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ボーイズ・イン・ブルー

 絵筆を執って、色とりどりの水彩絵の具を重ねていく。赤、青、黄、緑。それぞれの色合いを損なわないようにと気を配りながら筆を動かすこの時間を、静はとても好ましく思っている。
 色を乗せる前の真っ白なキャンバスは、無垢でこそあれど、どこか寂しい。まるで少し前までの自分の心のようだ、などとらしくなく詩的な思考を抱いてみたりして、静は一人気恥ずかしい気持ちになる。

何も描かれることのない、一点の曇りもない白。それは、千尋との時間を知らない静の心だ。
自分の世界の外への興味を持たず、いつもスケッチブックとばかり目を合わせていた。自分以外の誰かの存在によって、自分を擦り減らすことを厭った。そうして自らの殻に籠りきりになっていた静を連れ出したのは、千尋という眩い存在だったのだ。

――千尋が俺を見つけたのは、本当にたまたまだったんだろうな。

 あの日はとりわけ暑くて、普段であれば閉めることの多い美術室の扉を開け放していた。千尋があの時美術室の前を通りかかったのも、たまたま隣の準備室まで機材を取りにきたからだったらしい。その偶然によってこんなにも見える世界が変わってしまったのだから、「人生何が起こるか分からない」なんて月並みな言葉を笑う気にはなれない。

 からから、と入り口の扉が横に滑る軽い音がする。土曜午前の練習を終えた千尋が、あの日と同じようにギターケースを背負って立っていた。

「失礼しまーす」

 千尋は慣れた足取りで静の隣まで歩いてくると、ギターを下ろし椅子に腰を落とした。

「お疲れ。寒いね、今日」
「ほんと凍るよね。結局パーカーとカーデでどっちがあったかいんだろうな~」
「カーディガンも結構風通すし、結局制服着てるうちは防寒できないよね」

 この美術室で何度も繰り返したとりとめのない会話。こうして笑い合える時間を知ってしまったら、もうあの日を迎えるまでの自分には戻れそうにない、と静は思う。
 
ちょうど会話が途切れたタイミングで、静は昨日の件について尋ねるべく再び口を開いた。

「……そういえば、そっちも進路調査票もらった?」
「あー、あれね。どうしよっかな~~って思ってんだよね」

 千尋は大きく伸びをして、静に向き直る。

「シズは?やっぱりそこそこ良いとこ受けんの?」

 まっすぐに投げかけられた問いに、静は筆を持つ右手を止める。
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