ボーイズ・イン・ブルー
その週の土曜日は、朝早くから大粒の雨が降った。
天候に恵まれない週末は家から出ないことの方が多かったくらいなのに、灰色の空の下、千尋との約束が静の足を美術室へと衝き動かしている。
雨足自体はそんなに強くないが、風が強く吹いているせいで、駅から校門まで歩く間にかなり濡れた。七月の蒸した空気のおかげで風邪を引くことはないだろうが、背中に張り付くワイシャツの感触はあまり気持ちのいいものではない。
ぺたぺたと湿った足音を立てて校舎の階段を上り終えると、美術室の前に見慣れたシルエットを見つけた。千尋が先に来てるなんて珍しいね、と声を掛けようとした静の口は、しかし意図した言葉を喋らなかった。
千尋は、廊下にもたれながら窓の外を見ていた。その横顔がいつもよりもずっと大人びて見えて、静は思わず息を呑む。
遠くを見るように細められた瞳と、薄く開かれた唇。雨のせいかしっとりとした重さをもった後ろ髪が、首筋に流れている。少年と大人、どのどちらともとれない肌の輪郭に、妙に胸がざわついた。
「…シズ?」
静の存在に気付いた千尋が、両耳からイヤホンを引き抜いて駆け寄ってくる。その表情は、既にいつもと同じ人懐こい笑顔に戻っていた。
「…練習、早く終わったの?」
「うん。こんな天気だし、キリのいいとこで終わりにしようってことになってさ。早くシズ来ないかなって窓から門のとこ見てたんだけど、みんな傘さしてっからわっかんねーのな」
千尋の答えを聞きながら、部室の鍵を回す静の手にぎゅう、と力が入る。
あんな千尋は知らない。見たことがない。あんな、切ない熱を孕んだ表情は。
ただそれだけのことなのに、頭の芯の方がどんどん真っ赤に染まっていって、静は行き場のないその火照りを持て余していた。
千尋に出会ってから、自分の感情の色数がどんどん増えているのは自覚していたつもりだった。けれども、こんなにも焼き切れるような思いに流されそうになったのは初めてだ。どくりどくりと脈を打つ、左の胸が軋んでいる。
「シズ、なんか顔赤いけど平気?もしかして体調悪い?」
ギターケースを下ろしながら心配そうに眉尻を下げて顔色を伺う千尋は、まるで子犬のように無垢だ。
その様子に何故だかひどく安堵して、千尋は体内の熱を逃がすように大きくひとつ深呼吸する。
「ごめん、大丈夫。画材、すぐに取ってくるから」
やや早口にそう告げて、準備室へ向かおうとした静の腕を、千尋の手が引き留める。
「絵とギター、今日はお休みってことにして。少しオレの話を聞いてよ」
掴まれている手首から、千尋の体温が流れ込んでくる。振り向いた静を捉えたのは、何かを乞うように揺れる二つの黒い瞳だった。
天候に恵まれない週末は家から出ないことの方が多かったくらいなのに、灰色の空の下、千尋との約束が静の足を美術室へと衝き動かしている。
雨足自体はそんなに強くないが、風が強く吹いているせいで、駅から校門まで歩く間にかなり濡れた。七月の蒸した空気のおかげで風邪を引くことはないだろうが、背中に張り付くワイシャツの感触はあまり気持ちのいいものではない。
ぺたぺたと湿った足音を立てて校舎の階段を上り終えると、美術室の前に見慣れたシルエットを見つけた。千尋が先に来てるなんて珍しいね、と声を掛けようとした静の口は、しかし意図した言葉を喋らなかった。
千尋は、廊下にもたれながら窓の外を見ていた。その横顔がいつもよりもずっと大人びて見えて、静は思わず息を呑む。
遠くを見るように細められた瞳と、薄く開かれた唇。雨のせいかしっとりとした重さをもった後ろ髪が、首筋に流れている。少年と大人、どのどちらともとれない肌の輪郭に、妙に胸がざわついた。
「…シズ?」
静の存在に気付いた千尋が、両耳からイヤホンを引き抜いて駆け寄ってくる。その表情は、既にいつもと同じ人懐こい笑顔に戻っていた。
「…練習、早く終わったの?」
「うん。こんな天気だし、キリのいいとこで終わりにしようってことになってさ。早くシズ来ないかなって窓から門のとこ見てたんだけど、みんな傘さしてっからわっかんねーのな」
千尋の答えを聞きながら、部室の鍵を回す静の手にぎゅう、と力が入る。
あんな千尋は知らない。見たことがない。あんな、切ない熱を孕んだ表情は。
ただそれだけのことなのに、頭の芯の方がどんどん真っ赤に染まっていって、静は行き場のないその火照りを持て余していた。
千尋に出会ってから、自分の感情の色数がどんどん増えているのは自覚していたつもりだった。けれども、こんなにも焼き切れるような思いに流されそうになったのは初めてだ。どくりどくりと脈を打つ、左の胸が軋んでいる。
「シズ、なんか顔赤いけど平気?もしかして体調悪い?」
ギターケースを下ろしながら心配そうに眉尻を下げて顔色を伺う千尋は、まるで子犬のように無垢だ。
その様子に何故だかひどく安堵して、千尋は体内の熱を逃がすように大きくひとつ深呼吸する。
「ごめん、大丈夫。画材、すぐに取ってくるから」
やや早口にそう告げて、準備室へ向かおうとした静の腕を、千尋の手が引き留める。
「絵とギター、今日はお休みってことにして。少しオレの話を聞いてよ」
掴まれている手首から、千尋の体温が流れ込んでくる。振り向いた静を捉えたのは、何かを乞うように揺れる二つの黒い瞳だった。