夢見る大晦
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午後6時過ぎ。
掃除も無事に終わった夢見る夢子は、キッチンに立つとポットで湯を沸かしている。
この頃には身なりもきちんと整えていた。
我ながらよくこの1日で大掃除を仕上げられたものだ。しかも、まさかこんな所でコレを見つけるとは…。
そう思いながらテーブルの上に置かれたモバイルバッテリーを眺めた。
― ピンポーンッ
やがてポットの湯が沸くとほぼ同時に、インターホンが来訪者を告げた。
このマンションはオートロックでエントランスと部屋の前でインターホンを押す必要がある。
何かと物騒なこの世の中では、セキュリティは重要だ。
にも関わらず、夢見る夢子はポットのスイッチを切るとカメラで訪問者が誰かを確認することもせず、解錠ボタンを押した。
なんとも無用心な行動。
だが、それは彼女がこの来訪者が誰か既に分かっているからのこと。
つい数分前に「マンション前に着いた」と電話があったのだ。
向こうが忘れていったとは言え、わざわざ取りに来るとは…急ぎではなければ自分から届けに行くのに…。
こちらには一切の非はないのだが、なんだか少し申し訳ない気分になった。
それから数分後、今度は部屋のインターホンが鳴る。
「はーい」
彼を待たせてはいけないと、夢見る夢子はパタパタと小走りに廊下へと出ると玄関へ。
そしてここでもドアの向こうが誰かを確認もせずに鍵を開けた。
「いらっしゃいませー」
「んー、一昨日ぶりだな」
ドアを開けてそこにいたのは、今井寿その人。
ちなみに彼は「一昨日ぶり」というが、打ち上げは日付を越えた時間まであったので正確には「昨日ぶり」が正しい。
「すみません、わざわざ立ち寄ってもらって…」
「いや、俺が忘れたんだから。むしろ悪かった」
とりあえず外は寒いからと中へ招き入れると、沸かした湯で珈琲を淹れる。
その間に何度か部屋を訪れたことのある今井は馴れた様子でソファに腰掛けた。
彼がオフにも関わらず夢見る夢子の家へ訪れた理由、それはテーブルの上に置かれたモバイルバッテリー。
掃除の際にソファの下から偶然見つかったそれは夢見る夢子の物ではなかった。
自分が使うモバイルバッテリーは、スマホを買った際に適当に契約キャリアの物を買った。
しかし見つけたそれは自分の知らないメーカーの物で、見た感じ通向けの物っぽい。
一体何故、こんな物がソファの下にあったのか。
考えること数分。
夢見る夢子はあることを思い出した。
それは約2ヶ月ほど前のこと。
BUCK-TICKメンバーと千葉マネージャーや千葉なども含め、関係者一同で飲み会があった。
その日は全員が絶好調でなかなかお開きにはならず、営業している店の方が減っていく始末。
そこで酔った横山が言ったのだ。
「夢見る夢子さん家で飲みましょうよ!」
皆、夢見る夢子が身内のコネもあって広くてそこそこ良い部屋に住んでいることは知っていて、それを良いことに行く宛を無くした際の飲み会会場として扱われることが屡々(しばしば)あった。
最初こそ女性の一人暮らしに複数人がしかも男だらけで押し寄せるのはどうなのか…と、一瞬冷静に戻った者から躊躇する声も挙がったが夢見る夢子は特に皆に疚しい気が無いことも理解しており、何より世話焼きな性格ということもあり自らこれを快諾。
以降は遠慮の"え"の字も無くなり定番のたまり場となっていた。
そしてその日も朝方にかけてまで夢見る夢子の家で三次会を決行。
いつも通りのことだった。
しかしその数日後、仕事中に今井から「バッテリーを無くした」という話が出た。
現在使っているスマホの使用年数の影響か、会報用のネタに写真を撮ったり音楽を聞くなりしていると以前よりも充電の減りが気になっていた。
そんな時に調べて見つけたモバイルバッテリーがマニアックなメーカーの物で、そこら辺にある物より若干割高ではあるが充電回数や保ちも良く、とても気に入っていたらしい。
どこで無くしたのか記憶に一切なく見つけることも諦めかけていたが、気に入っていただけあって彼の残念そうに笑う姿が切なく記憶に残っている。
もちろん、それを聞いた夢見る夢子は自宅での飲み会を思い出し部屋を探してみたのだが数日たっていたこともあり状況の記憶も曖昧で結局見つけ出せずに終わったのだ。
つまり、それがコレ。
偶然にも見つけた夢見る夢子は嬉しさと、今井を安心させる為にもすぐに連絡をした。
こちらとしては年明けの仕事の際に届けるつもりでいたが…
すると彼はわざわざ今日、自宅まで取りに来ると言い出して今に至る。
「はい、どうぞ。寒かったでしょう?」
「ありがとう」
今井の冷たい手に暖かい珈琲を。
そして問題のモバイルバッテリーを目の前のテーブルへ。
「はい、コレですよね。見つけるのが遅くなってしまって申し訳ありませんでした…」
「いや、こっちこそ悪かったな」
そもそもは飲んだくれて勝手に無くしてしまった自分に原因があるのだと彼は苦笑した。
「一応、バッテリーは満タンにしてますよ」
「そうなの?気が利くな、ありがとう」
さすがは敏腕マネージャーと誉めつつ既に充電が少なかったのか、さっそくバッテリーをスマホへと接続する今井。
黒い本体に付いた小さなランプが淡く緑に光り、充電の開始を知らせる。
「それでどのくらい充電できるんですか?」
「えーっと、だいたい満タン17、8回分だったかな」
「えっそれ凄い!」
数時間前までは大掃除なんてクソくらえとまで思っていたものの、自慢げに嬉しそうに笑う今井を見て発見のきっかけを与えてくれた大掃除に少しだけ感謝する。
「最近のモバブって凄いんですねー」
「モバブって久々に聞いたな…」
モバブとは……
2007年当初、今はPanasonicに買収された三洋電機から発売された『モバイルブースター』のことで、まだ知名度の高くなかったバイルバッテリーの名を広めた先駆け的な商品だった。
今やモバイルバッテリーの種類やメーカーも増えて名前こそ聞かなくなったが当時のユーザーでモバブの名前を使う者もいる。
夢見る夢子も機械に拘りがあるわけではないのだがあちらこちらに走り回る仕事柄、当時はモバブには大変お世話になった為そう呼んでいて、ちょっとした癖のようなものになっていた。
「今じゃスマホだけじゃなくてタブレットとかも使うからその容量があると安心ですね。私、地方の時とかはたまに最近買ったのと昔の2個持ちする時ありますもん」
「夢見る夢子はただでさえ荷物多いから大変だな。…よかったら、これ使うか?」
「えっ!?何故いきなり?」
突然のプレゼント発言。
一体何故かと驚いたが、今井いわく「無くしてる間に新しいの買った」とのこと。
確かに毎日のように使う必需品が無くなってしまった場合は『買い直す』というのが手っ取り早い手段といえよう。
しかし貧乏性な夢見る夢子にはなかなか出来ない手段であり、今井の申し出は正直とても嬉しい。
「本当に良いんですか?私がもっと早く見つけてれば新しいのを買わなくて済んだのに…申し訳ないです」
「無くしたのは俺だし気にするなって。変に遠慮されると、気持ちわりー」
「えぇっ!?」
そう言ってからかうように夢見る夢子の顔をのぞき込み、額を軽く小突く今井。
見慣れているはずの少し意地悪そうな笑みもも不意に至近距離で見れば心臓が跳ね上がるのは必然的。
急な不意打ちに夢見る夢子は額が少し痛み、顔が赤くなるのを感じつつも彼がワザとやっていることは理解していた。
元々恥ずかしがり屋な彼女は飲みの席でもしょっちゅうからかわれてはいるものの、これだけは馴れない。
「甲斐甲斐しいマネージャーに向かって酷いー、千葉さんと横山さんに言いつけてやるー」
「あの二人に話しても何にもならないだろ」
「確かに。じゃあ櫻井さんとユータさんは?」
「それは面倒くさいから止めろ」
まぁ、これも長い付き合いと信頼関係があってこその単なるじゃれ合いだ。
そう夢見る夢子は考え、すぐに落ち着いた。
しかし、ふと考える。
モバイルバッテリーを貰ったのは良いものの、今井は同じ物をすでに持っているならば何故わざわざ大晦日にもかかわらず自宅にまで取りに来たのだろう。
普通に考えればこんな無駄に手の掛かることは不要な筈。
するとそんな考えを遮るように、思い出したように、今井は夢見る夢子へ尋ねた。
「そういえば、夢見る夢子も予定あるんだろ?悪いな忙しい時に邪魔して」
「え?いや、大丈夫ですよ。今年は地元にも帰らず此処で一人年越しなんです」
「ぼっち?」
「ぼっち言わないで。実は友人を呼んで年越しする予定だったんですけど……彼女が急に地元に戻らなきゃいけなくなって急遽中止に。家の事だから仕方ないし、たまには良いかなって今年はのんびり自由に過ごすことにしました」
今さら自分も地元に帰る準備をするのも面倒、いざ年越しイベントに参加しよう行動力もなく、なにより面倒。
そもそも年越し自体にウキウキとする年でもなく、何もないならそれはそれで良いという結論に至ったらしい。
まぁ、残念といえば友人と二人で飲み明かす為に楽しみに用意していた何本もの酒の符を切れないことくらいだろうか。
「こんなアクシデントも良い思い出にして、新しい年を迎えたいと思います」
「前向きだなー。じゃあ、そんな前向きな所にいいか?」
「はい、なんですか?」
こんな年末になんだろうと夢見る夢子が首を傾げれば、今井は表情一つ変えることなく遠慮する様子もなく尋ねてきた。
「俺も一緒に此処で年越しして良い?」
「え?此処で年越し?」
一瞬、耳を疑った。
今、此処に来て、此処で年越しをさせろというのか…
……しかしよくよく考えてみると、彼らがこの家に飲みに押し掛ける時はいつもこんな感じの軽いノリで押し掛けてくる。
まさか大晦日に頼まれるとは思ってはいなかったが…。
大方、急に飲みたくなった連中が集まったものの店の確保が出来なかったのだろう。
それならば今井が連絡を貰ってわざわざ家までやって来た理由も、直談判で意地でも場所を借りる魂胆だったという仮説も建った。
一般常識として色々と思うことはあったが…………
結果として夢見る夢子は了承することにした。
ぼっちの年越しより多人数の方が楽しいことには変わりない。
「また、急ですねぇ。まぁ、この際なんで良いですよ。でも元々二人だけで集まる予定だったので、大人数だったらおつまみとかお酒とか買い足さなきゃなので少し待ってもらえると…」
「んー、俺だけだしある分で良いな。打ち上げでだいぶ飲んだから今日はそんなに飲まない」
「……へ?」
今、彼は何と言った?
先程は此処で年越しをさせろと言った。
それを夢見る夢子はいつもの事だと考えて了承した。
きっといつものように櫻井を始めとするメンバーや関係者など多ければ8~9人くらいで押し寄せて来るんだろうなぁと思っていた。
しかし、彼は何と言った?
俺だけ?
「えーっと…何人か中、今井さんだけってことですか?」
「違う違う。邪魔するのが俺だけ」
「………」
とりあえず冷静になろう。
夢見る夢子は頭を抱えた。
いつもと違う上級者に思考が追い付いていないでプチパニックになっているが、つまりは……ーーー
ふと、今井がそれまでと違う空気を纏った。
「夢見る夢子と二人だけで年越ししたい」
改めて分かりやすいようにと言わんばかりに、はっきりと告げられた言葉。
今まで今井と一緒に飲んだ機会は数知れない。
ただし、それは必ず多人数で『二人だけで』なんてことはなかったし、誘われたことも今の今まで一度もなかった。
「あの…それは…」
「嫌か?」
『駄目』かどうかではなく、『嫌』かどうかで聞いてくるのはとても困る。
答えにくいことこの上ない。
しかも先程のようにからかうこともなく、ただこちらを真っ直ぐに見つめる瞳…。
今井がどういうつもりで言っているのかは分からない。
だが、この目を夢見る夢子は知っている。
これは本気(マジ)の目だ。
そんな瞳に見つめられ、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が硬直する。
脳内ではまるで耳元に心臓があるではと錯覚するほど、バクバクと鼓動の音が鳴り響いている…
個人として素直に伝えたい言葉と、マネージャーとしてコンプライアンスを考慮した言葉が犇めいでいる…
まさかの波乱の年越しを迎えることとなった今年も残り4時間51分…。
【夢見る大晦】
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