デフォルトは「水無月咲涼(ミナヅキ キスズ)」となります。
真の恋の道は、茨の道である。
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1.“別人みたい”と言うよりは。
コーヒーを飲めるようになったのは最近のこと。以前はたっぷりのミルクと、溶かすのも大変なくらいの砂糖を混ぜたって苦かった。けれど今はミルクや砂糖はわずかな量で十分。口の中に広がる味を、苦みではなく香りとして堪能することができるようになった。
理由は簡単。とっても美味しいコーヒーに出会ったから!
美味しいコーヒー……そしてそれを提供する喫茶店、ミルクディッパーとの邂逅は二か月前。過ごしやすい春が終わろうかと言う頃だった。
ここは自宅から自転車で二十分くらいの場所。そこそこの近場だけどミルクディッパーを知ったのは本当に偶然で、信じがたいほど不運体質な青年と出会ったのも……偶然。
あの日はぷっつりと電源が落ちたみたいにやる気が消え失せて、全てを投げ出して休みたくなった。
満員電車に押し込まれて通勤した挙句、会社ではセクハラジジイに絡まれて、お局には理不尽にケチつけられて、帰るのは定時をとうに過ぎて……。
そんな毎日を真面目に繰り返しているのが急に馬鹿らしくなって、会社を病欠した。病欠して……あてもなく自転車を走らせた。
そりゃ、サボりなんていい年した社会人がやることじゃない。でも大人だって休みたいときはある。疲れたら誰でも休息が必要なものでしょ。……言い訳だけど。
良太郎くんとのファーストコンタクトは自転車を走らせたその先、お茶でも買おうとコンビニに立ち寄るときだった。
愛車を停めて顔を上げると同時に『わぁ〜〜〜〜っっ!!』なんて弱々しく悲惨な声が聞こえた。振り向くと坂を猛スピードで駆け下りてくる一台の自転車が見えた。どうやらその自転車はブレーキが壊れてしまったらしく、どれだけ頑張ってもスピードが落ちることはなかった。
『大丈夫!? 落ち着いて! 坂はもうすぐ終わるから!』
平地になればスピードが緩まって、いつかは止まれる。周囲に車や人は居ないから、きっと事故が起きることも……ない、と思ったのだけど。
コンビニから子供が出てきて、周りを気にもせずに道へ飛び出した。子供ってそういうもの。目の前のことしか考えられない。
自転車に跨がる青年……野上良太郎くんは、子供を見つけるや否や思いっきりハンドルを切り、爆速のまま壁にぶち当たった。
当然地面に転げ落ちた。手や顔も傷だらけ。
私は驚きのあまり、大丈夫!? なんて裏返った声をあげて彼に駆け寄ったんだけど、彼は真っ先に『あの子は……』と私に聞いてきた。
『子供なら無事だよ。貴方が避けてくれたから』
『良かった……』
良かった、って……いや、確かに子供に怪我がないのは良かったよ。でも自分が大変な状況なのに他人の心配って。……お人好しすぎる。
まぁ、そんなことがあって、怪我人である良太郎くんをミルクディッパーに送り届けて、そこで彼のお姉さんである野上愛理さんにコーヒーを頂いた。弟を助けてくれたお礼に、と。
コーヒーは苦手だったけど、好意を無下にもできない。だから一口飲んでみて……びっくりした! コーヒーってこんなに美味しいものだったんだ、って!
『うちのコーヒー達、いい仕事するでしょ?』
穏やかに微笑む愛理さんの顔は、きっと忘れられない。このコーヒーの香りも。
良太郎くんやミルクディッパーとの出会いはこんな感じ。彼の不運体質のおかげでこのお店と出会えたんだから、私にとって良太郎くんは幸運の星かも。
「ふふ」
私一人の店内で機嫌よく笑った。
愛理さん目当ての男性客は居ない。当の愛理さんは私を残して買い物に行ってしまった。もちろん店はクローズ。
つまり、この素敵な空間は私が独り占めしている!
こんな機会は滅多にない。せっかくだから内装の隅々まで観察して帰ろうかな。
椅子から立ち上がったところで、カラン、とドアベルが歌うように鳴った。外の空気がふわっと入り込んで、やがてベルのまろやかな音は歯切れよく静まる。ドアの前には、頬に傷を作った良太郎くんが立っていた。
「良太郎くん、また怪我してるの!? 大丈夫? 殴られた……わけじゃないよね?」
一人で転んで怪我をしただけならまだいい。もし誰かに殴られたとかカツアゲされたってことだったら、警察に連絡しないと。良太郎くんは慣れちゃったみたいだけど、カツアゲってもう犯罪だからね!?
いつもなら周囲の心配の言葉に、曖昧な苦笑いを返してくる良太郎くん。だけど今日は違った。
「だったら悪ィか! 油断したんだよ、くそったれ!」
「え」
キッとこちらを睨む良太郎くん。
え、なに、なに? 良太郎くん、そんな言葉遣いをする人だったっけ。いや、私は知り合って間もないから知らないだけで、意外とこういう一面もあるのかも。
……いやぁ、そんなことないな。ない。いくら短い付き合いとは言え、あの良太郎くんに粗暴な面があるとは思えないわ。
でも今目の前に居る彼は、確かに怖い顔をしている。
「え、と……良太郎くん? 今日はなんか、ワイルドだね……?」
なるべくオブラートに包んで話しかけると、彼は少し誇らしげに口角を上げた。
「ワイルド? 俺にピッタリな言葉だな。お前、分かってんじゃねぇか」
「ありがとう……?」
なんか別人みたい。お前、とか初めて言われた。
気になることはたくさんある。良太郎くんの様子はすごく変だけど、とりあえず今は。
「今、愛理さんは出掛けてるんだ。手当てだけでもしよっか」
「こんなもん平気だ。ツバつけときゃ治る」
「ツバ〜!? 汚いよ!」
良太郎くんを椅子に座らせ、救急箱を開け放つ。ミルクディッパーには入り浸ってるし、良太郎くんの手当てをすることもそれなりにあるし、勝手知ったるものよ。
傷口の汚れを取って、薬を塗って、絆創膏や包帯で覆う。こんなのを毎日のようにやっているから、いつかミイラのようにぐるぐる巻きになっちゃうんじゃないかって思ったこともある。ギネス級の不運体質だもの。想像に難くない。
「……あ〜ッ! もういい! 大袈裟なんだよ、これくらいの怪我で!」
丁寧に消毒していたら、彼は鬱陶しそうに私の手を振り払った。その顔は本当に迷惑そうで、面倒くせぇって言いたげ。
いつもは大人しく座っているのに。いつもはこんな乱暴に振り払ったりしないのに。いつもは、声を張り上げたりしないのに。
「……今日の良太郎くん、変だよ」
いくらなんでもおかしすぎる。これじゃ“別人みたい”と言うよりは、“見た目だけが一緒の誰か”。
……そういえば、常連客の一人が「良太郎くんには悪霊がついている!」って騒いでたこともあったっけ。
「ほんとに悪霊でもついてるんじゃないの?」
じーっと目を見つめる。良太郎くんは言葉に詰まり、何か言いたそうに口を開いた。けれど思い直したように首を何度か振ると、へにゃっと見慣れた笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい……咲涼さん……」
「……ううん、いいんだけどね」
いつもの良太郎くんだ。……さっきのは、何だったんだろう。
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