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ボーイズ・イン・ブルー

 思考回路が些かクリアになったところで、静の両目が先ほど千尋が肩からおろしたギターケースを捉える。千尋はギターを弾くんだな、なんて当たり前の感想をぼんやりと思い浮かべていると、視線に気付いた千尋が再びケースへと手を伸ばした。

「気になる?オレ、軽音で弾いてんだけど、見たことない?去年も文化祭出てさ、結構盛り上がったりして」
「そうなんだ。文化祭、ほとんどここで作品展示の係やってたから」
「そっか。そうだ、ちょうど今これ練習しててさ。ちょっと弾いてもいい?」

 言うが早いか、千尋はギターケースから黒いボディのレスポールを取り出して、ストラップを肩に掛けた。
 リピート再生真っ只中のプレーヤーの安っぽい音の波を、千尋が弦を弾くぴん、と張った音の連なりが追い掛ける。

「生音じゃ迫力はないけど、雰囲気は出てるっしょ」

 そう誇らしげに話す目元が先ほどまでよりもやや幼く見えて、縦横無尽に指板の上を行き来する手つきと妙にミスマッチに見えた。その不釣り合いなコントラストが、静の網膜に鮮烈に焼き付く。
 楽しそうに弦を掻き鳴らす千尋の指先をじっと見つめる。その厚くなった皮の硬さが、他でもない千尋の努力の跡を知らせた。

「…ギター、好きなんだね」
「うーん、何かもう生活の一部って感じになっちゃっててさあ。触ってないと落ち着かない…は言い過ぎかもだけど、でもほんとそんな感じで」
「楽器のことは全然詳しくないから何となくだけど、でも、千尋がすごく頑張ってるんだろうなっていうのは分かるよ」

 頭の中に浮かんだ素直な感想を率直に告げる。てっきり「そう、オレって努力家だからさ」なんて言っておどけてみせると思っていたのに、千尋の頬にはさっと熱が集まり赤が差した。

「うわ、何かそうやって真正面から褒められるとめちゃくちゃ恥ずかしいな…」
「千尋は変なところで照れるね」

 窓から吹き込む風に目を閉じると、それが合図になったのか、止まっていた千尋の両手が再び動き出した。
 心地よい音色にそのまま瞼を下ろしていると、突然馴染みのない歌声が鼓膜を揺らし、静は思わず目を開いた。爪弾く指は止めないままで、千尋が言う。

「人がいないから押し付けられたってだけだけど、オレ歌もやってんだ。ギターほどじゃないけど、そこそこだろ」

 まだ少し先ほどの赤みの引ききっていない頬を持ち上げて、千尋がはにかむ。

「俺、すごく好きだよ。本家より全然いい。ギターも良いけど、歌、すごく良くてびっくりした」
「何だよシズ、さっきからやたらと褒めんな!」
「そう?本当にそう思ったから言ったんだけど」

 照れ隠しからか大げさに驚いてみせる千尋がおかしくて、静はくつくつと肩を揺らして笑った。思えば、こんな風に誰かと話したのはいつぶりだっただろうか。

「なあ、オレ来週もこの時間部活でいるからさ。シズも来るなら、またギター聞いてよ。別のも練習してくるから」
「土曜は大抵いるよ。楽しみにしてる」

 静の答えに「やった!」とはしゃぐ千尋の笑顔に、皮膚の下を流れる血液の温度が少し上がったような気がした。
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