文豪とアルケミスト
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――声が、聞こえる。
それは微かに、消え入るような小さなものだったけれど、確かに。
何だろう――誰だろう。彼はゆっくりと目を開ける。
ゆらゆらと、微睡みの中に揺蕩うような心地は未だ抜けない。だが、先程の声は彼に、まるで揺さぶられるような感覚を呼び起こした。
共振したのは体ではなく、もっと深いところだ。言うなれば、魂のような。
一体誰なんだい、僕を呼ぶのは。声にならない声で彼は問いかける。
……聞こえますか。私の声が聞こえたら、誰か、どうか、応えて下さい。
問いかけの答えではなかったけれど。
それは、少女の声だった。
……初めてだから、本当に勝手が分からないんです。誰でもいい、どうか、この声に応えて、目覚めて。
……いえ、本当は誰でもよくなんてないんです。出来たら優しい人がいいです。優しくて、あんまり怒らなくって、私の話も聞いてくれるような。
思わず、彼は苦笑した。
本当に誰でもはよくないんだな。控えめに見えて、意外と注文が多い。
それが自分でも分かっているのか、少女の声は徐々に小さくなっていく。
そうして、最後に聞こえてきたのは、殆ど囁きのようなものだった。
……私を傷付けないような人が、来てくれると嬉しいです。
ぽつり、呟かれた声は、あまりに悲痛な響きだった。
何があったのかは分からないけれど、彼女は心に、傷を抱えてでもいるのか。
だから、 「……うん」 彼は頷く。
じゃあ、僕が行くよ。大丈夫、君に非道いことなんて絶対にしないから。
もっとも、僕じゃなくても君を傷付ける人間なんてここにはきっといないだろうけど。皆、何かしら痛い思いをしたことのある者ばかりだから。
こんな声を――こんな泣きそうな声を聞いてしまったら、尚更に。
形を得て、青年となった彼は、虚空へ向かって手を伸ばす。少女の声の聞こえてきた方向へ。
そして瞬間、光が弾けた。
――目を開く。
初めに感じたのは、匂いだった。洋墨と、積み上がった古書特有の饐えた匂い。ああ、懐かしい香りだと、感情を想起させられる。
それもその筈だ。今、自身を囲んでいるのは壁一面の書架と、そこに詰められた無数の本。
書店――否、図書館か。脳が、状況を整理しようと動き出す。数瞬辺りを見回していた目が、正面を見据える。
そこに、いた。
大きな目を更に丸くして、こちらを見ている一人の少女。
彼女は震える足で一歩踏み出し、
「あ、あの」
そこで止まってしまった。何を話しかければいいのか、考えあぐねている風だった。
だが、充分だ。その声だけですぐに解った。
ああ、君だったのか。
さっき僕を呼んでくれたのは。自分を傷つけない人がいいと、細やかな願いを強く強く望んでいたのは。
自然と顔が綻んだ。
だって安心してほしいんだ。もっと、声を聞かせてほしいんだ。
折角こうして出会ったのなら、戸惑う顔だけじゃなくて笑った顔も見せてほしい。
だから、僕から始めよう。
彼女へ向かって踏み出し、青年は右手を差し出す。
「初めまして、中野重治といいます」
その声に、少女は幾度か目を瞬かせて。
ようやく、ふっと力を抜いて、強張っていた表情を和らげた。
*****
あれから月日は流れたけれど、今でも度々に、少女は彼に言う。
恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかんで。
「あの時は本当に、私の我儘を神様が聞いてくれたって思ったんですよ」と。
それは微かに、消え入るような小さなものだったけれど、確かに。
何だろう――誰だろう。彼はゆっくりと目を開ける。
ゆらゆらと、微睡みの中に揺蕩うような心地は未だ抜けない。だが、先程の声は彼に、まるで揺さぶられるような感覚を呼び起こした。
共振したのは体ではなく、もっと深いところだ。言うなれば、魂のような。
一体誰なんだい、僕を呼ぶのは。声にならない声で彼は問いかける。
……聞こえますか。私の声が聞こえたら、誰か、どうか、応えて下さい。
問いかけの答えではなかったけれど。
それは、少女の声だった。
……初めてだから、本当に勝手が分からないんです。誰でもいい、どうか、この声に応えて、目覚めて。
……いえ、本当は誰でもよくなんてないんです。出来たら優しい人がいいです。優しくて、あんまり怒らなくって、私の話も聞いてくれるような。
思わず、彼は苦笑した。
本当に誰でもはよくないんだな。控えめに見えて、意外と注文が多い。
それが自分でも分かっているのか、少女の声は徐々に小さくなっていく。
そうして、最後に聞こえてきたのは、殆ど囁きのようなものだった。
……私を傷付けないような人が、来てくれると嬉しいです。
ぽつり、呟かれた声は、あまりに悲痛な響きだった。
何があったのかは分からないけれど、彼女は心に、傷を抱えてでもいるのか。
だから、 「……うん」 彼は頷く。
じゃあ、僕が行くよ。大丈夫、君に非道いことなんて絶対にしないから。
もっとも、僕じゃなくても君を傷付ける人間なんてここにはきっといないだろうけど。皆、何かしら痛い思いをしたことのある者ばかりだから。
こんな声を――こんな泣きそうな声を聞いてしまったら、尚更に。
形を得て、青年となった彼は、虚空へ向かって手を伸ばす。少女の声の聞こえてきた方向へ。
そして瞬間、光が弾けた。
――目を開く。
初めに感じたのは、匂いだった。洋墨と、積み上がった古書特有の饐えた匂い。ああ、懐かしい香りだと、感情を想起させられる。
それもその筈だ。今、自身を囲んでいるのは壁一面の書架と、そこに詰められた無数の本。
書店――否、図書館か。脳が、状況を整理しようと動き出す。数瞬辺りを見回していた目が、正面を見据える。
そこに、いた。
大きな目を更に丸くして、こちらを見ている一人の少女。
彼女は震える足で一歩踏み出し、
「あ、あの」
そこで止まってしまった。何を話しかければいいのか、考えあぐねている風だった。
だが、充分だ。その声だけですぐに解った。
ああ、君だったのか。
さっき僕を呼んでくれたのは。自分を傷つけない人がいいと、細やかな願いを強く強く望んでいたのは。
自然と顔が綻んだ。
だって安心してほしいんだ。もっと、声を聞かせてほしいんだ。
折角こうして出会ったのなら、戸惑う顔だけじゃなくて笑った顔も見せてほしい。
だから、僕から始めよう。
彼女へ向かって踏み出し、青年は右手を差し出す。
「初めまして、中野重治といいます」
その声に、少女は幾度か目を瞬かせて。
ようやく、ふっと力を抜いて、強張っていた表情を和らげた。
*****
あれから月日は流れたけれど、今でも度々に、少女は彼に言う。
恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかんで。
「あの時は本当に、私の我儘を神様が聞いてくれたって思ったんですよ」と。