28. 行方斑ぐ華
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陽が昇り、菖蒲がいつも通り目を覚ませば、そこに水無月の姿はなかった。
いつものことだから、特に気には止めなかったけれど。
だがしかし、もし今この場に彼が留まっていたとしたら……結末は少し変わっていたかもしれない。
菖蒲が着替えと風呂を済ませ、今度は芸子姿で稽古場へと向かおうとしていた。
昨日の夜、茜凪が見に来た気配はなかったけれど恐らく菖蒲が感じることが出来なかっただけだ。
あの娘は必ず自分を監視しているはず。
心に憂鬱さとうっとおしさを感じつつ、菖蒲は淑やかに市中を行く。
今日は誰も連れていなかったことも原因の一つ。
背後から話しかけられた声に警戒しなかったもの間違い。
「お嬢さん」
「?」
振り返り、菖蒲は首を傾げる。
男に呼び止められることは多々あったけれど、今菖蒲を呼びとめたのは女の声だった。
菖蒲と同じくらいの女性の声。
「……なんどすか?」
出て来た廓言葉に、菖蒲を呼びとめた女性は笑う。
上がった口角。
伏せられた瞼が持ちあげられた時、瞳の色に背筋が一瞬凍った。
深い深い、紅色。
「ちょっとあたしと遊びません?」
第二十八幕
行方斑ぐ華
西本願寺も、朝を迎えた。
今日の真夜中、狛神は多々良 七緒と取り引きの返答をするつもりだろう。
そんなことも知らない新選組と、茜凪や烏丸たちは変わらない日常を過ごそうとしていた。
変わらない日常の中に、見え隠れする、誤魔化しきれない事実と共に。
「痛……ッ」
屯所の廊下を歩いていた茜凪は、腹部に鋭い痛みを感じて歩みを止めた。
昨日、壬生寺で斎藤と手合わせをしたのが響いているようだ。
痛みを鋭く感じた腹部に手を当てれば、そこは藍人に斬りつけられた個所であることはすぐ理解できた。
人間の回復速度からすれば、とんでもない速さであるにも関わらず、茜凪は本音をぽつりと零す。
「遅い……」
通常時より回復に時間がかかりすぎていると悟る。
同時に誰も廊下にいないことを確認してから、左手の裾をめくった。
左の二の腕から真っ直ぐに下る黒い模様の線は、爪の先端を目指して流れていく。
その線は既に肘よりも進んだ個所にきていた。
もう少しで手首といったところか。
ここまでくれば、己が絶命するのも、敵を倒し目的を果たすのは時間の問題と言えそうだ。
それだけ力を使いきってしまっているということ。
「もう……誤魔化しなんて、本当に利かないんですね」
切なく吐き捨てて、茜凪は軽く瞳を閉じた。
それから何事も無かったかのように歩き出したが、廊下の角に一つの気配を感じて立ち止まる。
「お前も結構、進行してたんだな」
「……」
「俺も、もうすぐ一周する」
大きな柱に背を預けて、いつもの明るい調子ではなく、何も考えていなさそうな表情で吐き捨ててきたのは烏丸だった。
その面は、演じることを止め、心を失くした男そのままである。
「最近、かすり傷でも痛みを感じるくらいになってきた」
「……そうでしたか」
「ガタがきてるってことだな」
「でしょうね」
淡々と会話を続ける二人。
話題になっていることは、どこか諦めにも似ていた気がする。
だが、決して二人は“目的”を諦めているわけではない。
投げ捨てたとすれば、“延命”の方だったのだろう。
「とりあえず、命あるうちに討ちたいな」
「もちろん。ぶれるつもりなんて毛頭ありません」
烏丸が柱から背を離し、笑う。
茜凪も微笑んでやれば、満足そうに男は頷いた。
「そんじゃ、息が続くうちに市中へと向かいますか」
「そうですね。足がきちんと動くうちに」
二人は並んで屯所の出口を目指し、歩き出した。
が、境内の入口に見知った顔がいることに気付き足を止めてみた。
いつもの様子からは考えられないほど、焦っているように辺りをきょろきょろしているのは……―――。
「あれ、水無月?」
烏丸が廊下の端から指差して、境内で誰かを探している男を示した。
男は誰かに懸命に何かを伝えたがっているようであり、異様だ。
冷静沈着なあの男が、ここまで動きを大袈裟にしていること自体が珍しい。
廊下の手すりに足をかけ、すぐさま境内に降り立った二人は水無月の下まで駆ける。
茜凪と烏丸の姿に気付いた水無月は血相を既に変えていた。
「綴、珍しいな。こんな所で」
「貴方が来るということは、何かあったんでしょう?」
息を荒げ、さも焦っているというように見える彼。
次の瞬間、飛び出した言葉は最後の戦いへの幕開けだった。
「菖蒲が……っ」
「!」
「菖蒲が姿を消しました……ッ!」
思わず、茜凪の息が詰まった。
烏丸は動揺を見せることはなかったが、眉間にシワを寄せて尋ねる。
「消したって、夜は一緒にいたんだろ?」
「朝、店を出て、再び茶屋で彼女の警備にあたろうとしたのですが、一向に姿を現しません」
「おい、嘘だろ……」
同時に茜凪は太陽の位置を確認する。
背後の道場では、隊士たちの稽古の掛け声が聞こえて来た。
遅い。
この時刻で、芳乃として稽古場にあの娘がいないのは確かにおかしい。
「私が目を離さなければ……っ」
「悔やんでも仕方ありません。手分けして探しましょう」
冷静に、でも冷たく放った茜凪は烏丸と水無月と手分けして芳乃―――菖蒲を探すことになった。
彼らの一部始終をたまたま見つめていた土方は、慌ただしい様子が只事ではないと察し声をかけてくれる。
「楸」
「…っ、土方さん……」
烏丸は裏手から。
水無月は表から再度出て行った所で、彼女を呼び止めた土方。
焦りを見せる茜凪に、土方も何かが起きたのだと確信する。
「どうした」
「……っ」
言うべきか迷い、吃らせる。
式神に関係しているといえば確かにそうだけれど、ないといえばない。
下手に情報を与えて、彼らを巻き込んでいいのか……と。
しかし、土方の方が少し上手であった。
「吐け。何かあったんだろーが」
しびれを切らした土方が、茜凪の左腕を掴み上げた。
瞬時、彼女は鋭い痛みを腕に感じて顔をしかめた。
彼女の反応を見て土方は思わず力を緩めたが、そんなに強く握った覚えはない。
刹那、目の前に見えた―――爪に刻まれている模様に疑問を抱く。
「お前これ……?」
「…ッ、芳乃が行方不明となりました」
ぱっ、と誤魔化すようにして茜凪が土方の腕を払う。
芳乃の話題と、爪の模様について追及される問題とを天秤にかけ、軽い方が口から飛び出た。
「芸子の芳乃か?」
「藍人の仕業の可能性が高いです。今から全力で探します」
“急ぐので”と告げて、茜凪は彼に背を向けようとしたが、新選組の副長はすぐに判断を下した。
「待て楸」
「……っ、なんですか」
焦りが出てしまう。
口を出た言葉が鋭く、冷たい。
責めるような口調に、土方は何も触れずに優しく、でも力強く答える。
「三番組と八番組を連れて行け」
「え?」
「斎藤と平助なら、お前らに力を貸すはずだ」