マルコ
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その日は真昼間だというのに治療室は多くの船員で混雑していて、ナースたちは血を出しながら歯を食いしばる彼らの手当に追われていた。それは同じく白ひげ海賊団専用ナースである○○も例外ではなかった。
船員の血で手を赤く染めながら応急措置を施していく。麻酔など使っている暇がないほど人は溢れかえっており、こめかみに汗を滴らせながら手を早める。
ささっと縫合を行っていると、こういう痛みには慣れていないのだろうか。針を刺されるよりも酷い傷を負っているというのに「いてェ!」と大きな声を上げるのだ。○○はその声に顔色を変えることなく「こんなことで根をあげないのよ」と糸を引っ張った。
頭上を飛び交う怒声、ナースたちの指示、ばたばたと慌ただしい足音。
早朝の治療室は負傷者で溢れかえってはいなかったし、このモビーディック号を運んでくれる波もこんなに激しいものではなかった。ただ怪我を負った船員たちが「カイドウんとこの奴らとやりあっちまった」……そう帰って来るまでは。
今朝は久しぶりにマルコの部隊と他の部隊が合同で偵察に出かけていた。きっといつものように散り散りになって偵察を行っていたのだろう。そこで偶然にも我らが白ひげ海賊団船長、白ひげと同じ四皇カイドウの船員に出くわしたらしい。
なぜ“やりあった”のか、ただのナースでしかない○○には分からない。カイドウ傘下の者たちに唆されたのか、白ひげのことを揶揄され若い者が殴りかかったのか……。
(ようはどっちも譲らなかったってことでしょ)
もう終わったわよ、そう手短に告げると次の船員へと手を伸ばす。
マルコの部隊と他の部隊をもってもこの負傷。○○自身驚いているが、相手は四皇カイドウの部下なのだ。当然といえば当然の結果。勿論マルコもそうだが、血の気の多い彼らのことだ。きっと相手をこてんぱんに捻り潰して帰ってきたに違いない。白ひげはというと「グララララ…バカなことしやがって」と酒を片手に笑っていた。
(そう……だから心配することはないのよ)
たとえ恋人であるマルコの姿が見えなくても。
こんな人混みの中マルコが見えるはずがないじゃない、そう自分に言い聞かすが、マルコを見つけられないわけがない、というのも本音で。
手当が終わり処置室を出ていく男たち。だがマルコの姿は見えない。
彼のことだ、いつものように腰に手を当て、白ひげに淡々と報告しているのかもしれない。だがこの船員の傷からいって激闘を極めたのだろう。相手は四皇カイドウ傘下の者。いくら“不死鳥のマルコ”であっても無傷はありえない。
(じゃあなぜこの場にいないの……?)
マルコは放っておいても治る傷でさえ「○○、診てくれよい」と言いに来るのだ。「そんなの消毒しなくても治るわよ」と背を向ければ、伸びてきた腕が身体に絡む。マルコ、とちらりと後ろに目線をやれば「つれねェこと言うなよい」と意地の悪い笑みを浮かべているのだ。その微笑みに心臓を鷲掴みにされながら小さく溜め息をついた。「馬鹿、ここどこだと思ってんのよ」わたしの職場よ、と彼の腕を外そうとする。しかし「だからこれだけで譲歩してんじゃねェかい」と強く抱き締められ、熱い息が耳を撫でた。マルコ、そう呼ぶ自身の声が甘く上擦っていたのをマルコは聞き逃さなかったのだろう。お前だって共犯だい、じっと覗き込んでくるマルコの瞳の熱さといったら……。そうして最後はマルコの手にかかり絆されてしまうのだ。
(いつものようにわたしのところに来て「手当してくれよい」って……)
どうしてこないの、どこへ行ったの、そう考えるだけで包帯を巻く手が小刻みに震えた。○○?と船員が訝しげに名前を呼んだが、「なんでもないわ」と無理矢理笑ってみせた。
誰か他のナースに手当してもらったならそれでもいい。ただ姿が見えないことが怖くて仕方ないのだ。マルコが“どうにか”なっているはずがない。そう思う一方で「おれだって完璧な不死じゃねェんだ」と苦い顔をして抱きしめられたことを思い出す。
積もる不安は最悪な結果を想像させる。絶対にない、と自分に言い聞かせても押し寄せてくる不安が負の連鎖を招く。心臓がどくどくと高鳴り、急激に速度を上げていく。
「………」
辺りを見渡せば殆どの船員の治療を終えたのだろう。ありがとな、と言って男たちが治療室から出ていく。
安を押し殺すように散乱した器具をトレーへと乗せ、足早に流し台へと向かう。この血で染まった手を洗った後、すぐ白ひげの元へ向かうつもりだった。
(とにかく早く…この不安を拭いたい)
きっとマルコはそこに居るはずだ。でなければおかしい、という風に自分を無理矢理納得させた。
治療室にはカーテンが張り巡らされており、捲れば小さな簡易ベッドがある。水色のカーテンは所々血に濡れ、彼らの衝突がいかに激戦だったかを物語っていた。心臓を撫でられたような不快感を覚えながら、何気なくカーテンを開いた。
その光景を目の当たりにした瞬間、○○の時が止まった。
「…………」
血に汚れたベッドに腰掛けていたのは誰でもない…安否を気にしていた恋人で。
シャツを肩にかけ、いつも○○を強く抱きとめる厚い胸には何重もの包帯が巻かれていた。前傾姿勢で両膝に置かれた腕にも包帯が巻かれており、傷が深かったのだろう。真っ白な包帯が所々血で汚れている。それは額に巻かれた包帯も同様だった。
あの青く澄んだ瞳の下を剣先がかすめたのか、一筋の赤い線が走っていた。
茫然として立ち尽くす○○を目の前に、マルコは気まずそうに頭を掻いた。
「お前が忙しそうにしてたからよい、他のナースにやってもらったんだい」
邪魔しちゃ悪ィからよい、と俯いたマルコ。そしてゆっくりと顔をあげた彼と視線がぶつかった。何を考えているのだろうか。何の感情も映していない表情でマルコが「○○」と名前を呼んだ。
その瞬間身体が弾かれたように動き、彼を思いきり抱きしめていた。
ぎゅう、と胸で彼を抱きとめ、金色の髪に唇を寄せた。ふわりと香る確かなマルコの匂いに、指先に感じるマルコの体温に涙が溢れ出した。それは頬を伝い、彼の頬へと落ちた。
心配してたのよ、そう言葉にしなくても分かったのだろう。最初は虚を衝かれたような顔をしていたマルコだが、苦い顔をして頭を優しく撫でた。
「……こんなことで泣いてんじゃねェよい。そんなんじゃ海賊の女は務まらねェぞい」
「だって、わたし……マルコ、」
言いたいことは沢山あるのに言葉にならない。そんな心情を読み取ったのだろうか、マルコがそっと背中を撫でてくれる。
マルコがこんなに怪我して帰ってくるなんて思ってもみなかった。彼は何でもないように振る舞っているが、ナースである○○には分かる。この何重にも巻かれた包帯がどれほどの傷を表しているのかを。
溢れる涙は止まることを知らず、○○はマルコの広い肩に額を預けた。その震える肩をマルコの大きな手が包む。
いつもならばそれだけで安心できるはずなのに、まだ不安で仕方がなかった。マルコがいつものように「おれはどこにも行かねェよい」、「いつでもお前の傍にいるよい」と微笑んでくれないからか……。
今のマルコはまるで“死の可能性”を示唆しているようで怖いのだ。
「オレら海賊は諸刃の剣だい。強靭な肉体も消えるときは泡みてェにあっけねぇ」
どこか遠くを見つめそう語るマルコの姿が、涙で揺れる視界で滲んで見えた。それがマルコを更に遠くに感じ、○○はまた涙を流した。
ふっと苦く笑って涙を拭ってくれるマルコ。
「お前もそれを知らなきゃならねェ」
しかし諭すようなマルコの言葉に小さく首を振った。
「……そんなの、知りたくもないし…分かりたくもないわ」
「…わがまま言うなよい」
マルコは溜め息をつき「○○、」と低い声で名前を呼ぶ。
本当は「おれは死なねェよい」、そんな風に笑いかけて欲しかった。それがたとえ嘘だとしても、いまこの瞬間は嘘つきでいて欲しかった。
不死鳥であるマルコも“完璧”ではない。いつかは常人と同じく死ぬだろう。ただその現実をまざまざと見せつけられたような気がして、○○はどうしようもなく涙が溢れてしまうのだ。
脆く崩れやすい彼等は
――…手繰り寄せていなければ気泡となって弾けてしまいそうで。
fin.