マルコ
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
びくっ、と身体が小さく跳ねると同時に意識を取り戻す。
「………」
息苦しさに小さく咳をすればベッドが軋んだ。それと同時に自分が今、誰かの部屋のベッドに横たわっているのだと気付く。ここは冷たく苦しい深海ではなく、ましてや自室でもない。
ふいに上半身を起こせば、ここがどこだか気付く。
(ここ……マルコさんの、)
少女の頃に何度か入ったことのある部屋だ。辺りをきょろきょろと見渡せば、髪から雫が落ちる。海から引き揚げられて、さほど経っていないようだ。
きっとサッチが引き揚げてくれたのだろう。サッチが「お前ら何やってたんだっ!」とマルコとエースを怒鳴る姿が目に浮かぶ。息をしていない○○に人工呼吸を行い、きっとマルコがここまで連れてきてくれたのだろう。ぐっしょりと濡れた身体を拭き、この服を着させてくれたに違いない。そのワイシャツからマルコの匂いがした。
「マルコさん……」
辺りを見回しても彼の姿だけでなく、エースの姿もない。寝ている間に夜になったのだろう。真っ暗闇の部屋の中に誰かが居る気配はなかった。
(サッチさんにお礼、言いにいかなきゃ……)
サッチが引き揚げてくれたのはほぼ確定的だ。以前足を滑らせて海に落ちた時も真っ先に彼が引き揚げてくれた。それはもう雷のように怒鳴られた。苦い思い出だ。
そっとドアを開け、ひんやりとした夜の廊下へと出る。冷えた素足のまま廊下をぺたぺたと歩いて行く。
一体何時なのだろうか。暗い廊下を照らすランプがチリチリと燃え、それが先程のふたりを思い起こさせる。船内に焦げ付くような匂いがしないということは、ふたりは闘わなかったのだろう。それにほっとしながらサッチの部屋へと向かう。サッチの部屋は角を曲がって、五つ目だ。
「○○は?」
「……今寝てるよい」
ふいに聞えてきた声に足を止める。
それは先程喧嘩を始めようとしていたマルコとエースだった。曲がり角の向こうでふたりが話しているのだと気付く。○○が息を潜めるように立ち止ったのは無意識だった。
夜の静かな船内。
聞えるのはランプの炎が燃える音、それと……ふたりの声だけで。
エースが小さく溜め息をつく。
それは何かを区切るような……諦めるようなものだった。
「これで分かったろ、マルコ。あいつはお前を選んだんだ。……はなっからそうだったけどな」
「エース…」
自嘲気味にエースが低く笑う。
無理して笑うエースの顔が目に浮かび、胸が締め付けられる。
○○が海に落ちる直前に呼んだのはエースではなく、マルコの名前だった。
エースは最初から分かっていたのだ。○○がマルコを好きなことも、マルコが○○を好きなことも。それなのにエースに気遣って“前に進もうとしない”マルコに苛立っていたのだろう。
はなっから分かってた、と言うエースの声は少し震えていた。
マルコ、と呼ぶ声は何かを決意したようだった。
「あいつを泣かせたらただじゃおかねェぞ」
そのエースの言葉にマルコは深く頷いたのだろう。
「ああ……分かってるよい」
とだけ言った。
廊下に響く足音。それはエースがマルコの元を静かに去ったことを表していた。○○も迂回し、遠回りでサッチの部屋へ行こうとした。
「○○」
「!」
不意にマルコに名前を呼ばれ、どきっと身体が跳ねた。きっと彼のことだ。最初から気付いていたに違いない。
こっち来いよい、という彼の声はいつものようにやわらかい。角を曲がり、マルコの元へと行く。ランプに照らされたマルコの顔。いつもよりも疲れた顔をしているのは、きっと間違いではない。何かがふっきれたような顔も……そうだろう。
「気分は? 辛くねェのかい?」
「大丈夫ですよ」
そんな格好で寒いだろい、と苦笑するマルコ。彼は自身の上着を脱ぎ、そっと○○の肩にかけた。ありがとうございます、と肩に手を伸ばせば、冷えた小さな手を服と一緒に握られる。
マルコさん……と顔を上げれば、複雑そうな表情をしたマルコがいた。
「こんな情けない男のどこがいいんだよい」
(……情けない?)
それは踏ん切りのつかなかった自身に対してか。
(あなたは少し……優しすぎたのよ。わたしにも、エースにも)
他人の幸せを願うあまり、自分の幸せを殺している。
不安そうなマルコの手を握り、○○は小さく微笑んだ。情けない男だろうが何だろうが、それでもマルコのことが好きだ。
「じゃあ…マルコさんはわたしのどこがいいって言うんですか?」
ふいにそう訊くと。
マルコは苦笑して「そうだなァ…」と○○を抱き寄せる。肩にかけたマルコの上着が床に落ちたが、ふたりは気にすることなく抱き締めあう。きつく抱き締めてくるマルコと、背伸びをして彼を抱き締める○○。
こめかみに口付けるマルコの唇はあたたかく、優しい。
「そんなの、○○全部だい」
「わたしも、ですよ」
そう答えれば甘い口付けが与えられ、ふたりの影がやっとひとつになる。それは待ち望んでいたことであり、耐えきれないほどこの胸を焦がす。ここまで来るのに一体どれ程、痛みを味わったことか。
ふたりはそれを満たすように強く抱きあい、お互いを確かめ合う。
額を合わせれば言葉にしなくとも伝わる想い。
No pain,no gain.
いつだって痛みはついてくるのだ。
今日のことを告げるとオヤジは盛大に笑った。それは落ち込んでいるエースを慰めるものではない。酒がたっぷり入ったグラスはぐらぐらと揺れ、エースの太腿にまでかかっていた。
オヤジ、おれは失恋の身なんだぜ?と言うと。
「仕方ねェ。あいつらはハナっから結ばれる運命だったんだ。そこには誰にも割込めやしねェ」
「………」
オヤジが運命、だなんて言葉を使うとは思いもよらなかったが、それでもエースもそんな気がしてならない。
最初から結果は分かっていたのだ。この船に乗って○○に一目惚れした時、初めて名前を呼ばれた時。その時から既に○○はマルコのことが好きで、マルコも○○が好きだった。そこに割り込もうとしたのは誰でもない、自分自身で。人が良いマルコは自分のため、一歩進むことを諦めて………。
(まぜっ返したのはおれだ)
そうでなければふたりはすんなりと「好き」だと結ばれていただろうに。戻らない時間に深い溜め息をつけば、「飲め、エース」と酒を並々注がれる。
(おれはいつか、手放しであいつらの幸せを願えるようになるのか……?)
そうなれたらいい、と自分に言い聞かすようにエースは酒を煽った。
fin.