16. 贖罪の行方
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「茜凪の髪はとても綺麗だね」
「そうかなぁ?」
「うん。伸ばした方が美しいよ」
優しい声が耳元で木霊した。
懐かしい。
手櫛で流され、指の隙間から一房がさらさらと落ちていく。
何度も繰り返されれば、それは頭をなでてもらっているようで心地よかった。
「この前、京の町へ出向いた時買ってきたんだ」
「うわぁ!これ簪!?とっても綺麗…!」
「とんぼ玉の職人が手掛けているそうだよ。もう少し伸びたらつけるといい」
「ありがとう……!」
低く優しく響く、声。
憎悪もなく、悲しみもなく。
だからといって感情が籠ってないかというとそんなことはない。
「でも兄さま、さっきから菖蒲さんが怖い顔でこっち見てる……」
「はははーいいんだよ。それが狙いだから」
「狙い?」
この時から、私の存在は菖蒲にとって邪魔者以外の何でもなかった。
恋敵と言われ、頬を膨らませては涙目で私を睨む彼女。
それが何でだか分からずに首を傾げては、よく涙を流させる決定打になっていた。
「兄さま菖蒲さん泣いてます!」
「あーあ」
すっと頭を撫でていた指先が、手が、背後にいた気配が、離れる。
「……―――」
見慣れた姿。
大柄ではない、むしろ細身で力が無さそうに見えるのに、大きくて頼もしい彼。
剣義に優れ、一族の誰からも好かれていた。
「ほら、泣かないで。菖蒲」
「もう藍人なんて知らない!茜凪と仲良くしてなさいよ!」
「そんなこと言って、本当にそうしたらもっと泣くのは君だろう」
「うるさいですぅ!」
ただちょっとだけ。
愛情表現が歪んでいたのは、この時から認知していた。
「好きな子ほど、泣かせたくなるんだよ」
……ちょっとじゃなかったかもしれない。
「ほら、菖蒲」
でも。
私は、この二人が寄り添って、泣いて居ても、もちろん笑っていても。
「泣かないで」
「……」
「妬いてくれるのはとても嬉しいけれど」
どんな時でも、一緒にいれば幸せそうであることがとても嬉しかった。
ただ寄り添って、一緒にいてほしい。
私はそれをずっと見ていたい。
ずっと。
ずっと……――――。
「―――……」
まるで静かに消えるように、懐かしい音はゆっくり遠退いた。
代わりに浮上して来た意識は、三週間経っても見慣れない部屋の景色をとらえていた。
朝日が障子の向こうから射してくる。
少しだけ開いてしまっている戸の隙間から、それは反射してキラキラしていた。
あぁ、夜に雪が降ったのか。と理解するまで、ぼーっとその反射した光を見つめた。
「夢……ですか」
戻ることはない。
戻れるはずもない。
だから今、茜凪自身はここにいる。
だけれど、夢だと分かってしまえば心の奥底でとても落ち込んでいる自分がいることに気づいて布団から起き上が事が困難になりつつあった。
「(二度寝したい……)」
心で誰に確認するでもなく、己に言い聞かせ瞼を閉じた時だった。
「茜凪!朝だぞ!起きろよ!今日の朝飯は千鶴が当番だから美味いぞっ!」
「……」
スパーンッ!と呼び声もなく、確認もなく開け放たれた戸。
もしこれが着替えの最中だったら丸見えではないか、と茜凪は頭の中でカチン、ときていた。
「烏丸。戸をあけるときは声くらいかけてください」
「寝坊した奴が何言ってるんだよ!ほら、もう皆集まってるぜ!ちゃっちゃと着替えて来いよっ」
もちろん、扉の向こうから現れたのは屯所内で一番の顔なじみ。
隊士の誰かがそんなことをするとは考えられないが、彼が相手では他の誰よりも容赦無く刃を抜きたくなる。
「…………いま行きます」
たっぷり間を置き、不満であることを空気で伝えたが烏丸は気にもしていない。
仕方ないので布団から起き上がり、茜凪は髪を両手で掬いあげる。
いつか誰かに“綺麗”といわれ、単純に伸ばし続けたそれは、もはや腰まで届くほどになっていた。
「髪、伸びたな」
「何を今更」
「思ったからそう言っただけだよ」
寝間着姿の時は、髪を下ろすのは当り前。
今更言われることでもないなんて思いつつ、茜凪は背を向けていた烏丸へと向き直る。
だが、振り返った時にいた烏丸とは別のもう一人の男に目が止まった。
「っ、斎藤さん……?」
「……」
「あ、おはよう、一」
どうやら烏丸が呼びに行ったにも関わらず、集まるのが遅かったので改めて斎藤が呼びに来たらしい。
寝坊していることは先程烏丸から聞いていたので斎藤から叱咤の言葉を予想する。
だが、当人は障子の前で目を見開き固まっていたのだ。
「おはようございます。寝坊してしまって申し訳ありません。今から行きます…」
「………………。」
「?」
「……はじめ?」
固まったまま微動だしない彼に、烏丸がもう一度問いかける。
そこでようやくハッ!と我に返ったらしく、斎藤は大袈裟に顔を背けながら元来た道を戻る為、体を逸らした。
「は……、早く来い。新八あたりに朝餉を取られても文句は言えぬぞ」
「あ、はい……」
そのまま行ってしまった斎藤に、茜凪と烏丸は首を傾げた。
「どうしたんだ?一の奴。なんか変なもん食ったのかな」
「彼を貴方と一緒にしないでください」
ズバッと言い退けて、烏丸を部屋から追いだした茜凪は、机の上に置いてあったとんぼ玉の簪を手にした。
貰った当初は簪で髪を結う事が困難だったが、今はもうなんともない。
それくらい、年月が流れていた。
藍人が自分達の元を去ってから―――。
第十六幕
贖罪の行方
賑やかな朝餉の席が終わり、昼の巡察に出る八番組が仕度を始める頃。
夜から巡察が入っている斎藤は、昼間の時間を稽古に回すと決めていたので原田と共に境内に向かっていた。
が、途中で茜凪と烏丸が立ち話をしていたので、足を止めてみる。
「よお、凛。茜凪」
「ん?あぁ左之助」
二人で境内にいるなんて珍しいな、なんて声をかけてやる。
茜凪と烏丸はそうかな?なんて言いながら笑っていた。
「それじゃあ、烏丸。こちらは頼みました」
「あいよ。いってらっしゃい」
茜凪はそれじゃ、と告げて歩き出しその場を立ち去ってしまった。
斎藤は無言でその背を見送り、烏丸に向き直る。
“どこへ向かったのだ”と聞く前に、真顔で彼女の後ろ姿を見据えていた原田が、烏丸に尋ねた。
「茜凪の奴、もしかして祇園に行くのか?」
「え、何で知ってるんだよ」
斎藤が聞く前に、答えは出てしまった。
あらかた、予想がついていたとも言えなくない。
だが、彼女の監視役ではない原田が何故茜凪の祇園通いのことを知っているのか。
「左之助、茜凪から聞いたのか?」
「いや。夜の巡察の時、あいつが祇園に出入りしてるのを何度か見かけてな。もしかしてと思ったんだが……」
気まずそうに顔を思いっきり逸らす烏丸。
恐らく、彼は根が素直なのだ。
だから“まずい”と思ったり“やばい”と思うとすぐに顔に出てしまうらしい。
そこで斎藤はふと気付く。
彼女から聞けないのであれば、彼女をよく知る烏丸から色々な事情を聞き出せないか、と。
「しかもあいつ、ほぼ毎日出入りしてるだろ?祇園だって仮にも花街だし、女のあいつがどうして毎日通い詰めてるんだ?」
「えっ、えーと……」
「烏丸」
ピシャリ、と放った斎藤の声にビクリと烏丸の肩が跳ねる。
ぎこちなく切れ長の瞳を見やれば、斎藤は静かに彼を――穴が空くほど――見据えていた。
「そ、そんな睨むなよ!」
「睨んでおらん。元からこんな顔だ」
「だけど本当に大丈夫なのか?茜凪は男装してる訳でもねぇし、確かに強ぇけど……」
原田が心配そうに消えた彼女のことを思うと、烏丸は一瞬切なく目を細める。
斎藤はそれを見逃さない。
「これは……茜凪なりの償いなんだ」
「償い?」
零された烏丸からの言葉。
まるで茜凪が罪を過去に犯したような言い方―――。
「償いって、一体誰に」
「芳乃か」
「っ……」
今度は烏丸が声にならないというように、バッと斎藤の顔を見て動きを止める。
見開かれた瞳には、“なんで”と言わんばかりの色。
「芳乃との関係、茜凪から聞いたのか?」
烏丸が斎藤に一歩近づく。
彼の方が背が高いので視線を少し下にしながら掴みかかる勢いで斎藤に尋ねた。
烏丸の豹変ぶりに、思わず原田が戸惑う。
「まぁ……確かにお前相手なら、茜凪も話すかもだけど……」
「“俺相手だと”……?」
答えるより先に、烏丸に寄こされた言葉が更に気がかりだった。
斎藤相手だと、茜凪は話しやすいのだろうか。
そんな風に思われる要素はここまで一切感じたことはなかったが。
確かに、名目上監視役という命が下った。
やるべきことを全うするため本人にもはや公認で監視を続けてきたが、心を通わせたかというと全く持って違う。
そこは全力で否定が出来る。
互いに嫌ってもいないし、信頼してもいないだろうが、だからと言って特別な関係になったつもりはない。
「俺は祇園で楸が芳乃の身柄について番頭と話をしていることを聞き、結論に至ったまでだ」
「斎藤、お前茜凪の後をつけたのか……!?」
「土方さんの命だ」
「そっか……。そうだよな、俺達そんな簡単に信じてもらえるわけねーよな」
原田は斎藤が花街に堂々と入っていく姿を想像して唸っていたが、その隣で烏丸は“知られていた”ということに胸を痛める。
「なぁ、一……そのこと茜凪は知ってんの?」
「あぁ」
「そっか。ならよかった」
自分の知らない所で後をつけられ、知られたくない部分に踏み込んでいたとしたら、間違いなく嫌がるだろう。
それは茜凪でないとしても。
まして……―――
「(茜凪、一に知られるの嫌がりそうだったのに……意外だな)」