琵琶坂さんは合理的な人なのだと思っていた。
合理的で現実的。常に、目標への最短ルートを目指す。
現実に戻るために最も手っ取り早い方法は、このメビウスの維持を阻止すること。そしてμを壊すこと――という彼の提言は、まったく間違っていない。一理あると私も納得していた。
しかし帰宅部内で意見は対立し、結果「君たちの良心が咎めない方法を取ろう」と、琵琶坂さんは自分の案を取り下げた。
『私は、琵琶坂さんの言ったこと、間違いじゃないと思います。目的のために手段を選んでいられないのは、そのとおりだと思うし……』
その日、宮比温泉からの帰り道。おずおずと口を開いた私を見て、
『――ありがとう、
三緒里君』
琵琶坂さんは、そう目を細めてくれた。
しなやかに伸びた鞭はまとめて二体の敵を打ち上げ、続け様、叩き落とすように打ち据えた。更に、その先端からは炎が舞い、残っていたもう一体を包み込んだ。
あっという間に三体のデジヘッドが倒れ伏し動かなくなる様を、私は呆然と見ていることしか出来なかった。
その鞭――カタルシスエフェクトを振るっていた琵琶坂さんは、片手で顔を覆い、肩を震わせていた。
くく、と小さな声がする。苦悶でも悔恨でもなく、それは明確な含み笑いだった。
「まったく、この程度で僕に歯向かうなんて、無謀というものだ……
君もそう思わないか、
三緒里君」
「え――はい、そ、そうですね……」
まさか感想を求められるとは思っておらず、間の抜けた返答になってしまう。けれど、琵琶坂さんはどうやらそれでも満足だったらしく、作り笑顔を浮かべた私ににっこりと笑い返した。
「さて、邪魔者は消えたことだし、先に進もうか。急がないとμのライブとやらが始まってしまうね」
次の部屋へ向かおうとする足取りは軽い。この太陽神殿でカタルシスエフェクトに覚醒してから、琵琶坂さんはずっと上機嫌に見えた。それに、覚醒はつい先程だったのに、彼はもう存分に力を使い熟している。容赦なく敵を打ち、取り巻く全てを無慈悲に炎へ焚べる。
合理的で現実的な人なのだと思っていた。しかし、きっとそれだけじゃないと、心の奥が警鐘を鳴らす。
出会ってから半年以上経つ。けれど、多分この人はまだ私の知らない顔を持っている――
その考えが脳裏に浮かんだ瞬間、私の指先は琵琶坂さんの背に伸び、ベストの裾をつい、と摘んでいた。
琵琶坂さんが、目を丸くしてこちらへ振り返る。けれど、恐らく私も似たような顔をしているはずだ。
ぼんやりと――この人の背を追わなければ、二度と一緒にいられなくなるような予感がした。何故そんな考えに至ったのかは、自分でも理解出来なかったけれど。
「
三緒里君?」
「え――えっと、は、はぐれたら、いけないので……」
訝しむ琵琶坂さんの目を何となく見られなくて、少しだけ逸らした。問いかけに対する言い訳も、我ながら苦し紛れだと思う。絶対、琵琶坂さんは呆れていると思った。
けれど彼は、薄い笑いを浮かべて――私の右手首を掴み、引き寄せた。それは、「手を繋ぐ」よりも幾分乱暴な行為に思えたけれども、私の心臓はどきりと跳ねた。
「――ああ、そうだね。迷子にならずについてきてくれよ?」
熱くなった耳元に唇を寄せて、琵琶坂さんが囁く。
それはこっちの台詞だ、と返したかった。
一人で遠くへ行かないで。ずっと私の傍にいて。溢れ出す不安を叩きつけ、今ここで泣き喚くことが出来たらどんなにすっきりするだろう。
けれど、目の前のこの人はそんな私を嫌がるだろうし、困らせたり迷惑をかけたりするのは絶対避けたかった。
だから、「はい」と素直に頷いて、その言葉どおり琵琶坂さんについて歩く。歩き始めてからも、しばらく琵琶坂さんは私の手を掴んだままで、それに少しだけ安心した。
この人は、私の手を振り解かないでいてくれる。
どうかこの時がずっと続けばいいのに、と。きっとμでも叶えられない願いを、胸の中で繰り返した。
■行かないで行かないでここにいて
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celeste様