34. 彼らと人と
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第三十四幕
彼らと人と
「あ、あの……僕そろそろお暇したいんだけれど」
「そんなケチくさいこと言うなって」
「で、でも、素振りして明日の稽古に備えたいんだ……」
「いやいや、お前稽古なんてしなくても十分強いじゃ痛ってェェェ!!!!」
「か、烏丸くん動かないでください…!」
「フフフ。随分と賑やかなことですね」
藍人に道場の見学に誘われた日の夕方。
帰宅しようとしていた狛神を捕まえて、烏丸は色々と話を聞こうとしていた。
その横で茜凪はいそいそと烏丸の喧嘩傷の手当てを続けていく。
途中で手拭いが頬の傷を深くつついてしまったそうで、会話に悲鳴が入り混じる。
見事に捕まってしまった狛神は、茜凪と同様小さくなりながら烏丸の横に座っていた。
夕暮れ時の中庭の庭園はとても綺麗で幻想的。
三人の後ろ姿をみつつ、煙管を吹かし続けた水無月は笑みを浮かべる。
「痛ってえな!もっと優しさ込めろって!」
「優しさって、優しくしてたつもりなのですが……」
「痛いもんは痛いんだよ!」
「ひ、昼間は“もう痛みなんて感じない”って言ったじゃないですか」
「あれは言葉のあやだ!言葉のあや!」
突然話しかけて来たかと思えば、突然隣に座り込み手当てを始めた二人を見て、狛神と呼ばれる少年はさぞかし困っただろう。
目をぱちくりさせつつ、どうしたらいいのか考えているようだ。
「と、ところでお二人は誰なんですか……?」
これまた今の毒舌とは思えないような内気な少年―――狛神が、傷の手当てをしてもらっている烏丸に尋ねる。
すると烏丸は“あー”なんて続けてから、言葉を止めた。
この流れで言えば、自己紹介をしなければならないからだ。
“烏丸”とは呼ばれていたから、名字は知っているだろうが、下の名前まで名乗るのはさすがに気が引ける。
迷っていたところで、助け舟を出したのは―――あわあわと惑っていた茜凪ではなく、意外な―――水無月だった。
「狛神。彼は烏丸の次期頭首ですよ」
「烏丸の次期頭首って、“あの”凛さん?」
「オイ、あのってどーゆー意味だ!」
再び喧嘩をふっかけようとしている烏丸を、茜凪が懸命に腕を引っ張り留める。
脅えた表情を見せるかと思えば、狛神は意外と瞬きだけを返した。
「狛神家だと有名ですよ。次期烏丸家の頭首は、百年に一度の逸材じゃないかって。とても強いと聞いています」
「べ、別にそんなんじゃないけど……」
「烏丸くんはただ喧嘩ばっかりしてるから、乱暴者って印象が間違って“強い”って伝わってしまっただけじゃなくて?」
「うるさいぞ茜凪!」
腕をパシパシ叩きながら茜凪に反論する烏丸。
狛神は続いて、隣にいる少女の瞳も見詰めた。
数年後の彼女が瞳に宿している色とは違う―――“茜色”の茜凪の瞳を。
「あなたは……?」
「茜凪といいます。よろしくお願いします、狛神さん」
「茜凪さん、ですか。姓は?」
「狛神」
茜凪が名乗ろうとした時。
それを制したのは、またもや水無月。
今となって彼が口を挟む理由は、恐らく藍人が気を利かしていたからだろう。
狛神にも、誰にも、彼女の正体が容易くばれないように……―――。
「そろそろ本当にお暇してはいかがですか?藍人と明日も稽古するのでしょう」
「あ、はい」
「長居が祟れば、明日の稽古に支障が出ますよ」
水無月に釘を刺されて、狛神はその場から立ち上がる。
烏丸と茜凪がそれを見上げて、名前の通りの琥珀色の瞳を見つめた。
「それじゃあ、僕は行きますね」
「あ、もう行くのかよ…せっかく北見の奴の話、聞きたかったのに」
「藍人さんのことを?」
水無月が帰路につきつつ、足を再び止めてしまった狛神に溜息をつく。
だが、藍人のこととなると狛神は誰にも譲れないようだった。
烏丸が続ける。
「北見の奴、三頭の頭領だろ?だから、どれだけ強いのか知りたかったんだ」
「藍人さんは凄いですよ!!!」
“藍人のことを知りたい”
そう口にした瞬間、今度は狛神から“もっと話したい”という空気が滲み始める。
水無月が諦めに似た息を吐き出せば、会話は誰にも止められなかった。
「藍人さんはとにかく強いんです!美濃の国に修行に一人で行かれて、唯心一刀流という流派の免許皆伝をお持ちになられているのです!しかも!その脚はどんな妖よりも速く、江戸に行くのに一日とかからないのですよ!」
「お、おぉ……」
「烏丸さん、江戸の多摩にある“試衛館”という道場はご存知ですか?そこに今、藍人さんが憧れを抱かれている天才剣客がいらっしゃるらしいのですが、これまた田舎道場のわりにはとんでもない男らしくて、僕はいつか藍人さんと共にその試衛館の剣客に会いに行くのが夢なんです!」
「そ、そうなのか……」
「その剣客は僕たちよりも年上なのですが、藍人さんが“凄い”というくらいですから、本物の武士と言えるのでしょう!だってあの藍人さんが認めてらっしゃるのですから!知ってますか?藍人さんは剣術も優れてますが、式神師としての実力もやはり一族で一番で、尊敬できるところばかりなのです!だから僕の憧れは藍人さんなんです!いつか僕も藍人さんと同じくらい強くなって、妖界のために力を尽くしたいんです!」
「そ、そりゃ偉大なこ―――「それから、藍人さんには恋仲の女性がいらっしゃるんですけれど、」
弾丸の速度で飛び交う会話に、烏丸が“本当にあの大人しかった狛神か?”と疑う視線を茜凪に向ける。
だが、茜凪もそんな狛神の会話を笑って聞いているのだった。
真剣に聞けば聞くほど、藍人が本当に凄い人物などだと実感できる。
いつもヘラヘラしていて、歪んでいるにも関わらず誰からも慕われる彼。
しかし、ふとそこで気がついたのは狛神の口から出て来た存在の名前だった。
「へぇ。北見の奴、恋人なんているんだ」
「はい、人間の可愛らしい娘さんです」
「ふーん、人間ね」
「はい」
そうなんだ……なんて思いつつ、なんとなーく流して聞いていた二人。
先程から口を挟まずに会話に耳を澄ましていた茜凪も、さすがにそこには声をあげた。
継いだ言葉は見事に烏丸と被る。
「「人間!?」」
「はい。京の都の町娘です」
「こら狛神。いい加減にしなさいな」
“あまり話すと、藍人が困るだろう”と続ける水無月。
制止の声を飛ばしただけあって、水無月は驚きもしなかった。
「に、人間ってマジかよ……!?」
烏丸は唖然としてしまっている。
鬼と同様に妖にも、人間と関わることは好ましく思われていない。
もちろん同じ日本に住んでいる以上、最低限の関わりは持つものだろう。
しかし、それ以上はあまりいい顔をされるものではなかった。
政に関わることは禁忌とされているし、人間の歴史に異痕を残すようなことをしてはならない。
それは古くからの決まりであり、そして今も破られることは許されない決まりだ。
つまり、人間と関わること自体が良くない印象を持っているにも関わらず、藍人はそれを蹴っ飛ばしているということ。
妖の世界を統べる者と言っても過言じゃない彼が、そんな真似をしては示しがつかない。
自覚は出来ているようで、水無月が悩ましげに頭を抱えていた。
「兄様、恋人なんていらっしゃったんだ……」
「しかも人間って……」
いいのかよ、なんて思いつつ烏丸が顔をしかめたが、狛神は素直に笑っていた。
「でも藍人さんが風間家と協力して、鬼の世と妖界に平和を齎してくれれば、暗黙の了解も改正されるかもしれませんよ?」
「人間と関わる世をつくるってことか?北見の奴」
「藍人さんが関わってきている人間は、お話を聞いている限りでは悪い人たちではありませんし……」
狛神が少しだけ苛立ちを見せつつ、烏丸に言い返す。
「人間に関わるなって言われているのは、関ヶ原の一件があったからでしょう?伝承だけで物事を判断するのはよくないと思います!」
「で、でもよ……」
「だいたい!烏丸くんはさっきから藍人さんのことを“北見の奴”とか“北見”とか呼び捨てにして!一体何様のおつもりですか!」
ギャーギャー騒ぎだした烏丸と狛神を放置して、茜凪は背後で溜息をつくだけの水無月に言葉を投げた。
「水無月さんも、兄様の恋人にはお会いしたことがあるのですか?」
「えぇ」
短く返した彼は、こめかみを押さえていた指先を髪へと流す。
「多摩の道場にいる剣客は知りませんが、藍人と恋仲の娘は何度かお会いしてますね」
「どんな人なんですか?」
「至って普通の娘ですよ。私たち妖のことは伏せてありますから、これと言って変わったこともありませんし」
「え? 藍人さん、自分が妖であること菖蒲さんに話してましたよ」
「はい?!」
茜凪と水無月の会話の中、狛神から投げられた言葉に彼は激しく動揺していた。
―――これが後に裏付けとなる、菖蒲が“藍人は妖だと知っていた”に繋がるのだろう。
「藍人……また勝手なことを。帰ったら問い詰めないと駄目ですね」
「水無月の目が怖ぇ……」
「水無月さんは怒ると藍人さんの次に怖いです」
幼いながら解説が出来るくらい、よく観察している狛神。
様子をみつつ、会話には入らずにやり取りや話を聞いていた茜凪は、ふと夕暮れの空を見上げるのだった。
「妖と人間が恋仲で……妖を統べる兄様が憧れる人間……」
会ってみたい。
そう思えたのは事実。
だが……茜凪は“本物”に出逢えていなかった。
誰かを見て、憧れを抱くほどの強さに。
“そうなりたい”と思えるくらいの存在に。