32. 北見 藍人
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「茜凪さん!」
七緒は容赦などしなかった。
千鶴を庇い、首筋に負傷を負った茜凪と、藍人の剣をまともに食らってしまった烏丸。
影法師の相手をしていた狛神が状況を見て“やばい”と退きを見せようとしたが敵方がそれを許さない。
「茜凪、烏丸ッ!」
七緒は、視線を鋭くして睨みを見せる茜凪を嘲笑った。
「苦しんで、心から死んでいけばいいわ」
「…ッ」
「そこで苦しんでいるお友達と一緒に」
烏丸をちらりと見た七緒はその後、視線を新選組に向けた。
「お楽しみは最後までとっとかせてもらうわ」
「…ッ」
「あんたらが死んでからね」
すっ……と笑みを消した七緒は、狛神の相手をしていた影法師に眼を向け、命じた。
「影法師……―――頼んだわよ」
頷きを一つ見せた黒頭巾の彼。
狛神の相手をしつつ、手を茜凪と烏丸に翳した。
すると、新選組を縛っていた影が茜凪と烏丸にも及び、地から具現化させ鋭い刃へと変貌する。
「!?」
そのまま影は、二人の体を勢いよく貫いた。
茜凪は爪に描かれた風車の模様を。
烏丸は右腰を。
直後、影は二人を包み込み……叫びを上げさせた。
「あぁああああぁあ…ッ」
「痛ッ……ァアアァアアッ」
耐えられないというように段階をあげて声が大きく叫ばれる。
絶叫を間近で聞き、千鶴が茜凪たちに駆け寄ろうとするが、水無月がそれを制止た。
「千鶴さん、触れてはいけないッ!」
腕を掴まれ、近付くなと言われたのは以前茜凪が斎藤に告げた“血に触れるな”という理由だっただろう。
しかし、結果としてそれは遅かったことになる。
「苦しみをもう一度捧げてあげる」
第三十二幕
北見 藍人
影は茜凪と烏丸を包んだと思った直後、新選組や菖蒲、千鶴、水無月すらも覆い隠した。
真っ暗な空間に閉じ込められ、何が起きているのかも分からない状況。
そうしている間にも、茜凪と烏丸の血は流れ滴り、辺り一面に混ざりながら広がり続ける。
水無月が足掻き止めようとしたが、それはどうにかなるものでもなかった。
茜凪と烏丸の血が、動けない新選組や菖蒲、千鶴の足元まできてしまう。
意図せずに体が血に触れた時。
いつか千鶴がみたような、彼らの思考が脳内に直接描かれ始めた……。
「え…」
誰もが“何が起きているのか”と聞きたくなる現象。
目を見開いているのに脳内に直接描かれるもの。
影が映し出す、過去に起きた……本当の出来事が映し出された……。
―――……
――……
――…
「朧家のこと、本当に残念だったね」
「守護の妖一族もろとも殺されたらしいわよ」
「あの妖一族って、妖の中じゃ最強を誇る位じゃないか」
「そんな一族が滅んだなんて……」
「東国の雪村も滅びたって聞いたし……。西の鬼がすぐにでも鬼と妖の世界に平和を与えてくれればいいのだけれど」
耳が痛い。
海道を行けば、あちらこちらから心を抉る会話が聞こえてくる。
だからといってどこへ向かおうかも決めていないし、今どこへ向かっているのかも分からないままだった。
だただた会話が聞こえない安らぎの地を目指してひた歩く。
「生き残った者も多くはないそうだし、いても点でバラバラみたいよ」
「純血は皆殺されたと聞いたぞ」
「もう再興は無理ね……。本当に残念だわ、妖界の統べる三頭の一つがなくなってしまうなんて」
海道の者たちが話していた内容に、道を歩いていた少女は足をようやく止めた。
少女と言っても、年は十に満たるか否か。
そんな少女がボロボロの着物を身に纏い、足を止め、見つめた先には会話を続けながら去っていく人々。
背を見つめつつ、少女は誰もいなくなった所でとうとう泣きだしてしまった。
「う……ひぃ……っ」
どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
私達が何をしたというのか。
出てくる嗚咽は止まることなく、ついにはその場で蹲り動けなくなってしまった。
「うぅ……ッう……ひ…っ」
誰も助けなんて来ない。
誰かが助けてくれることなんてない。
朧の里から逃げ出して早十数日。
もう体力も、心も限界だった。
―――死にたい。
「もう……っ…もういやだよ……」
護身用に持たされていた、使い方も分からない短刀を手にし少女は願う。
刃を手首に深く宛て、あとは腕を引くだけ。
それで、仲間や家族の所へ行ける。
なのに、腕が引けない。
「……っ」
恐怖。喪失。哀愁。焦燥。
いろいろな感情が巡る中、その決断までどれくらいの時を有したのか。
やがて命を絶つ意を決し、彼女は手首に宛てがった腕に力を入れた。
だが、
「それじゃ死ねないよ」
「!」
背後からかけられた声に、彼女は振り返る。
そこには長身のスラっとした男の姿。
藍色の瞳、三日月を描くような笑みの浮かべ方。
妖艶で、目が逸らせない空気。
怪しさの中に強さが見えて、それはまるで妖の王のようにも見える。
「手首を斬るだけじゃ、ただ痛みを感じて苦しむだけだ。絶命するにも時間がかかるし、助かる可能性も高い」
「……、」
「本当に死にたいなら―――」
その藍色の男は音もなく近付いてきて、女の腕を持ちあげる。
そのまま補助するように手を宛がい、首筋へと持っていった。
「そう、このまま腕を引きなさい」
「……―――っ」
「ゆっくりだとダメだよ?痛いだけで体が傷つくから。それはどこの部位でも同じ」
「…」
「憎しみを込めて、楽になれるように力を入れて……思いっきり引くんだ」
「……ぁ……、」
「なんなら、俺が手伝ってあげようか?」
補助される男の腕のせいで、中断することを許されない。
冷静に死ぬための解説をされれば畏怖は強くなり、動きを止めてカタカタ震えだす少女。
男はその様子を気にすることもなく、添えた手に力を入れた。
「そんなに死にたいんでしょ。なら俺が殺してあげる」
「…だ……や…」
「俺が命を絶つことを手伝ってあげる」
笑顔の男の藍色が、少女の瞳の奥を捕える。
宿っているものは笑顔なのに、奥の奥に怒りが見えた。
「ほら」
「……ッ」
「ほら、ちゃんと死なないと」
「いやだ……」
「死にたいんでしょ」
「やめて……」
「命を無駄にしたいんだろ」
「いやぁァッ!」
ついに傍にいた男を突き飛ばし、少女は拒絶を見せた。
その刹那、目の前の男は心の底から安堵の意味で笑った気がする。
だがそれも一瞬で、今度は責めるような口調で少女へ言葉を投げた。
「死にたくないの?死のうとしてただろ」
「だって……」
「怖いから?お前は死ぬ覚悟があって刃を抜いたんじゃないのか」
「だって……だって……」
「言い訳するなよ」
ガッと肩を掴まれて、視線を強制的に合うようにされる。
藍色の男はどこか笑みを浮かべているように見えるのに、怒りを露わにしていた。
「お前を逃し、守ってきた奴らの気持ちを無駄にする覚悟と決意があったんだろ」
「……っ」
「お前を生んだ親を悲しませて、そうでもして貫きたいものがあったんだろ」
「う……ぅ……っ」
「そんな覚悟もないくせに、自害しようとするなんて俺は許さないよ」
その小さな手から刃を奪い、適当に投げ捨てた男。
少女は初めて言い返した。
「だって……誰も、もういない……」
「…」
「みんな、みんな殺されたもん!もう一人だから!」
「…」
「わたしが普通じゃないから、みんな助けてくれない!みんな優しくない!自分さえよければそれでいい!」
「…」
「一人で生きるのは寂しい……怖い、いやだ……!」
「…」
「一人……いやだもん…う…っうぅ…」
まだ泣きじゃくりだした少女を見て、藍色の男は笑う。
もう一度、視線を合わせたかと思えば今度は優しく頭を撫でてやった。
「なら、俺が一緒にいてあげるよ」
「…」
「その代わりに、お前が死んでいった仲間の事を、全てを、覚えておいて」
「…」
「約束」
“決して忘れてはいけないよ”
“歴史とは、風化してしまえば再び同じことを繰り返すからね”
そう続けた男は、少女を優しく抱きしめた。
「探したよ……茜凪」
それだけで。
その時の少女には生きていけるほどの力になった。
もうひとりではない。
誰かが側にいてくれる。
本当の孤独を知り、命を投げ出したいと願い、恐怖でそれも出来ない。
本当に弱くて、どうしようもない自分を知っている。
そんな彼女を……―――茜凪を支えたのは、この男だった。
「俺は、北見 藍人。藍人と呼んで」
「あいと……」
名前の通りの綺麗な藍色の瞳。
だけれど、少し歪んだ風に見える口元の笑み。
全てを今でも覚えている。
「茜凪。命を捨てたりしないでくれ」
「……っ」
「お前を想って死んでいった兄が……―――家族が悲しむ」
頭を撫でて、耳元で囁かれる言葉。
ひどく安心できる心地だった。
「この世界でのお前は、まだ終わっていないんだ」
今から約十数年前。
妖界の中には、三頭という全ての妖の一族を統べる一族がいた。
力も強大と呼ばれ、他の妖と比べても力の差は歴然。
その三つの一族は、北見、多々良、春霞と呼ばれ、それぞれの種族として妖界を統べていた。
妖と呼ばれる者。
それは人でもなく、鬼でもない。
伝承などで人に語られているものもあるが、正確にいえば妖は鬼を守る者である。
争いを好まぬ鬼に代わり、恩義を返すために存在していた。
恩義とは、今から約二百年前に起きた関ヶ原の合戦でのこと。
そのころの妖の中心部は関ヶ原に程近い地にあり、聖域として大切にされていた。
しかし関ヶ原の合戦後、聖域は汚れ、妖たちが隠れて住まうには到底難しい土地となる。
そこで彼ら妖を助けたのが、鬼の一族達だった。
関ヶ原の程近くに住んでいた数多の妖たちは十二からなる鬼の一族の里へと移り住むこととなる。
遥かなる時間が流れ、二百年後。
嘉永という名の時代の半ば。
東国最大の鬼の一族、雪村が滅んだ直後。
雪村、風間と同様に鬼の一族であった朧家も人間による奇襲を受け、滅亡という一途を辿った。
朧家が滅びて居場所を無くし、彷徨っていた少女……茜凪は、三頭の一族頭領である北見 藍人にその身を保護された。
言わばこの出会いが、慶応二年の決戦へ繋がる戦いの始まりだった。