24. 面隠し
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慶応二年 十二月。
北見 藍人の最後の屯所襲撃から七日が経過した。
前回の空気から考えれば、次の襲撃が近日中にあってもおかしくないと誰もが予測していた。
今、この状況下の中で彼ら式神は鬼達よりも厄介な敵であったのも事実だ。
朝。
目が覚めて烏丸が突撃してこない静かな時間を過ごしていた茜凪。
朝餉の時間まで余裕があるわけでもないけれど、着替える前に腹部に巻いていた包帯を替えていた。
新選組の人間には、傷の深さや回復の速度などはバレていないだろう。
確かに人並み外れた回復力で傷は癒えてきているものの、彼女の傷は塞がった訳ではない。
一般人が受ければ、確実に完治するのに三月はかかっただろう。
それを僅か一週間で、ぎこちなさも隠せるほど動けるようになり、刀も振るえるようになっていた。
「っ……、まだ少し痛みますね」
ここ数日も、動けないほど不便な傷だったわけではない。
しかし、やはり腕を回したりすると痛みが走った。
今朝はその痛みも大分和らいではいるものの、完治にはもう少し時間がいるであろう。
「周りからすれば本物の化物ですね。まったく」
自嘲するように零した言葉の直後。
廊下から起きているのかどうかを確認する声が響いた。
「楸」
「わ……っ」
零した言葉が廊下まで響いたはずないだろうが、独り言がここの住人達に聞かれては困る内容だった。
驚き廊下側へ振り返る。
声と、障子の向こうから射す光で作りだされた影が、それが誰であるかを訴えた。
「さ、斎藤さん……?」
「起きているか」
「あ、ちょっと待って下さい!開けないで……っ」
ふと我に返り、自分の姿にあたふたし始める茜凪。
寝間着を肌蹴させ、サラシのみの上半身を確認して慌てて普段の着物に着替えた。
着替えている間ですら、部屋の中は寒かったのに廊下に佇んでいる斎藤のことを考えると、余計に焦りだしてしまう。
待たせていい身分でもないし、何か用があるのなら尚更だ。
帯の最後を乱暴に腰に突っ込みながら、茜凪は慌てて障子に手をかけた。
髪はまだ梳かしていないので、簪を挿すわけにもいかず、そのまま流して。
背後の布団やら、外した包帯やらがやりっ放しになっていることに気付いたのは障子を開け放った後だったのも同時に認識する。
「すみません、お待たせしました」
「…っ、」
朝一で顔を合わせたので、続けて“おはようございます”と告げたが、目の前にいる彼は一瞬にして息を飲み、そのまま固まる。
声はまるで聞こえていないようであった。
ふと、思い出す。
この感じ、前も朝呼びに来てくれた時にあったなと。
「斎藤さん?」
「っ……す、すまぬ。烏丸の代わりに呼びに来たのだ」
「そうでしたか、すみません。お手数おかけしました」
「あ……あぁ……」
わざと視線を泳がせる彼に、茜凪は首をかしげるしかなかった。
どうして目を合わせてくれないのか、と。
そんな彼女を余所に、顔を逸らし続けていた斎藤は、背後の布団の上に包帯が転がっていることに気付く。
「―――傷はどうだ」
「あ……」
さすがに見える位置にやりっぱなしだったので、気付かれてしまったかと茜凪も振り返り、包帯を見やる。
「な、なかなか痛みますけど、大丈夫です」
「無理はするな。刀傷はきちんと手当てしなければ後を引く」
「はい」
茜凪が振り返ったまま、踵を返して部屋の奥に包帯を片付け始める。
斎藤は、用件はそれだけだったのだが、どうしても後ろ姿に目を留め、立ち止まってしまった。
「……―――」
流れるような髪が、腰までの長さで揺れる。
触れたらきっと流れを遮るものなど何もなく、なめらかに抜けるようなそれ。
いつも簪で留め上げられたものよりも、女らしさを感じる。
元から、彼女の容姿は悪くない。むしろ美しいと引く手数多だろう。
いつか誰かが“芸子の芳乃より茜凪の方が顔は良い”と言っていたのを思い出した。
斎藤の中の本能か、はたまた興味か。
無意識の内に宙を舞い揺れる髪に手を伸ばしてしまう。
流れるそれに触れる、寸前。
「そういえば、斎藤さん」
「!!!!」
突然、呼び止められ斎藤の肩がビクリと大袈裟に跳ねる。
目にも止まらぬ速さで彷徨っていた手を下ろし、ぎこちなく返事をした。
彼の息を呑む声を聞いて、茜凪が振り返る。
「烏丸は?」
「あ、あぁ……か、烏丸は……」
激しい動揺に襲われている斎藤。
更に首を傾げる茜凪は、失礼ながら『今日の斎藤さん…何か変だなぁ』なんて思い、口を開く。
「斎藤さん、何か拾い食いでもしました?」
さすがにそれは間髪で否定して、咳払いをする。
彼が違うというのならそうなのだろう。
場を取り繕うために、斎藤は問いの返事を返した。
「烏丸なら、既に市中に出たそうだ」
「……」
ぎこちなく、何かを必死に誤魔化そうとしている嘘下手な組長を横目で見つつ、茜凪は一人ごちった。
「先を越されましたか……」
力を得るために、払った対価はそれぞれ違う。
感じる心も、経緯も、歩く道も、そして速度も。
第二十四幕
面隠し
同日、京市中にて。
早朝の巡察を頼まれていた一番組組長である沖田は、部下を引き連れて見回りに出ていた。
その背後を、ここ数日間飽きることなく追いかけていたのは一人の少年。
四六時中というわけにはいかなかったが、沖田が巡察に出る際は必ず狛神の追跡が一緒であった。
そこはさすが彼というべきか。
剣術では沖田に負けるものの、気配は感じ取らせない実力を兼揃えていた。
「(藍人の襲撃もあれからない。あっちは仕掛けてくる気はないのか……?)」
狙いは確実に新選組だ。
邪魔な奴らを排除して、必ず無力な芳乃……――菖蒲を殺すに決まっている。
それが藍人の狙い。
死んだ後の経緯や、その目的に至るまでの過程は分からずとも、今明確になっているのはそれだけ。
そして新たに与えられた情報は、藍人が憧れていた沖田 総司が彼を殺したという事実だった。
茜凪の証言が正しいと信じられる理由を求め、数日間彼を見張っていたが……
「特に覆される理由なんて、ねぇな」
水無月もああは言ってはいたが、虚偽の真実は別の所にあるのではないかと猜疑心を持ってしまう。
茜凪の発言こそが、嘘なのではないか、と。
諦めに似た感覚、そして“真実が見つかってしまった”という絶望と憎悪。
やはり己の手で、沖田の命は奪わなければならないと感じる一方だ。
「殺すなら、早い方がいい」
狛神が腰の刀に手をかけ、鞘から抜刀する構えを取る。
目を細め、腰を低くし彼が近付いてきたら斬り殺してやろうと思った。
―――だが。
「きゃああああ!!!」
「!」
狛神が刃を抜刀しようとした刹那。
近くの通りから悲鳴が鳴り響く。
さすがにそれを聞いて黙っている新選組なはずがない。
通りの方へと駆けていく部隊を、狛神も舌打ちをかまして追いかけた。
追った先には、不逞浪士たちが小競り合いを起こし、斬り合いの真っ最中だった。
酒屋の町娘が巻き込まれているようで、辺り一面は緊張感が滲み出ている。
「くそ、あれじゃ……ッ」
狛神が一般人が巻き込まれているのを見て、いてもたってもいられなくなる。
沖田がどう動くかなんて見る余裕などなかった。
「まったく。手間ばっかりとらせてくれちゃって」
通りで沖田の溜息と、相手を煽るような声が響く。
浪士達がギャアギャア喚き散らしている中、更に続く彼の言葉。
「弱い者同士で喧嘩したって、たかが知れてるじゃない。そのへんにしておきなよ」
「なんだと!?」
「貴様、新選組如きが調子に乗りおって!」
「助けて、助けて下さい!」
沖田に向かって悪態をつき続ける浪士達。
もはや彼らには敵も味方もなくなり、新たな参戦者の存在に矛先を向けていた。
涙目で命乞いする町娘を見つつ沖田は、
「うん」
―――口角をあげ、笑った。
「助けてあげますから、大人しくしててくださいね」
諭し、慰めるような言い方。
そこからは、疾風の如き速さだった。
狛神は鞘に手をかけたまま、間近で沖田の戦いぶりを見つめていた。
鬼神のような速さ、馬力、そして技術。
あれがもし、羅刹だったら。鬼だったら。
勝ち目なんてないだろう。
「すげえ……」
誰も聞いている人がいないのをいいことに、素直に狛神の口から洩れた言葉。
ただただ、瞬きをすることも忘れて沖田の剣さばきに見入る。
やがて長い時間が過ぎて、沖田の周りの浪士達は残り数名になっていた。
既に何人かは怖じ気づいており、今にも刀を投げて逃げ出しそうだった。
だが、恐らく中心人物はまだ瞳の底をぎらつかせ、諦めをみせていない。
「この野郎……ッ!」
「きゃ……っ」
腕の中に拘束していた町娘を、刀を構えた沖田へと投げ込み、解放する。
彼女が倒れないように支えてやり、沖田が顔を再びあげた時だった。
「死ねェッ!」
町娘も巻き込む形で、不逞浪士が斬りかかってくる。
「っ…!」
このままじゃ、だめだ。
沖田が助かっても、町娘は……。
または沖田が彼女を庇えば、必ず手傷を負う。
―――考える間もなく、狛神は瞬時に抜刀していた。
あんなに憎んでいた相手なのに。
そんなこと気にもならなかった。
そのまま、戦場に飛び込むようにして踏み出したのだが―――
「ッ!」
取り越し苦労に終わり、狛神は足を止めた。
町娘を庇い、そして己が身を守る剣術を、沖田は知っていたのだ。
もちろん、茜凪たちが見れば“彼なら当り前”というだろうが、狛神はそれが初めて見た光景だったので驚き、体を止めることしか出来なかった。