13. 水面の如く
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「祇園の花街に出入りしてただと?」
「はい」
部屋に灯された明かりが揺れる中、土方は斎藤の報告を受け所司代に宛てた手紙の筆を止めた。
斎藤は目を伏せ、静かに頷く。
「楸は誰に情報を売るでもなく、祇園の遊郭へと……足を運んでおりました」
「遊郭って、あいつは女だろ。なんの理由があって……」
「……」
土方に報告をするためにこの場へ来たが正直、斎藤はこの先を話すべきかどうか顔には出さずに迷っていた。
ここから先の聞いた話は、新選組には何も関係のないことだ。
こちらが巻き込まれている事でもなければ、彼女たちが抱えた問題の一部が垣間見えただけ。
話をして、気分がよくなるような話題でもなければ、彼女の問題に干渉することにもなりえる。
普段の斎藤ならば、間違いなく土方に報告をしただろう。
だけど。
だけど。
「―――わかりません」
頭から離れなかった。
【忘れて下さい】と言った時の彼女の表情が。
哀愁を漂わせて、元来た道を戻る彼女が。
剣を取るということは、人を斬る覚悟があるということだ。
ただの町娘が、その腰に大小とは言わずとも帯刀するということは覚悟を備えているということ。
悪い事だとは言わない。
彼女なりに何か理由があるのだろう。
その理由に、先の一件は噛んでいると思えた。
祇園に赴き、“毎夜”遊郭で女を買おうと交渉する少女。
金を積み、欲している身柄は、茜凪を嫌いと言い退けたあの芳乃だ。
互いの中に見えない糸があって、細く、でも複雑に何重にも絡み合ったそれが二人を繋ぐ。
あの間違いなく“女”だと訴える清廉で美しい容姿が歪み、切なく哀しみを携えているのを思い出すと強く惑ってしまう。
故に―――言えなかった。
新選組には関係のないこと。
しかし彼女が【忘れろ】と告げた事柄で、どうしようもないくらい苦悩しているように思えて。
「そうか。報告ご苦労。今日はもう下がれ」
「はい」
「楸と烏丸については、引き続き監視を頼む」
「わかりました」
冬の冷え込んだ夜の空気が頬を撫でる。
廊下はとても寒かった。
土方の部屋の障子を閉めて、空を見上げれば雪がしんしんと降り積もるのが目に入った。
「(何をしているんだ、俺は……)」
自室へ戻ってきた途端、何故正直に土方に報告をしなかったのか、と自問自答を繰り返す。
らしくないと思えて仕方なかった。
それでも。
茜凪が女にして剣を取った理由の中に、芳乃の存在が見え隠れする。
飛び退いて、再度攻撃をしかけてくる彼女の剣は迷いなく、重かった。
感覚を思い出し、瞼を閉じる。
「楸 茜凪……」
彼女は、一体何者なのか。
時だけが過ぎる中、答えが出ない謎解きは彼らの心に暗雲を停滞させていた。
第十三幕
水面の如く
「あ!茜凪さん、烏丸さん、おはようございます」
翌日。
朝餉のいい香りに誘われて、床から出て来た烏丸と茜凪は、廊下で千鶴とすれ違った。
どうやら今日の朝餉の当番は彼女のようで、膳を運びながら笑顔で挨拶を交わしてくる。
「おはよう千鶴!」
「おはようございます、千鶴さん」
膳に乗せられた献立を見ながら、烏丸の目はキラキラと輝いていた。
「今日は鯵の塩焼きに豆腐の味噌汁、オクラのおひたしか!うまそう!」
「このオクラは壬生でとれたものらしいので、隊士の皆さんには懐かしい味になるかなって思いまして」
以前、新選組は壬生にある八木邸に屯所を構えていた。
西本願寺も大して壬生と距離はないけれど、壬生村でとれたものとなれば、懐かしさも感じられるのではないだろうか。
「千鶴の作る味噌汁は格別だからなぁ!茜凪、早く行こうぜ!」
ずんずん進んでいく烏丸を余所に、茜凪は苦笑いしながら彼の背を見つめていた。
「お手伝い致します、千鶴さん」
「そんな……だ、大丈夫ですよ!」
視線を合わせて笑んでくれた茜凪に千鶴が動揺する。
ここで初めて、千鶴は茜凪とちゃんと目を合わせた気がした。
「(あ……)」
自分よりも幾分か小さい背丈。
千鶴よりは肉付きがよかったけれど、小柄というには十分だった。
こんな女子が刀を扱い、振るうのかと思うと、不思議な感覚だ。
女だけれど、剣の使い手で。
剣の使い手だから、女を捨てているのかと思ったけれど。
「―――……っ」
「千鶴さん?」
「あっ!すみません!じろじろ見てしまって…」
「?」
茜凪は少し顔を赤らめて目を逸らした彼女を、首をかしげて見つめた。
「私の顔、変ですか?」
「えッ!?」
「すごく見られてたので……顔は先ほど井戸で洗ったのですが」
「ち、違います!変だなんて!むしろ逆ですっ」
そこまで言い放ち、千鶴はハッとして我に返った。
「逆?」
「へ、変な意味ではないんです!ただ、茜凪さんってとても端整な顔立ちをしてらっしゃると思って……」
「…」
「お化粧もすごくお上手ですし……」
「―――」
そこまで言いかけて、千鶴は気まずそうに視線を逸らした。
どこか、諦めがみえる表情。
相手が別の誰かであれば、この場は誤魔化せたであろう。
それこそ烏丸や狛神であれば。
ただ、相手は察しのいい 茜凪だった。
「千鶴さんも、とても綺麗です」
「え?」
「心が穏やかで、澄んでいて」
唐突に話し始めた彼女の瞳は、真っ直ぐに千鶴を捕えていた。
翡翠色の瞳が、彼女の黒い瞳を射抜く。
「装いを変えても、貴女は十分可愛らしいです」
固まっている千鶴をよそに、茜凪は彼女の腕の中から湯気が立ちこめる膳を取り上げる。
「世辞のお礼です。こちらは私がお運び致します」
「そ、そんな……!わざわざそんなことしなくても…」
「きっと勝手場で井上さんが待ってらっしゃいます。行ってあげてください」
優しい微笑みを残し、膳を腕に抱えて行ってしまった茜凪。
茫然と立ち尽くす千鶴は、彼女の背中が見えなくなる頃、ようやく背後でにやにやしながら光景を眺めていた人物に気付くのだった。
「なんだ千鶴、やけに嬉しそうだな」
「はっ、原田さん!?」
声をかけられ、びくっと肩を跳ねさせて振り返った。
柱に腕をつきながら、“おはようさん”と声をかけてきた十番組組長は、一連のやりとりを微笑ましく見ていたらしい。
緩んでしまった頬をぺちぺちと叩きながら、千鶴が原田を見つめた。
「女同士、話しやすいみたいで安心したぜ」
確かに女子と話したのはかなり久しぶりであるのも事実。
まして自分に対して好意らしいものを向けてくれているとなれば、男だらけの所帯で無意識に感じていた心労も飛ぶくらい嬉しくなってしまうのも仕方ない。
―――だからこそ、千鶴は余計願わずにはいられなかった。
茜凪の行く先がどうか、どうか幸せな道になるように、ということを。