マルコ
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※OP現代バージョンです。ご注意を。
街によくある、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出す喫茶店。
そこで働きだして三週間経った。最初はコーヒーを淹れるだけで苦労していたが、ほぼ毎日働いていれば身に付いてくるものだ。最近では先輩のカリファにも「上手になったわね」と褒められるようになった。
「ふー……」
コーヒーの追加ラッシュが過ぎ、○○はぼーっとしながらカップを拭いていた。さすがに何時間も立ちっぱなしだと脚がつらくなってくる。
朝から夕方まで学校で勉強、夕方から夜にかけてバイト。高校生になってそのリズムが当たり前になっているが、それでも慣れることはない。
(それに今日は帰って課題しなきゃ……)
ロッカーに入れた通学カバンの中。その中には今日出された数学の課題が入っている。ただでさえ数学が苦手な○○。あんな分厚いプリントを見ただけでも冷や汗ものだ。幼馴染のローが「手伝ってやろうか?」と言ってくれたのだが。バイトが終わるのは夜だ。それから家に来てもらうのはあまりにも忍びない。「ううん、頑張って自分でやってみる」と、有難い申し入れを止む無く断った。
(帰りたくないなあ)
課題のことを思い出す度に溜め息が出てしまう。課題がある日ほど帰宅が嫌になる日はない。
そうして何度目かの溜め息を吐いていると。
「○○、105番テーブルにコーヒーひとつね」
「あっ、はい!」
いつも通り気配なく背後に現れたカリファ。そのことに未だ慣れない○○は驚いてカップを落としそうになる。しかし、そこは先輩カリファというべきだろう。床に落ちる前にキャッチし「危ないわね、」と微笑んで見せる。すみません、と謝りながらも、彼女の美しさに思わずときめいてしまった。
呼び出し鈴が鳴り、「じゃお願いね」と言ってカリファはフロアに戻っていった。○○も手に持っていた布巾を置き、コーヒーを淹れる。それをトレーへと乗せ、レシートと共にキッチンから出て行く。
この時間帯はサラリーマンやOLが多い。と、いうのもこの喫茶店には客が気軽に仕事が持ちこめるよう、各席にコンセントが付いている。店の狙い通り、仕事を終えた大人がパソコンを前にしてコーヒーを飲んでいる。
(105番テーブルは……)
確か窓際だったよね、ときょろきょろと番号を探す。
店内には静かなジャズピアノと、小雨の音が聞える。梅雨の弱い雨足。まるで雪のようにしとしとと優しく降り、窓ガラスに流れていく。不思議と雨は好きだ。だが今日だけは強めに降り、課題のプリントが書き込み不能なぐらいびちゃびちゃにならないものかと考えていた。
そんな都合よくいかないよね、と小さく笑っていると、目の前のテーブルに“105番”の文字を見つける。とたとたと駆け寄り、小さく頭を下げた。
「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーおひとつ……」
微笑みながら頭を上げ、客の顔を見るや否や。驚きのあまり言葉が途切れ、まだ仕事中だというのに唖然としてしまう。こんな状況をカリファに見つかれば、「こら、お客様の顔をじろじろ見ない! 失礼でしょう」と怒られるに違いない。けれど、これが見つめずにいられるものか。
その、チタンフレームの眼鏡。コンセントに繋がれたパソコン。テーブルの上に置かれているあの……課題。
金色に輝く向日葵のような髪に、よく片方だけ上げられる眉毛。整った高い鼻に、セクシーな厚い唇。伸ばされた顎髭と、何より……その透き通る海のような綺麗な瞳。
「マ、……マルコ先生!」
そう、そこで仕事をしているのは○○が通う高校の“マルコ先生”だった。彼は数学担当の教師だ。今日の「この課題、明日提出だからよい」というマルコの言葉が記憶に新しい。
マルコと話したことは記憶にはない。あったとしても、授業中の質問ぐらいだ。
だがその人気ぶりは何もしていなくても耳に入ってくる。
数学準備室には質問をするためか、いつも女子が集まっている。そういえば「もう全体的に大人のフェロモンが出てんのよ!」とナミが言っていた。それに、珍しくロビンが「ええ、彼は魅力的な男性ね」と褒めていた。○○はというと「うー…ん、そうかな?」と首を捻ったのだが。
確かに他の教師…男性とは違う、と思う。人気を二分している体育教師のシャンクスも魅力的だと騒がれている。シャンクスは明るく陽気で、生徒を包み込む優しさがある。それが優しい男としての魅力を感じるのだろう。
それに幼馴染のローも、目がハートになっている女子たちに毎日見つめられている。彼が魅力的、と言われるのは同世代にない落ち着きと冷静さだろう。○○としては「もうちょっと皆の前で笑えばいいのに」と思うのだが。そう伝えると「おまえ以外の前で笑っても仕方ねェだろうが」と、言うのだ。だがその意味がよく分からず、「そうなの?」と首を傾げた。
正直マルコの魅力がどこなのか、答えられない。だが時折思うことがあるのだ。授業中、ふと顔を上げると視線が合うことがある。そのときマルコは小さく笑みを浮かべるのだ。どうしてだか胸が締め付けられる。それこそが彼の魅力なのだろうか。
思考停止中の○○にマルコは深く溜め息を漏らし、
「やれやれ、やっと気付いたかよい」
と言ったのだった。
その予想外な言葉に「え?」と首を傾げると、その反応を予想していたのだろう。苦笑しながら眼鏡を外し、テーブルの上に置いた。
「お前がここで働きだしたときから、おれはお前に気付いてたよい」
「……」
ここで働きだしたとき、というのは三週間前を表している。その時から知っていた、というマルコの言葉に緊張のせいか、トレーを持つ手が微かに震えた。嘘、そんな何で……と冷や汗をかき始めていると。
ただでさえ「あんたは思ってることがすぐに顔に出るんだから」としょっちゅうナミに指摘される○○。教師のマルコにはお見通しなのだろう。
「家がすぐそこだからな。ほぼ毎日来てんだい」
雨が降る外を指さし、そう言ったマルコ。
ただ単にマルコにコーヒーを届ける担当が回ってこなかっただけだろう。フロアで忙しく動き回り、オーダーを取る○○の姿をマルコは知っていた。
(それなら……)
ここで働き始めた頃。何もないところで派手に転び、思いきりめくれたスカートを慌てて直したことも知っているのだろうか。もしそうだったら恥ずかしい、と頬を赤らめていると。
「それより、○○」
不意に低い声で名前を呼ばれ、反射的に肩が跳ねた。それとマルコが呆れ顔ではなく真剣な顔つきになったことに気付く。
「うちの学校はバイト禁止だろい?」
「……」
マルコもまた、○○の顔色が変わったことを見逃さなかったのだろう。はあ、と苦い溜め息を吐いた。
「知らねェわけねぇよな?」
その言葉に○○は俯く他なかった。
○○の学校はバイトに対して処罰は厳しい。それは過去、バイトにまつわることで警察沙汰になったのが理由だ。それ以来、学校ではバイトを禁止にしていた。
見つかれば行く先は“謹慎部屋”か、停学。
最悪の場合、退学もありうる。
何日か前にも同じクラスの男子がバイトをしていることがばれ、無期限の停学を言い渡されていた。
(どうしよう……)
この前も「お前、見つかったら停学じゃすまねェぞ」とローに言われたばかりだ。そのときは「大丈夫よ。ローも見つからないようにね。じゃないと一緒に登校できなくなるよ」べーっと舌を出した。だが、マルコという教師を目の前にしてその余裕は微塵もない。
(もし退学になったら……)
マルコは教師であって、その目で見たことを報告する義務がある。何らかの処罰があることは免れない。
(シャッキーさんに迷惑かけることになる)
母親代わりのシャッキーは遠く離れた孤島に住んでいる。“○○が退学になった”と知ればどんな顔をするだろうか。それを考えるだけで胸が痛くなり、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。笑顔で島を見送ってくれたシャッキーを裏切りたくはない。
ああ……どうしよう、とそればかりぐるぐると考えていると。
「○○、お前一人暮らしだったかよい?」
不意にマルコに問いかけられ、小さく頷く。
「わがまま言って今の高校に入れさせて貰ったんです。だから…」
そんな遠い高校にわざわざ行く必要ないじゃない、とシャッキーは心配そうに眉を
シャッキーは店を持っていて、ぼったくるとはいえ、生活は楽なものではない。その上、レイリーがふらふらするので心配事も多い。「大丈夫よ、いつものことだし」と言いつつも、その瞳には寂しさが垣間見える。
だからこそ負担も心配事もさせたくない。
そう考えていると。
不意にマルコの手が伸びてきて、ふわりと○○の頭を撫でた。それはまるで「よく頑張ってんな」と褒めているようにも感じた。朝一で校長に報告するよい、と怒るわけでもなく、マルコの顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
「……先生?」
「そりゃァ校長に報告するのは野暮ってモンだい」
マルコの言葉はまるで校長に報告したら“男じゃねェ”と言っているようにも思えた。
頭を優しく撫でた手はテーブルの上へと戻った。だか、彼の眼は未だこちらに向けられている。
「○○」
マルコに名前を呼ばれ、とくん…と胸が高鳴った。
そして少年のような微笑みでにっと笑って、
「おれ以外の教師に見つかるんじゃねェぞい」
そう言うものだから○○も「はいっ」と頬を染めながら微笑んだ。
マルコはいつも○○のことを下の名前で呼ぶ。同じ名字のクラスメイトが居るからだ。だか、こうして名前を呼ばれる度に胸が高鳴るのは何故なのか。
(ねえ……先生、どうして黙っててくれるんですか?)
黙っていてもいいことはないだろうに。逆に知っていたのに見過ごしていたことが学校にばれたら、マルコが何らかの処罰をくらうだろう。
辺りは暗くなり、街灯がつぎつぎに淡い色をつけていく。雨が降る冷たい街を照らす、小さな灯り。それはまるで○○の胸に芽生え始めた“何か”を表しているようだった。
「お前、どこら辺に住んでんだい?」
ぼー…っとマルコを見つめていると、不意に話しかけられ、見つめていたのを隠すように伝票で顔を隠す。
「あっ、あの、ここから歩いて十五分ぐらいの所で…。あ! 花屋さんの近くです」
まるで頭の悪さを露呈するような説明に、恥ずかしくなって耳まで赤くなる。こんなんじゃ目も合わせられないよ、とぎゅっと目をつむった。
「ああ、看板が水色のアパートかよい?」
「そうです!そこに住んで……」
拙い説明なのに分かってもらえた嬉しさから、伝票を退けて喜ぶ。すると、心底おかしそうにくくっと笑うマルコと目が合う。どうやらころころと表情を変える○○がツボにはまったらしい。学校では見たこともないような笑みを浮かべている。
嬉しい半面、複雑だ。○○は「せんせい、わたし真面目に説明したのに」とそっぽを向く。すると笑いをこらえながら「ああ、悪ィなあ。お前があんまりにも必死だから…。そんな拗ねんじゃねェよい」と言うのだ。拗ねてません、と伝票をテーブルに差し込む。けれど、楽しそうに微笑むマルコに見とれていたのも本当で。
(こんな風に笑うひとだとは思ってなかったな…)
マルコは呆れ顔さえするものの、こんな風に笑った顔をあまり見たことがない。笑っている、といっても微笑だったり、同じ大人でもシャンクスとは大違いだ。わたしの前で笑ってくれた、と思うと何故だかとても嬉しくなった。
「何時あがりだい?」
「えー…っと、十時です」
「いつもそれぐらいかい?」
「? はい、平日はいつもこの時間です」
マルコは○○の答えに納得したのか「そうかよい」と一口コーヒーを飲む。
なんでそんなこと訊くんだろ、と首を傾げた。しかし、きっと夜遅く帰る“生徒”のことを気にかけてくれたんだな、と解釈する。
不意にピンポー…ン、と呼び鈴が店内に響く。気付けば、向こうのテーブルで客がメニューを見つめていた。
「あっ、せんせい。わたしもう行きますね」
そう言うと、「ああ」と短い返事がかえってきた。マルコも仕事をするつもりだったのだろう、再びパソコンと向き合う。
○○は少し速足で客の元へ行く。さっとオーダーを取り、キッチンに戻ってサンドイッチを作りコーヒーを淹れる。九時前後になると、小腹が空くのだろう。サンドイッチやパンケーキなど、片手でつまめるようなオーダーが多い。この時間帯は他のことを考えている余裕がないぐらい忙しくなるのだった。
店が少し落ち着き、ふと思い出してちらりとフロアを覗き見る。
先程までパソコンを睨んでいたマルコの姿がない。綺麗に物がなくなった105番テーブルを見つめ、マルコは帰ってしまったのだと気付く。時計を見れば十時近かった。マルコも疲れて家路に着いたのだ、と少し寂しく思っていると。
「○○、チョコパフェひとつ追加よ!」
カリファの通る声が聞え、「はーいっ」と返事をする。これを作ればもう上がりだ、と再び忙しさに身を投じた。
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おつかれさまでした、と皆に声をかけて仕事を終える。学校の制服に着替え、鞄を肩にかける。あー…課題、と思いだしてがっくりと肩を落とす。こんなことならさっき先生にヒント貰っておけばよかった、と後悔した。
とにもかくにも、今日はまっさきに家に帰って課題を終わらせなければいけない。どうしても分からなかったらローにメールしよう、と出口へと向かう。きっと彼はまた「寝れねェ…」と朝方近くまで起きているに違いない。こんなことなら来てもらえばよかったな、と思いつつ。いやいや、わたしが先に寝ちゃうし…と首を振る。
溜め息と共に勝手口を開ける。雨足は変わらず弱々しい。けれど傘をささずに帰れば、びしょ濡れになるだろう。バサッ、と傘を広げて○○は一歩踏み出す。
と、それに合わせて喫茶店の軒下から、群青色の傘をさした男がひょいと現れる。揺れる髪に、響く革靴の音。なにより、その何を考えているのか分からない瞳。
「……マルコ、先生」
驚いてじっと見つめていると。ふ、と笑いながらこちらに近づいてくる。帰ったとばかり思っていたのに、ずっとそこに立っていたのだろうか。傘を持つマルコの指先が白くなっていた。
「こんな夜中に女がひとりで歩くのは危ねェぞい」
背の高い彼を見上げていると、頬に雨がぽたっと落ちた。
ああ注意をしに残っててくれたんだ、と嬉しさを感じる。しかしその一方で、“先生”の顔をしたマルコに何故だか心は複雑だ。どうすればいいのか分からず、○○は俯く。行き交う人々の足が見え、それがすれ違うふたりのようだった。
「なあ、○○」
不意に名前を呼ばれ、そっと顔を上げる。先生の気持ちが分かればいいのに……と見つめたときだった。
「今度からおれが送っていってやるよい」
「え……」
マチョークを持つ、節くれだった無骨な手は、驚くほど優しく頬に触れた。心配そうな、けれど優しい頬笑みを浮かべたマルコ。その瞳は海のように澄んでいた。
「変な奴にお前を奪われちゃ敵わねェからよい」
「せんせい、」
「行くぞい」というマルコの言葉に、思わず言葉を飲み込んでしまう。歩き出したマルコの背中を追い、隣をあるく。
(今度からっ……て、ことは)
バイトの日は毎回送ってくれるっていうこと?
その言葉に驚いて、マルコをちらりと覗き見る。すると、マルコもこちらを見ていたのだろう。ふと笑ったマルコの笑顔に、どうしようもなく胸が締め付けらる。
不自然だと知りながらも、素早く目を逸らした。
fin.
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