SIREN
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この小説の夢小説設定▼牧野夢主
女/17歳/高校生
羽生蛇村在住の高校二年生。薙刀部所属。
明るく活発。
小さい頃から求導師様大好き。
▼三上夢主
女/編集者
三上脩の担当編集兼恋人。
夜見島に行くと言った三上に同行して島へと赴き、共に異変に巻き込まれる。
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「彼女に対する感情は、恋ではないと思うんです」
この男、愈々訳の分からないことを言い出した。
赤く染まった雨が、音を立ててひび割れた窓を叩く。この異様な光景を目にするのも何度目になるか。正確な回数は覚えていないが、両手の指で足る時点はとうに過ぎた。こうも繰り返すと流石に慣れてくる。もう驚きは一切無い。
かつてこの世界で俺は死んだ。しかし、歯車のように回り続ける世界は終わりと始まりを繰り返し、また俺はこうしてここで――27年前に消失した宮田医院の診察室で息をしている。
そして、目の前では同じ顔をした双子の兄が、力無い笑みをへらへらと浮かべている。
まさか、この人とこうやって喋ることになるなんて、かつての俺は考えたこともなかった。
幾度も繰り返す世界の中で、俺はこの人を殺した。また、この人に殺されたこともあった。
いつだったかこの人が呟いた「逆だったら」という言葉通り、育てられる家を違えたループもあった。「宮田」と「牧野」どちらの生き方も経験し、はじめて俺達は互いの苦悩を理解した。
その記憶全てを抱え、今俺達は同じ空間に存在している。
未だ普通の兄弟とは言い難いだろうが、恐らく今の俺がこの人に銃口を向けることはない。うん、多分、恐らく。この人が余程阿呆なことでもしでかさない限りは。
そう考えていたところだったのに、冒頭のあの台詞ときた。今うっかり一歩でも外に出たら、俺はそのままこの人を粗戸の中央交差点へ引き摺って行きかねない。
俺の眉間の皺と引き攣った口元に気付いていますか、牧野さん。何度でも言ってやりますよ、「さよなら兄さん」と。
いや、それ程に、今の発言は俺にとって衝撃だったのだ。何というか、この男、この期に及んで何を言い出すのかと。
「……牧野さん」
「はい」
「あなたは変わった。血を分けた弟として、本当にそう思います。今のあなたは、何も為そうとしなかった道化の求導師じゃない。武器を取って化け物と戦うことも厭わなくなった、謂わば真の求導師です」
「いえ……そんな」
「ですが」
一旦言葉を切り、足を組んで椅子に座りなおす。俺が発する無言の圧力に気付いたか、牧野さんは僅かに身動ぎした。
吸い込んだ息を深く吐き、そうして俺は再度口を開く。
「今更何を言い出すんですか、牧野さん」
「な、何を、とは」
「ネタはとっくに上がってるんですよ。あなたがこの世界で足掻くのは――武器を取って戦うようになったのは、一体誰のためですか。俺や村人たちのためなんて綺麗事はこの際置いておきましょう。あなたが本当に救いたい相手は、かつてあなたのために死んだ奈瀬夕夏一人じゃないんですか」
はっきりと名を出すと、面白いほどに牧野さんの目は泳いだ。いい歳して、こんな分かりやすいリアクションを見せる男が他にいるだろうか。嘘や隠し事には不慣れなんだから、いい加減認めた方が楽になるだろうに。
「それは――良くない言い方ですが、負い目があるだけです。かつて彼女を死なせてしまったという」
「借りがあるから返すだけだと? 何百何千のループに耐える理由にはならないでしょう。それとも、ここへ来て他者を守る使命感にでも目覚めたんですか? 何ともご立派な求導師様だ」
「それは……」
皮肉を返せば口篭る。しかし、意外にこの人は強情だな。少し揺さぶれば本音を出すかと思ったのに。気弱な癖に頑固なんて、つくづく面倒くさい男だと溜息を吐きたくなる。
別に、俺だって恋愛の手助けをしてやろうとか、背を押してやろうみたいな殊勝な気持ちで口出ししてるわけじゃない。牧野さんが誰と付き合おうが、正直心底どうでもいい。
三十路を間近に控えた男が十も年下の高校生に懸想してるというのが、世間的にアウトだということも分かっている。ただ、あの求導女の膝に縋り付いて「八尾さん、八尾さん」とべそをかかれるよりは遥かにマシだ。
その八尾比沙子だって、既にこの人の手を離したのだ。それは牧野さんにも分かっているはずだ。
教会の箱入り息子。他者への依存心が人一倍強い男。まあそれはだいぶ薄れたとは言え、世間知らずなところは変わらない。一人で何処ぞに放り出したら、間違いなく生きてはいけない。その時尻拭いのお鉢が回ってくるのは誰だ。恐らく実弟である俺だ。それは何としても避けなくてはならない。
だから、必要なのだ。牧野さんを支えてくれる相手が。そして、そいつは手を伸ばせばすぐに届く場所にいるっていうのに、当のこの人は一向にそうしようとしない。
それが歯痒い。かつてその手を求めていたガキの俺が、胸の内で叫ぶのだ。あなたの手を求める人間は確かにいるのだと。
「……負い目があるのは、嘘ではないんです」
ぽつり、目を伏せた牧野さんが言葉を落とす。
「彼女は、肉塊になった私と一緒に炎の中へ消えてくれました。愚かな私は、そうなるまで彼女からの想いに気付かなかった。そして、彼女を思いやることもしなかった。だから、彼女だけでも虚母ろ主の輪から救い出したいんです」
「本当に、それだけだと?」
「……それだけで、充分です。今更彼女に気持ちを伝える資格なんて、私にはありませんから」
資格。資格ときた。と言うか、それはもう好きだと言ってるも同然じゃないですか、分かってるんですか牧野さん。
「かつてアイツを死なせたから、自分には資格がないと? そんなこと言い出したら、俺があなたを兄と呼ぶ資格だってありませんよ」
「み、宮田さん、そういう意味では」
「今こうして生きているのに、何を気にする必要があるんですか。どうせアイツは馬鹿だからそんなややこしいこと考えちゃいませんよ。なのにいつまでもウジウジと、本当にしつこい男だな!」
「宮田さんだって懲りない上にしつこいですよ! あと夕夏ちゃんのこと馬鹿なんて言わないで下さい!」
互いにヒートアップしてきたのが自分でもよく分かる。売り言葉に買い言葉。最早ガキ同士の喧嘩だ。この歳になってこんな兄弟喧嘩をする羽目になろうとは。
ああ苛つく。これまでの何も為さなかった牧野さんも見ていて苛々したが、一端に反論してくるようになった牧野さんもそれはそれでムカつく。
大体、なんだ、アイツのこと悪く言われて腹が立つのか。だからそういうのが証拠だって言ってるんだろうが。いい加減認めろ。
恨めしそうに視線を向けてくる牧野さんに向けて、尚も俺が言い返そうとしたその時。コンコンと、ノックの音が耳朶を打つ。
「あ゛!? 誰だ!」
目の前の男にぶつけられるはずだった苛立ちを、そのままドアの向こうの相手に向ける。
今やこの病院は生き残っている連中の詰め所だ。だから、誰が訪ねてきてもおかしくはない。しかし、まさか化け物が入り込んできたんじゃないだろうな。万が一に備えて、ネイルハンマーを強く握り込む。
だが、ドアの向こうから聞こえてきた声は、実に脳天気なものだった。
「奈瀬ですけど……えっ、なに、センセー機嫌悪い? 八つ当たりとか大人気なくない?」
あーうるさいうるさい。よりにもよって、一番面倒な奴がやって来た。
顔を手で覆う俺とは対照的に、牧野さんの目が一気に輝く。今まで実に面白くなさそうな顔をしていたくせに。
いそいそと駆け寄り、牧野さんがドアを開ける。俺はまだ返事すらしてないだろうが。27年前の建物とはいえ、ここが「宮田医院」である以上、この病院は俺の領分だと思うんだが。まあいいんですけどね、別に。
「夕夏ちゃん、いらっしゃい。どうしたの?」
「求導師様!こっちにいらっしゃったんですね」
二人揃って声が弾んでいる。傍から見てる方が恥ずかしい上にもどかしい。
「うん、少し宮田さんと話してて、ね――」
……瞬間、嬉しげだったはずの牧野さんの様子がおかしくなった。俺からは後ろ姿しか見えないが、どうも固まっているようだ。
ふと夕夏の方を見遣って、成程、理由はすぐに分かった。夕夏が見慣れない格好をしている。上半身に濃紺のジャケットを着込んでいるのだ。学校指定のスカートを履いているため一見制服のブレザーに見えないこともないが、手の甲まですっぽり隠してしまうその大きさは、明らかに男物のそれだ。
「お前、何だ、その格好」
「これ? 竹内先生が貸してくれた」
竹内? ああ、あの大学講師とか言っていた男か。確かにそんなジャケットを着ていた気もするが。
「雨に濡れて、ブラウスが透けてたのに気付いてね。でも着替えもないし、どうしよっかなーって困ってたら、竹内先生が着てなさいって渡してくれたの。ちょっとドキッとしちゃった」
はにかんで、得意気に夕夏はくるりとターンしてみせた。どこからどう見ても浮かれている。そうだった、こいつには所謂「女の子扱い」というやつが覿面に効くのだ。そういや武道を嗜んでいるせいか、普段同年代の男どもからは女として見られてないと言ってたか。
落ち着いた大人の男にジャケットを貸してもらうなんて、まるで少女漫画の一幕にでもありそうなシチュエーションだ。よく覚えていないが、竹内氏は容姿も悪くなかったと思う。単純なこいつが簡単にときめくだけの材料はばっちり揃っている。
しかし、それを面白く思わない奴もいるんだ。夕夏、気付いてやれ、お前の目の前で顔面蒼白になっている黒尽くめの男がいるだろう。
しばらく茫然自失状態にあった牧野さんは、はたと何かに思い至って、己の体をまさぐり始めた。無駄すぎる抵抗に哀れみを禁じ得ない。
諦めて下さい牧野さん、夕夏に羽織ってもらえるような所持品一つも持ってないでしょう。カソックはセパレーツじゃないし、肩のケープは意外に短い。知ってますよ俺は。だって着たことありますからね。黒い背を見つめ、そんな念を送る。
それが届いたのかは定かではないが、牧野さんはすぐに肩を落として溜息を吐いた。どうやら為す術がないことに気付いたらしい。
かと言って、涙目でこっちを見ないで下さい。そんな目で見られても困ります。
竹内氏は純粋に親切心を出しただけで、他意はないんだろう。仮にも教育者の立場にある人間が未成年のガキにそんな気出したらどう考えても問題だ。聖職者でありながら未成年に現を抜かしている人物なら俺の目の前にいるが。
まあ、牧野さんの気持ちは分からないでもないし、あんな目で見つめられ続けても鬱陶しいだけだ。少し助け舟でも出してやるか。
「夕夏、着替えるか? 探せばナース服くらいなら何処かにあるはずだが」
「えっ、やだ」
「なっ、宮田さんっ」
にべもなく即答する夕夏の横で、牧野さんが口を開けたまま目を丸くする。
「だって、この病院って27年前の建物なんでしょ? そんなところにあるナース服なんて、誰が着たかも、ちゃんと洗濯したかどうかも分かんなくない? それはちょっと着る勇気ないかも……」
「み、宮田さん、ナース服って、駄目です、夕夏ちゃんにそんな服着せるなんて!」
夕夏の意見はもっともだ。しかし牧野さん、顔を赤くしてるあなたは何なんだ。ナース服と聞いて何を想像したか是非お聞かせ願いたいものですね。
俺達医療関係者にとってはれっきとした仕事着なんだから、如何わしい妄想は程々にしてもらいたい。しかし、“そういう知識”を御存知とは。清廉潔白そうな顔をして、中身は普通の男と大差ないな。
でもね牧野さん、そんなこと言い出したら、そいつはずっと竹内氏のジャケットを着ておくことになるんですよ。だから俺が何とかしてやろうと思ったのに、何だその言い草は。
その思いを込めてじっと見つめれば、牧野さんは怯えたような目になった。どうやら俺の言いたいことは伝わったらしい。
『そんなこと言われたって嫌なものは嫌なんです』とでも言いたげな顔だ。口に出さずともお互いに思っていることが伝わるようになりましたね牧野さん、やっぱり双子ってことかな。
「せ、先生も求導師様も、どうかした? 何でさっきから、固まって……」
俺達二人の間で、夕夏だけが首を傾げている。同じ顔が無言で見つめ合ってる様は、傍から見れば異様だろう。
しかし、その呑気な顔に、更にイライラが募る。牧野さんも鈍いがお前も大概だ。こいつ、牧野さんがナース服を嫌がる意味も、その理由も全く分かってないな。
いっそのこと俺が全部ぶち撒けてやろうか。そうしたら面倒事は全て解決だ。後のことは牧野さんに全て任せればいい。
我ながら不穏な考えが脳裏に浮かんだ、その時。
「いたぁーーーー!!」
爆発でもしたかのようなドアの開閉音と、女の声が診療室内に響き渡った。三人の視線が一気に吸い寄せられる。その先では、眼鏡をかけた女が一人、口元に笑みを浮かべて立っていた。レンズ越しの目は、全く笑っていなかったが。
「あ、安野、さ」
「夕夏ちゃんどういうこと!? 先生にジャケット貸してもらうなんて、私だってそんなことしてもらったことないぃ~!」
「や、やめへくらはい、あんのひゃん~」
「私が先生のこと好きなの知ってるくせにぃ~!」
「ら、らって、わらひも、こまっへへ、へんへーの、ごこーいらしぃ~」
女――安野依子とかいう名前だったか――は、つかつかと夕夏に歩み寄ると、肩を掴んでガクガクと揺さぶった。夕夏の返答は最早真っ当な日本語になっていない。
そういえばこの女、竹内氏の連れだったな。教え子だと言っていたか。当の本人の感情は、どうもそれ以上のものがありそうだが。竹内氏から話でも聞いて、ずっと夕夏を探していたのか。げに恐ろしきは女の情念とはよく言ったものだ。
その剣幕に気圧されて、俺も牧野さんも呆然としていた。果敢にも牧野さんは何度か止めようとする素振りを見せたが、人生27年乳母日傘で育ったこの人にはどう考えても荷が勝ちすぎる。女同士の戦いに口出ししたことなんかないだろうに。ちなみに俺にだって然程そんな経験はない。
結果、俺達は何も出来ず、気がついた時には夕夏は安野女史に首根っこを捕まれ、ずるずるとドアまで引き摺られていくところだった。
……何となく、俺の脳内に「ドナドナ」が流れた。夕夏に知れたら強烈な打突を食らいそうな妄想だ。
「すみません、お騒がせしましたあ~」
安野依子がにこやかに手を振る。その笑顔が逆に恐怖だ。
ドアが閉まる寸前、ようやく意識を取り戻したか、夕夏が弾かれたように口を開いた。
「求導師様、その、私、別に竹内先生のこと、男性として好きなわけじゃないですから!」
音を立てて閉じられたドアの向こうから、「当たり前でしょ!?」と安野依子の声がする。それを最後に二人の声は次第に遠ざかっていき、俺と牧野さんが残る診療室には再び静寂が訪れた。まるで台風一過だ。
『夕夏、とりあえず強く生きろ』と、一応のエールを心の中で送っておく。まあ、異界で他人を守りながら三日間生き残ったポテンシャルの持ち主だ。アイツの往生際の悪さは、俺もよく知っている。化け物相手じゃなきゃ、殺されたって死なないだろう。
――さて。再度、ドアを見つめたまま固まってしまった牧野さんを見遣る。言葉を失ってしまったのは、安野依子の気迫に飲まれたから――だけではないだろう。その証拠に、牧野さんの顔は耳まで真っ赤だ。
最後の夕夏の言葉はどういう意味か。「そういう意味」に決まっている。照れ隠しのつもりなのか、若干の回りくどさはあったが、真意は牧野さんにしっかり伝わったようだ。
「牧野さん」
「……は、はい」
「口が開いてますよ」
指摘すると、牧野さんは慌てて手で口を抑えた。そんなことしたってもう遅い。
だから、念を押すように言ってやる。
「これでもまだしらを切るつもりですか?」
他の男の服を着て、喜んでいる姿が嫌で。男の情欲をそそるような格好をさせるのも嫌で。「他の誰でもないあなたに好意を抱いている」と言われれば、だらしない顔をして喜ぶくせに。
牧野さんは、しばらくきつく目を瞑って――「はあ……」という間の抜けた声と共に、大きな溜息を吐いた。
「……参りました」
「ご自分の感情が恋着であると、認めるんですね」
「ええ、認めますよ、まだ17歳なのに、こんな訳の分からない世界でもめげないで、笑顔で、泣き言一つ言わないで頑張ってる彼女が愛おしくてたまらないです! 私のために何度も自己を犠牲にしてくれた健気な女の子に、何とも思わないはずがないでしょう!」
認めた――というよりも、開き直ったというんだろう、こういうのは。こんなに早口で喋れたのか、この人は。
しかし、日曜礼拝の説教よりも流暢に捲し立てていた牧野さんは、急に両手で頭を抱えた。
「……どうして私なんかを選んでくれたんでしょう。そんな気持ち、一番に忘れてくれてしまっていいのに。円環の中で巡り合う度、彼女は変わらない笑顔を私に向けてくるんです。それが嬉しいのに、とても辛い。私の傍にいない方が、彼女は幸せになれるはずなのに」
「勝手に結論付けてアイツの手を離してしまったら、いつかのループと同じですよ」
俺の言葉に、牧野さんがはっと顔を上げる。その顔を見つめたまま、俺は続けた。
「牧野さん、俺は、この輪が壊れる日も近いんじゃないかと思ってるんですよ」
「え――」
牧野さんの唇が戦慄く。
「どうして、ですか。どういう――」
「最早、俺達が乗せられている輪は正円じゃないんです。元より少しずつ違う形を取りながら結末――という名の始点へ向かっていく輪でしたが、歪みは顕著なものになっている。俺達がこれまでのループの記憶を持ち越しているのも、その一つだと思いませんか」
歯車だって、レコードの針だって、回り続ければ摩耗する。繰り返す世界の中で、それでも俺達は細かな差異を演じ続けてきた。結果、数多の可能性を内包し続けた世界は少しずつ変形し、全く同じ形を取れなくなって来ているのではないか――とは、正直なところ民俗学者である竹内氏の受け売りだ。今の牧野さんには一番聞きたくない名前だと思うので、敢えて出典元は出さずにおくが。
「完璧な終わりが訪れる時に何が起こるのか、それは誰にも分かりません。元の村に帰れたら僥倖ですが、一生この異界に閉じ込められる可能性だってあります。しかも、その時はもう次のループは巡ってこない。やり直しは効かないんです。だったら、後悔のないよう、やりたいことは全てやっておいた方がいいんじゃないですか」
異界の中で足掻き続けた者たちは、今この病院に集まっている。今のところは全員無事でいるし、化け物になる兆候も見られない。以前の記憶を持ち合わせている者も多い。
こんな周回は初めてだ。だから、どうしても考えてしまう。これが最後の「儀式」だから、全員が集められたのではないのかと。
その先にあるものが好機か絶望かは、今のところ全く分からないが。
――ふと、いつかの記憶が頭をもたげる。今と同じ場所で同じように、この人と向き合って話をしたことがあった。この異変は何だ、何をしたんだと言う俺に、あなたは「分からない」と繰り返していた。
あの時は「何を無責任なことを」と内心苛ついて仕方なかったが、今なら少しは理解出来る。今の俺と同じように、あなたは本当に分からなかったんですね。
けれど、もうあの時と同じじゃない。その証拠に、俺の目の前で牧野さんは、困ったようにではあるが、笑んでいた。
「――正直、不安です。黄泉帰った村人達から身を隠していた時より、余程恐ろしいですよ」
「勝ちの分かっている勝負なのに?」
「自分で決意して、何かをしようとしたことなんて殆どありませんでしたから。しかも、女性へのアタックなんて」
けれど、と。苦い笑いを浮かべたまま、牧野さんが続ける。
「私の生み出す差異が何かの一助になるかもしれないなら、彼女と話をしようかと思います」
「そんなお為ごかし要りませんよ。『アイツをものにしたいから』それだけでいいじゃないですか」
「さ、流石にそこまで大っぴらには開き直れませんよ。これでも27年間、博愛であれ、清廉であれと教えられてきたんですから」
「……チッ、面倒くさい。ホントそういうところありますよね、牧野さん」
「め、面倒くさいって、ひどいです宮田さん! しかも今、舌打ちしましたよね!?」
頬杖をついて悪態を吐く俺に、牧野さんが喚く。その顔が滑稽で、思わず俺は小さく笑った。
世界は回る。変容しながら。互いに背を向けていた黒と白の羊が、こうして腹を割って話せるようになるくらいには。
さあ、これからどうするかですよ、牧野さん。