Caligula Overdose
夢小説設定
この小説の夢小説設定not部長。帰宅部のメンバー。
メビウスでのクラスは2年7組。年齢17歳。実年齢18歳。現実世界でも高校生
メビウス歴は一年くらい
帰宅部に入る以前からホコロビに気付いており、琵琶坂先輩と行動をともにしていたという設定です
(一部の話には男部長が登場します)
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何故彼女を選んだのかと問われたら、「出会った中で一番都合のいい相手が彼女だったから」以上の理由はない。
四年目に突入したメビウス生活に、僕はほとほと飽いていた。
悠々自適、自由な楽園。それは確かにそうかもしれないが、ここにはおおよそ刺激と呼べるものがない。何しろ酒も煙草も許されていない。何故なら、ここに暮らす者たちは皆高校生の姿になるからだ。学生など、未成年など制約ばかりで面白くも何ともない。
手頃な女を調達するにも一苦労だ。作り物の女など人形を抱いているようで御免だし、かといって生きている人間たちはどいつもこいつも外面があてにならない。現実での年齢や性別は分からないし、皆メビウスこそが現実だと信じている馬鹿ばかり。本当の自分のことなど覚えてすらいない。いちいち探りを入れてまで関係を持つ気にはなれなかったし、下手な相手に手を出してここでの地位を落とすのも避けたかった。
三緒里君を拾ったのは、そんな思案に暮れていた頃だ。
初めて姿を見かけた時、彼女は駅前広場のベンチに座り、泣きそうな顔をしていた。
ひどく気が動転している様子だった。時折、化け物と化した生徒が近くを横切ると、怯えるような素振りを見せた。
その様子をしばらく観察し、僕は考えていた。
――この女、この世界が現実じゃないことに気付いているんじゃないか。
心密かに驚いた。自分以外のそんな人種にお目にかかるのは、彼女が初めてだったからだ。
だから、予感を確信に変えるべく声をかけた。
『大丈夫かい、さっきから見ていたけど長いことそこに座っているね。具合でも悪いのかな』
すると彼女はハッと顔を上げ、僕の顔を見て、程なくして嗚咽を漏らし始めた。
「普通の人間」に見える相手に声をかけられて、安心したのだろう。
『すみません、ごめんなさい、私、どうしたらいいのか分からなくて――』
そう繰り返して泣きじゃくる彼女にハンカチを差し出して、僕は笑んだ。
極めて優しく。彼女の安堵を誘うように。
『ああ、泣かないで。大丈夫、きっと僕は君の力になれると思うよ。
とりあえずここじゃ何だ、どこか喫茶店にでも入ろうか』
そう促すと、従順に彼女はついてきた。
そこから僕と三緒里君の関係は幕を開けた。
*****
『帰宅部の緊張感は長く続かない』
鍵介君の言どおり、既に周囲を取り巻く雰囲気は弛緩しつつあった。
後ろへ続く女性陣は、やれ魚が可愛いだの、次は女の子だけで来ようなどとさざめきあい、まるで物見遊山気分だ。少しばかり油断しすぎではないだろうか。確かにここは水族館という娯楽施設ではあるが、敵である楽士の腹の中でもあるのだ。
大体、水族館はそんなにいいものだろうか。水槽に入った魚や芸をする海獣を眺めるだけの何が面白いのか全く理解出来ない。
この集団に賭けたのは間違いだったか。前回の遊園地でも思ったが、こいつらみんな真剣に現実に帰る気はあるのだろうか。ここで野垂れ死にたいのなら勝手にすればいいが、人の足を引っ張るのだけは勘弁してほしい。お前らと違って、僕には何としても現実に帰らなければならない理由があるのだ。
「三緒里君、ここにはデジヘッドも多いようだ。僕から離れないように――」
今にも出そうな溜息と辟易した気分を誤魔化すため、傍らにいるはずの三緒里君へ手を伸ばす。が、その手は虚しく空を切った。そこで僕はようやく、彼女の不在に気がついた。
どこに行きやがった、あのガキ。心の中で悪態をつき辺りを見回せば、そう離れていない水槽の前に彼女は佇んでいた。
何故か腕の中に、ペンギンのぬいぐるみを抱えて。
「おいおい、君まで遠足気分なんてやめてくれよ、三緒里君」
「わっ」
背後から声をかけると、大袈裟に彼女はびくっと身を震わせた。余程ぼーっとしていたらしい。
「び、琵琶坂さんーーびっくり、しました……」
「君、油断しすぎじゃないか? いくら娯楽施設だからといえ、ここにはデジヘッドも楽士もいるんだ。常に緊張感を持ってーーというのも難しいかもしれないが、気を抜きすぎるのも感心しないね」
びくびくと怯え、身を縮こませるその姿は無力な小動物を思わせ、嗜虐心を煽った。だから、少しばかり厳しい口調で叱ってやる。すると、三緒里君は目に見えてしゅんとし、萎縮したような表情を見せた。
そう、それでいい。僕の一言で卑屈に歪む、その顔が好ましい。
「ごめんなさい……ただ、この子が」
「この子?」
「そこに落ちてて、なんだか可哀想で」
三緒里君の腕に力が籠もり、僅かにペンギンの腹に食い込む。
他の客が落とした代物だろうか。極度にデフォルメされた丸っこい外見からは、種類がなにペンギンなのかすら判然としない。
ただ、白いはずのその腹は、靴跡の形に黒く煤けていた。誰かに蹴られたか、もしくは踏まれたか。落ちていたというなら無理もない話だろう。
それを「可哀想」と思える心理はよく分からなかった。生きているペンギンならまだしも、そいつは所詮ぬいぐるみ。命の宿らないただの人形だ。
「そのへんに置いていたら、また誰かに踏まれちゃいそうだから」
「とはいえ、ここから動かすと、落とし主が探しに来た時に困るんじゃないかな?」
別にぬいぐるみ如きどうなろうとも構わないが、一応そう返してやる。
ざっと周囲を見ても、落とし物を預けられるような従業員らしき人物はいなかった。そもそもいたところで全員NPCなのだから、信用に足るとは言えないだろう。
仕方なく三緒里君は、出来るだけ通路の端にペンギンを寄せることにしたようだった。
「踏まれないよう気をつけてね」という無茶なアドバイスと共に、ようやく彼女はペンギンを手放した。抑えきれない名残惜しさを滲ませる双眸を眺めていると、ますます彼女が不可解な生き物に思えた。
「ペンギンが好きなのかい?」
少しばかり先に進んでいた他の連中と合流し、一番後ろに加わる。隣に並ぶ三緒里君にそう問えば、予想に反して彼女は「そういうわけじゃないんですけど」と否定を返してきた。
ますます解せない。どう見ても、「そういうわけじゃない」態度じゃなかっただろうが。
すると三緒里君は、ふと、どこか遠くを見るような瞳に笑みを浮かべた。
「あれと似てるぬいぐるみを、昔持ってたんです。まだ父がいた頃、一度だけ家族みんなで水族館に行ったことがあって、そこで父に買ってもらって」
あれ、どこにやったのかな……と、消え入るような声で彼女は続ける。
ああ、成程、ただの感傷だったか。ようやく合点がいった。
現実世界における三緒里君の事情を、少しではあるが僕は聞いていた。両親は離婚。今の家族は母と妹。しかし、母親は仕事だなんだでほぼ家におらず、家事をこなし、妹の面倒を見ているのは長女である三緒里君だけ。
『あなたはお姉ちゃんなんだから』と全てを押し付けられるのがたまらなく嫌だったと、いつだったかぽつりとこぼしたのを耳にした。メビウスに落ちてきたのも、明らかにそれがきっかけだろう。
どこにでもあるような、有り触れた『不幸』だ。そんなものが蔓延している現実を、職業柄幾度となく僕は目にしてきた。
だから、別段彼女を気の毒とも思わない。
しかし。
「現実に帰ったら、僕が新しいぬいぐるみを買ってあげようか」
口からまろび出たのはそんな一言だった。僕の提案に、三緒里君は目を丸くして僕を見上げる。
「ここにも売店はあるだろうが、メビウスで手に入れたものは現実には持ち出せないだろうからね」
「現実でも――シーパライソに連れて行ってくれるんですか?」
「シーパライソでなくても構わないよ。ペンギンのいる水族館なんて、他にも沢山ある。勿論、三緒里君が嫌じゃなければね」
すると三緒里君は、一拍置いた後、まるで泣き笑うように歪な笑みを浮かべた。実際、その目尻には僅かに涙が浮かんでいるように見えた。
「嬉しいです……楽しみにしてますね!」
絶対に頑張って現実に帰らなきゃ、と続け、三緒里君は小さくガッツポーズを取った。
――驚いた。
彼女にじゃない。ごく自然に、そんな申し出をした自分にだ。そうしてそれが、口から出任せではないという事実にだ。
そう。僕は現実に帰ってからも、彼女との関係を続けてやってもいいと考え始めていた。
当初は全くそんなつもりはなかった。そもそも声を掛けたあとに彼女が未成年だと知り、早計だったかと後悔をした程だ。子供を相手にする趣味はない。
ただ、喫茶店で食事をする彼女を見て、その行儀の良さには好感を抱いた。育ちの良さと言ってもいい。
加えて、言葉遣いもちゃんとしていて礼儀を弁えていたし、とりあえず僕との会話が成立する程度には頭も悪くなかった。
ならばいいかと思えた。世間には、とても成人していると思えない馬鹿も大勢いる。そんな女よりはだいぶマシだ。年齢だって、自己申告ではあるが一八を超えていると言っていたし、そもそもこのメビウスに現実の法は及ばない。それに、ここでは僕も高校生だ。何の問題もないだろう。
『現実に帰る方法を見つけるため二人で協力しよう。僕たちは運命共同体だね』
そんな甘言に、彼女はすんなりと乗ってきた。憔悴した女を釣るのなんて簡単だ。
彼女は卑屈で、臆病で、けれど無垢で、従順で、可愛い仔犬だった。傍に置いていても然程邪魔にはならないし、僕のために何かしようと懸命になっている姿には健気ささえ感じる。
幸い体の相性も悪くなく、大いに満足出来た。タダで拾ったものにしては上々だ。
一年ほど一緒に行動をし、話をし、食事をし、ベッドを共にした。今はこうして二人揃って帰宅部の一員だ。カタルシスエフェクトにも覚醒し、現実への帰還は夢想ではなく、まさに現実的なものになりつつある。無事帰還を果たせば、運命共同体としては本懐を遂げることになる。
そうなった暁には、真っ先に手を切ろうと思っていたはずだったのだが。
「いつか」の約束を君とするなんて、当初の予定には全く無かったよ、三緒里君。
自嘲気味にそう思いはしても、傍らを上機嫌で歩く彼女を見ていると悪い気はしない。
情に絆されたわけではない。それだけは自信を持って言い切れる。
彼女は僕にないものを持つ人間だ。情け深さ、優しさ、自己犠牲の精神、「普通」の感性。現実での再起を図る僕には、そういう人間も必要になるだろう。彼女はきっと役に立つ。御しやすいのも魅力的だ。
それに、あちらに帰ってから遊び相手に困窮する羽目になるより、一人くらい手軽な相手を手元に残しておくのもいい。
しかし、ペンギンのぬいぐるみ一つで釣れる女は、後にも先にも彼女が初めてになるだろう。先程も泣くほどのようだったし、そんなに嬉しいものだろうか、ペンギンが。彼女がたまによく分からない生き物に見えることもあるが、まあそれはそれで面白い。少なくとも退屈はしない。
「琵琶坂さん?」
三緒里君が僕を呼ぶ。どうやら何事か話しかけていたようだが、思考に耽って全く聞いていなかった。注意が散漫になっていたようだ。これでは他の部員のことをとやかく言えない。
ごめんごめんと口先の謝罪を返し頭を撫でてやれば、不満げだった彼女の顔はすぐに耳まで真っ赤になった。
簡単に機嫌が取れる。安い女だ。俗っぽい言葉で言えば、「コスパがいい」というやつだろうか。
「何か、考え事されてましたか?」
「ああ、勿論。君のことをね」
「え……えぇ!?」
慌てふためく彼女が滑稽で、可愛らしくて、小さく笑った。
これも決して嘘じゃない。
先程打ち捨てられたペンギンを肩越しに見やる。つぶらな瞳は、少しばかり離れたところから無感情にこちらを見つめていた。
感傷や執着など、こうしてメビウスの中に棄てていけばいい。そのぶんだけ僕が代わりのものをくれてやる。君はぬいぐるみのように、それで腹を膨らませばいい。
僕のために働いてくれるなら悪いようにはしないさ。無論、僕の気が変わらないうちは。
この世界で出会った中で、一番都合のいい女。
どうかしばらくはそのままであってくれ。
そう。これでも想定外なほどに、君のことを気に入っているんだよ、三緒里君。