度も告げているはずです」
烏丸や、ずっと一緒にいた茜凪ですら話の内容についていけない。
だが、頭上でのやり取りは止まることを知らなかった。
「多々良の者とは、確かにより良い関係を築いていきたいと思っています。でも俺が愛してるのは菖蒲だけだ」
「人間などという下等な奴らと婚姻を結ぶ純血だと!?前代未聞だぞッ」
飛び出した言葉を聞いていた藍人は、それに反感を抱いたらしい。
「お言葉ですが翁……――最初から人間を“下等”と決めつけるなら、それはただの世間知らずですよ」
「何!?」
「多摩のおんぼろ道場から出て来た農家の田舎者が、今は京で将軍のために仕えようとしている時代です」
「は?」
いきなり話が飛んだので、大老たちは目をぱちくりさせる。
「身分もない、農民の血を継いだ者が中心となり、格差のない武士の世を広げようとしている。元はただの小さな道場主が、懸命に心の中にある“何か”を守ろうとしている」
「……」
「彼らには世を覆し、己の意志を貫ける強さがある。そんな懸命な者を“下等な奴ら”と言い、純血だのなんだと、体裁をよく見せるための結婚を望むあんたらに、俺は与するつもりはない」
「藍人……ッ」
「これは決めたことだ。俺は多々良とは婚姻は結ばない。頭首も下りる。古臭いやり方を共に貫くつもりもない」
カタ、と誰かが動く足音がする。
恐らく、藍人がここから出ていくつもりなのだろう。
「多々良の使いである、影法師。すまぬが、そちらの姫君にはそう伝えてくれ」
「……」
「俺はこれで失礼するよ」
タンタン、と足取り軽くその場を去る藍人。
大老の言葉には未だ困惑と苛立ちが見え隠れしていた。
しばらく様子を見て、烏丸と茜凪は気づかれる前に床下を抜け出すことにする……。
話を聞いていたのが発覚すれば次期頭首の烏丸も、養女として扱われていた茜凪も首が飛ぶかもしれない。
「藍人の奴、一族を抜けるって……」
「なんで……」
いつか、人間である菖蒲と藍人が結ばれればいいと思っていた。
もちろん、そのいつかは必ず来るものだと信じていた。
だから一族の翁や妖のやり方を貫く者たちがいることも、反対されることも忘れていた。
菖蒲と藍人は祝福され、必ず幸せになる。
出逢った時からそう信じていた。
そうなるものだと思っていた。
夢と希望が奪われた心持ちになる。
そして藍人が里を出ていくということも信じ難い。
誰もが幸せになれて、違いを認め合える妖界がくればいいのに……―――。
「…ッ」
「あ、おい茜凪!」
気付いたら、茜凪は飛び出していた。
床下を抜けだして、ただただひた走ることに集中した。
「兄様……っ!」