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ボーイズ・イン・ブルー

 ありふれている春の日に、世界は少し鮮やかになった。

 今日も今日とて、伸ばしっぱなしになった前髪越しの景色を見ている。
 高校生活二度目の四月、麗らかな陽射しを浴びながら、滝沢静は校門を潜り抜けた。
 なまぬるい春の風が静の横を容赦なく通り抜けて、うなじを隠していた後ろ髪を舞い上げる。何となく落ち着かなくて、不恰好に乱れた襟足を直した。
 グラウンドを横切り、窮屈な革靴を下駄箱に押し込んで、それからすぐに職員室へ。形ばかりの顧問から錆びた鍵を受け取ったら、まっすぐに三階にある美術室を目指す。

 土曜日の昼下がり、校舎内に生徒の姿はほとんどない。平日の喧騒を脱ぎ捨て、空っぽになった校舎に静けさが満ちているこの瞬間が、静の密かな楽しみだった。
 開け放たれた廊下の窓から吹き込む春風が、新緑の匂いを運んでいた。どこからか吹奏楽部のマーチングが聞こえてきて、思わず歩調を合わせてしまう。そうして規則正しく階段を上り切れば、目的地は目の前だ。
 鍵を回し、がらがらと戸をずらせば、静を包む空気に画材や木工の乾いたにおいが混じる。案の定、先客はいないらしい。

「失礼します」

 入ってすぐの棚に鎮座する石膏像たちへの挨拶も、今ではすっかり癖になってしまった。
 そういえば、最後に部室を掃除したのはいつだっただろうか。薄く埃を積もらせたヴィーナス達に向かって、「近いうちにきちんと綺麗にします」と心の中で苦笑する。
 荷物を下ろすと、締め切られた窓を全て開け放って、静は室内に春を呼んだ。慣れた手つきでイーゼルやパレットなどを準備し終えたら、丸イスにそっと腰掛ける。
 さわさわと風が葉を揺らす爽やかな音に、遠くで笑う運動部員たちの楽しそうな声。それらの伴奏にオーディオプレーヤーから流れる軽やかなギターのサウンドを足して、静は筆を手に取った。

 まっさらなキャンバスを前に、さて何を描こうかと意識を空想の世界で泳がせる。目を閉じていたせいで、入り口からこちらを覗くひとつの気配に気付けなかった。

「それ、オレもすげえ好き!」

 後方から突然飛んできた軽快な声に、静の肩が跳ねる。反射的に振り向けば、一人の男子学生がドアの方からこちらへ向かって歩いて来るのが見えた。
 想定外の訪問者に二の句を継げずにいる静のことなどお構いなしといった様子で、少し癖のある栗色の髪を揺らしながらぐんぐん距離を縮めてくる。

「このバンドほんと良いよな~。これ一番キャッチーなやつだけどさ、他のも聞いたりする?」
「えっ、と、一応アルバム全部持ってる、けど…」
「マジで?オレもオレも!」

 何もかもが突然過ぎる。困惑しっぱなしの頭でたどたどしく答えると、あっという間に静の隣まで辿り着いたその生徒は、快活そうな黒目がちな瞳を子供のように細めて笑った。

「クラスの奴らってこういうのあんまし聴かないじゃん?だからヤベー!と思って、気付いたら声掛けてた」
「…はあ……」

 楽しそうに話す横顔が人懐こい。邪気のないその表情から、明るく人好きのする性質が見て取れた。
 パーソナルスペースに土足で踏み込まれているような状況にもかかわらず、不思議と不快に感じないのは、彼のその人柄ゆえなのだろう。初対面の相手にしては少々気安すぎる態度を、屈託のない笑顔がカバーしている。

「オレ、A組の瀬田。瀬田千尋」

 男子生徒――瀬田の上履きには、自分と同じ学年を表す赤いしるしがついている。瀬田は静の足元と自分の足元とを交互に指差して、再び静に弾けるような笑顔を向けた。

 ガラス越しに差し込む木漏れ日が、瀬田の丸い瞳の中で春風に揺れている。そのきらめきが眩しくて、静は思わず目を細めた。
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