14. 鬼の姫君と彼女
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「はぁ……」
慶応二年 十一月の半ば。
冬空の下、洗濯を終えた雪村 千鶴は籠を抱えたまま、周囲に聞きとれるくらいの大きな溜息をついた。
傍から見ても、その光景は彼女が何かに悩まされているような空気。
そんなことが数日続いていると、周囲にいる者も彼女のことが心配になってくるのは当り前だった。
「おい、千鶴。そんな盛大な溜息ついてどうしたんだ?」
「原田さん」
籠を持ったまま、俯いている千鶴に遠くから近付いてきた原田が声をかけた。
向けられていた視線の先には、昨日降った雨の関係で水たまりが出来ている。
映し出された自分の顔を見て、千鶴が溜息をついているように思えたのも確かだ。
「なにかあったのか?」
優しく問いかけてやったが、彼女はいつも通り太陽のような笑みを見せる。
そのまま元気よく籠を抱えて立ち去る準備をし始めた。
「何もないですよ!原田さんはこれから巡察ですか?気をつけて行って来て下さいね!」
「おい、千鶴……」
「私はこれから境内をお掃除してきます!綺麗にしちゃいますよー!」
それでは!と、決して誤魔化しているようにでもなく、元気そのもので立ち去った彼女。
伸ばした手が宙を彷徨いながら、原田は彼女の背を見つめていた。
「ったく……」
何かがおかしい。
普段の彼女なら――人がいないところでは分からないが――溜息を盛大に零したりするはずない。
よっぽどな悩みごとがあったのだろう。
そんな原田を余所に、軽やかな足取りで駆けていく彼女。
廊下の途中で茜凪とすれ違ったが、千鶴は軽く笑顔でお自儀をしたまま止まることはなかった。
むしろ、茜凪が何か感じたのだろう。
廊下の端で足を止め、屯所の中へと入っていく千鶴を見つめて首を傾げた。
「……?」
奥の勝手場からは烏丸と山崎の声が聞こえている。
昼食のことで揉めているなら止めにいった方がいいと感じたが、それよりも道場の方へ消えた千鶴が気になった。
「茜凪」
呼ばれたので振り返る。
千鶴がいつもと違う様子だったことを考えていたけれど、振り返り立っていた人物で切り替わった。
「原田さん?」
何故、この人に自分が呼ばれるのだろう、と。
対する原田は、茜凪が何を見て首を傾げていたのか見ていたようで彼女の名前を口にした。
「今、千鶴に会ったか?」
「えぇ、すれ違いましたけど……」
「そうか……」
「何か知ってらっしゃるんですか?」
「ん?」
「千鶴さんの様子がおかしかったこと」
茜凪が思ったことをぶつけてみた。
わざわざ千鶴がやってきた方向から来て、千鶴のことを聞いてくるのだから、彼が原因か、はたまた理由を知っている。と。
だが、残念ながら当ては外れる。
「いや、俺は何も知らなくてな。お前なら千鶴から何か聞いているかと思ってよ」
「……」
どことなく空元気だったような気がするのは、茜凪だけではなかったらしい。
原田から視線を逸らし、もう一度道場の方を見つめてから、茜凪はじゃあ、と続ける。
「なら、本人にそれとなく聞いてみたほうがいいでしょうか?」
「いや。直接聞いて話すような女じゃないだろ、千鶴は」
「そうなんですか?」
「どっちかというと、我慢して飲み込んじまうからな……あいつ」
なら、本人から聞き出すのは難しいなと思うと同時に#NAME1##は原田の顔をまじまじと見つめて零してしまう。
「原田さん、千鶴さんのこと良くご存じなのですね」
「千鶴のことを、俺が?」
「というより、女性の扱いでしょうか。烏丸に見習わせたいです」
茜凪が発した言葉が意外だったのか。
原田は目を見開いて間をあけたあと、くすっと笑った。
「ははっ、確かに烏丸はどっちかというと新八みたいな感じだろうな」
「永倉さん?」
原田は真顔で女性の扱いを烏丸に乞うている茜凪が意外だったのだろう。
恐らくここ最近で斎藤も感じていたであろう、彼女の意外性。
鋭く相手を見据え、強さと冷静な空気を放つ彼女が、人間らしい素を見たというか。
“こいつもこんなことを話すんだな”なんて感じたに違いない。
「まぁ、新八の話は置いとくとして」
原田は手に持っていた長物を肩にかけてから、茜凪に向けて笑った。
「茜凪、ちょっと付き合ってくれないか?」
「?」
第十四幕
鬼の姫君と彼女
その日の午後の巡察は、一番組と八番組だった。
巡察までに稽古をしておこうと、道場に足を運んでいたのは沖田、平助、そして斎藤。
稽古にも熱を入れ、随分と長時間に渡り集中をしていた彼らは大きく伸びをして、練習用の木刀を置いた。
「ふはー!今日は調子よかったなー!」
「平助、この後巡察だってこと忘れないでね」
「わ、忘れてねーよ!」
沖田とも同等に相手が出来た今日の自分を称賛し、楽しそうにしている平助。
沖田も不敵な笑みを浮かべたまま、汗をかいた体を手拭いで拭う。
斎藤は静かに二人の後ろをついて道場を後にしようとしていたが、平助の言葉で顔をあげた。
「今日、一君非番だろ?いいなー」
「非番なのにもう稽古やめるの?一君にしては珍しいね」
「今日は市中の刀剣商に用があるからな」
“俺も行きたかったー”なんていいながら、頭の後ろで手を組んだ平助。
沖田も“僕も刀、そろそろ換えないとだめかな”なんて呟きながら、三人の話題は稽古から刀工についてになっていた。
口を止めることなく三人が長い廊下を歩いていると、吹き抜けになっている個所から茜凪が境内で立ち尽くしているのが見えた。
「あ、茜凪」
「……」
「境内にいるってことは、どっか行くのか?」
平助が彼女が境内の砂利道で立ち尽くし、本堂の方を不自然な体の向きで見つめているのを指差す。
沖田はあまり興味なさそうにしながら、素っ気なく顔を逸らした。
どちらかというと、彼女と顔を合わせたくないような不機嫌さが見える。
「さぁ。逃げるんじゃない?」
「逃げるって……。あいつそんなことするよーな女に見えないけど」
「わかんないじゃない。土方さんが下手な俳句を読み聞かせ続けたら逃げたくもなるかもよ」
「総司」
「そもそも土方さんの俳句を読んで聞かせるなんて、総司しかいないだろ」
平助が茜凪の肩を持つような言葉を発すると、怒っているわけではないが、少しだけ悔しそうな顔をした彼。
そこで平助は思い出したように――彼の不機嫌の原因を――呟いた。
「そういえば総司。お前茜凪と手合わせしたんだって?」
「何?」
「どうだったんだ?」
「……」
刹那、沖田の瞳の奥に宿ったのは嫉妬だったり、拗ねている子供のような表情だ。
悔しさ、敵意、殺意が混ざった色をしている。
「さぁ。そんなの忘れちゃった」
「忘れたって……!?」
「そんなことより逃げちゃうなら、さっさと止めた方がいいんじゃないの?あれ」
「おい、総司……!」
もういいやーと、いかにも興味ないと思わせる態度でそのまま歩いて行ってしまった沖田。
平助は沖田の態度に困惑していたが、彼の返答から見るに斎藤は悟る。
「なんだよ、総司の奴……」
「楸の強さが予想外だったのが気に入らないのではないか?」
「茜凪の?え、一君も手合わせしたのか!?」
「いや……」
確かに数日前、市中で刃を数度交わしたことはあるが、あれを手合わせに入れるというのはどうだろうか。
静かに首を横に振ったあと、斎藤は続けた。
「だが、楸を女だからと油断するのは禁物だろうな」
「はっはーん。それで総司の奴、一本とられたとか?」
「さあな。そこまでは分かりかねるが……」
とにかく、今は境内から出て行こうとしているようにも窺える彼女に声をかけるのが先決だ。
「そういえば、一君って茜凪と凛の監視役なんだったっけ?」
先に足を急がせ、境内へと向かい出した斎藤の背に平助は小さく零した。
「土方さんも土方さんだよ。茜凪を見張らせて、意味あんのかな……」
彼女の人柄や言動からして、新選組に仇を成すとは考えにくい。
女を監視するという点においても、どこか不服に思う平助だったが新選組のことを思えば、仕方なかった。
「楸 茜凪……か」
平助が彼女の背中を見つめる中。
斎藤は砂利道まで下りて、彼女に声をかけた。
「楸」
「斎藤さん……?」
「ここで何をしている」
大きな銀杏の木の近くで立ち尽くしている彼女。
見つめていた本堂には何があるのか、と振り返ったがいつもと変わらない風景。
何か企みを見せているとは思えなかったが、不自然だったので尋ねれば、返って来た答えは意外なものだった。
「原田さんを待っているんです」
「左之を?」