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ボーイズ・イン・ブルー

 千尋の瞳には迷いがない。至近距離で数秒見つめ合ったかと思えば、千尋は静の前髪を耳に掛けた。その甘やかな仕草に、静の鼓動がどきりと大きな音を立てる。離れていく手を追う静の横顔へ囁く千尋の声は、どこまでもやわらかかった。

「なんか不安に思ってるでしょ」
「……分かるんだ」
「分かるよ。シズはすごく優しいから」
「優しい?」

 それは自分ではなく千尋の方ではないのか――そんな疑問から、静は思わず鸚鵡返しをする。

「うん。シズは優しいから、いつも俺が傷付かないようにって、そういう考え方をしてくれるじゃん」
「……千尋はいつも俺のこと褒めてくれるけど、ほんとそんな大層なものじゃないよ。今だって、結局は自分のことばっかり考えてる」
「それでもいいよ。だから、シズさえ良ければ俺に全部話して」

 つい先ほど頭の端を過った身勝手な問いを、千尋はどう受け取るだろうか――そう思いつつも、静はどこかで「千尋なら受け止めてくれる」と信じている自分がいることも感じていた。
 そっと、胸のうちの思いを告白する。

「これから先のことを考えると、怖くなる。当たり前のことだけど、自分の気持ちも、千尋の気持ちも、どうなっていくか分からないから。……なんて、そんなこと気にしたってしょうがないじゃんって、千尋に笑い飛ばして欲しいだけかも」
「笑わないよ。俺も、シズと同じようなこと、考えるときあるし」

 でもさ、と千尋は再び静の方へ手を伸ばし、手のひらで白い頬を撫でた。

「ずっと一緒にいられたら最高だよなって、それは変わらないから」

 その力強い声を聞きながら、静はそろりと目を閉じる。ただ一度、このあたたかい手にこうして触れられるだけで、頭の中に巣食っていた全ての靄がどうでもよくなる――そんな風にすら思える。今はただその感覚を信じてみようと、そう思わせてくれる。千尋と一緒なら、きっと大丈夫なのだと。

「……そういえばさ、それは何を描いてんの?」

 ゆっくりと手を引いた千尋は、そのまま静の向かい合うキャンバスを指さした。白いキャンバスには、ぼんやりと人影の原型のようなものが浮かび上がっている。

「この間の千尋……のつもり。おれ、人物画ってあんまり描いたことないんだけど、この間見たステージ、忘れたくなくて」

こんな絵は、前までの自分だったら絶対に描かなかったし、掛けなかった。
少し形を持ち始めた少年の輪郭を、少しずつ少しずつ濃くしていく。この絵のように、じっくりと千尋のことを知っていけたらいい。

「うん、オレ、シズの絵すごく好きだな」

 これまでの日々の中では、キャンバスの中こそが静にとっての世界のすべてで、空想の中を自由に飛び回るための大事な庭のような存在だった。けれども今、その白い庭の中心には、ただ一人の少年がいる。
静の世界は、すぐ隣で息をして、子供のようにその目を細めて笑っている。

End.
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