「ラップ。お前は彼女のことをどう思う?」
その唐突な問いを理解するまで、副官は数瞬の間を要した。
何しろつい先程まで自分と彼はこの基地における備蓄の話と、前線に立たすに足る技量を持った貴銃士がどれだけいるのかという話をしていたところだったのだ。突如現れた「彼女」たる人物が誰であるのか、ラップは懸命に記憶を手繰る。
最初に思い至ったのは、目の前で猫のように笑う皇帝陛下が、既にこれまでの会話に飽きたのだろうという推測であった。落ち着きがなく飽き性なのは彼の常だ。充分な理解が得られたのかどうかは定かではないが、彼は今までの話題に興味を失っている。
そうして次に思い至ったのは、赤十字の腕章をつけた娘の姿だった。そういえば、陛下はいたく彼女を気に入っている様子だった。今朝基地内で見かけた時も、抱きつかんばかりに彼女と距離を詰めるものだから、引き剥がすのに苦労したのだ。
数秒とかからぬうちに考えをまとめ、そしてラップはぽつり、回答を提示する。
「……マスターですか」
「そのとおりだ!」
ナポレオンが手を叩き、破顔する。自身の答えが間違っていなかったことに小さく息を吐き、副官は言葉を続けた。
「『どう』と仰られましても、難しいですね。私はまだ、然程彼女と親交を深めてはおりませんので」
「何だ、私より前にこの基地に参じていた割にはつまらない答えだな」
「ご期待に添えず申し訳ありません。まあ、悪い人物ではないと思いますよ」
心にもない謝罪と共に当たり障りの無い印象を語れば、ナポレオンはにんまりと目尻を下げた。その笑顔に、思わずたじろぐ。この回答の何が、彼を満足させたというのか。その動揺など気付いていない様子で、しきりにナポレオンは満足げに頷いていた。
「そうかそうか、成程、つまりお前の彼女に対する興味はその程度ということだ。ならば好都合」
「陛下、先程から一体何のお話で…」
「ならば私が彼女を手に入れても異論はないな、ラップ」
瞬間、ラップは再び言葉を失った。
突拍子も無いのはいつものことだ。ただ、今の発言はこれまでで一番意想外で、思考を消し飛ばすには充分な効果があった。眼前の主君は呆然と佇む自身の姿には目もくれず、陶酔した様子で言葉を続けた。
「これまでいくらか話をしたが、あの娘は中々に私を満足させてくれる!控えめで、他者に対する優しさに溢れ、私に対して無駄口を叩くことは一切ない!これまで修道院で暮らしていたそうだが、そのためか所作も品がある!私が何を頼もうと、『はい、畏まりました陛下』と膝を折るのだ。実に立場を弁えた奥ゆかしさがあるではないか!」
──頭を抱えたくなる。
自分にも一因がある。己をナポレオン・ボナパルトだと思い込んでいる彼のことをそう扱ってやってくれとマスターに頼んだのは、他でもない自分なのだ。そのせいで、彼はマスターに惚れたというのか。己のことも誤解したまま、他者に愛を囁くというのか。
「陛下……僭越ながら申し上げますが、マスターの意思についてはどうお考えですか」
「案ずるな!無理強いはしないぞ、私は紳士だからな!だが、この私に口説かれて否と答える女性が果たしてこの世にいるかな!?」
どこから溢れてくるのだろうか、その根拠のない自信は。
しかし、得意満面な様子でラップに向けて人差し指を突きつけていたナポレオンは、ふと思案するようにその指を顎へ移動させた。
「……一度選んだ信仰の道を捨てるなど、どれ程の葛藤があっただろうな。世界帝軍に教会を焼かれたと言っていたが……不憫な娘ではないか。失った分の何かを与えてやりたいと思うのは当然のことではないか?」
碧色の双玉が、自身ではないどこかを見ている。視線の先は壁だが、それを越えれば衛生室がある方角だ。それに気付き、副官は反論の言葉を飲み込んだ。ナポレオンの目が、あまりに真っ直ぐに彼女を見つめていたせいで。
ふふふ。場の空気を壊したのは、低く不穏な含み笑いだった。
「いや、お前が彼女に懸想などしていなくて本当に安心したぞ、ラップ!さすがの私も、信頼すべき右腕と女性を巡って争うのは気が引けるからな!それに、お前が除かれるなら、この基地に競争相手は本当にいなくなる!」
「……そうは仰いますが、陛下。彼女を慕う貴銃士は、大勢おりますよ」
「貴銃士はな!だが、『人間』は私だけだ!」
胸を張って彼が言い切るものだから、一瞬ラップは納得しかけた。だが、すぐに心の中で頭を振る。何を言い出すのだ、この男は!
「このような言い方をするのもあれだが、貴銃士達の正体は銃だ。人ではない。人間である彼女が、人間である私を選ぶのは世の摂理だろう!」
「お、お待ち下さい陛下、レジスタンスの隊員には普通の人間も多くおりますが」
「私が並の男共に負けるとでも!?フランス皇帝、ナポレオン・ボナパルトだぞ!?」
待っていろ
シエラ、綿密な計画を立てて、必ず君を幸せにしてやる!覚悟しておけ!
部屋の中に高笑いが響く。
最早ラップは、彼に掛ける言葉を完全に失っていた。端的に言えば、全てを諦めた。
ナポレオンの理屈に沿うならば、彼がマスターに選ばれることは決してない。彼も、紛うことなき貴銃士なのだ。だが、それを彼に説明し、納得させることは現時点ではどう考えても不可能だろう。
ああ、いっそのこと、マスターが誰か他の男と交際を始めてはくれないだろうか。きっとそうなれば、この赤毛の皇帝陛下は滑稽なまでに取り乱すのだろうが。
彼の無駄な行動力と無駄に明晰な頭脳が実を結ぶことがないよう、密かにラップは祈りを捧げた。
目に見えている面倒は御免だと、心の底から嘆きながら。
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