Caligula Overdose
夢小説設定
この小説の夢小説設定not部長。帰宅部のメンバー。
メビウスでのクラスは2年7組。年齢17歳。実年齢18歳。現実世界でも高校生
メビウス歴は一年くらい
帰宅部に入る以前からホコロビに気付いており、琵琶坂先輩と行動をともにしていたという設定です
(一部の話には男部長が登場します)
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カラン、と氷の爆ぜる音が、没入していた意識を現実へ引き戻した。
テーブルの上のグラスの中には溶け残りの氷と、半分残ったウイスキー。そして先程までそれを口にしていた琵琶坂さんは、ふかふかのクッションに頭を預け、ソファで眠りに落ちていた。すうすうと静かな寝息を立てるその顔は穏やかで、時折見せる苛烈さを微塵も感じさせない。私より十歳以上も歳が離れてる人なのに、可愛らしいとさえ思う。多分、こんなこと考えてるのが分かったら「生意気だ」と怒られてしまうだろうけれど。
琵琶坂さんの家のリビング。大きなテレビの中では、とある洋画が展開されている。千夜一夜物語を原作にした泥棒とお姫様のロマンス。かつてアニメーション映画として公開され、時を経て実写でリメイクされた、興行収入何百億円の超有名映画──と琵琶坂さんは言っていたけれど、私は元となったアニメも、そしてこの実写作品も今日まで見たことがなかった。
これまで一緒に映画を見に行くような友人もなく、そもそも見に行くような時間もなく、著名な作品の殆どを私は知らない。いつだったかその話になった時、琵琶坂さんは「君ぐらいの年頃でそんな人間がいるのか」と目を丸くしていたけれど。でも、彼はそのあと笑みを作って更に続けた。「まあ、これからいくらでも楽しめるんだ。贅沢な話じゃないか」と。
それ以来、琵琶坂さんの家で映画を見て過ごすことが増えた。洋画、邦画、ジャンルも問わず、私が好みそうな作品を琵琶坂さんは毎回選んでくれていて、その気遣いに感動した。私には見たい映画を選ぶだけでもハードルが高いと考えてくれたんだろう。
ある時は、魔法使いたちを育てる学校で大冒険をした。またある時は、廃校寸前の学校を立て直すために歌うシスターたちにエールを送った。美しいお姫様、悪い魔法使い、ロマンティックなラブストーリー。私の知らない人生がフィルムの中には溢れていて、その全てが心を踊らせた。
でも、いつしか私は気付いてしまった。
多分、琵琶坂さんはこういう映画を好んではいない。
映画鑑賞が趣味という琵琶坂さんのお家には、DVDやブルーレイのディスクも、サウンドトラックのCDも沢山あった。でも、私のために選んでくれる映画は、どれもこれも映像作品のサブスクリプションやオンデマンドサービスから再生されたものだった。きっと、あの人にとっては手元に残す価値がない作品たちということだろう。
その証拠に、今だって琵琶坂さんは眠ってしまっている。日々の疲れやアルコールのせいもあるとは思うけれど、きっと一番の原因は退屈だ。
だからって、責めるつもりは全くない。
「……私のために、我慢してくれてたんですよね」
眠る琵琶坂さんの髪に触れる。起こさないように、出来るだけそっと。
この人が、気の長い人じゃないことを知っている。取り乱す姿を、メビウスで幾度となく見てきたから。退屈を蛇蝎の如く嫌い、常に刺激と快楽を求めて生きている人。気に入らないことには一秒たりとも我慢が効かず、ストレスが溜まればすぐに紳士的な仮面が剥がれ落ちてしまう──きっと、そういうふうに生まれついてしまった人。
それに恐怖や嫌悪があるわけじゃない。この人に感じるのは果てしない感謝と恋情だけだ。
好きじゃない映画なんて、一緒に見る必要なかった。私だけを部屋に残して、自分は外に行くなり、別のことをするなりしたって良かった。でも、琵琶坂さんはずっと一緒に画面を見つめてくれていた。ある時は隣に座って、またある時は膝の上に座らせた私を後ろから抱きしめて。偶に解説や薀蓄を、どこか得意げな様子で口にしながら。
仕事で疲れているのだって知っている。会社経営がどれだけ大変なのか私には分からないけれど、自分の生活だけでなく他の従業員を背負っているという重圧がとんでもないものであるということは想像出来る。私がWIREにメッセージを送っても、返事が来るのは普段は深夜になる頃だ。
それでも、出来る限り会う時間を作ってくれる。私のために映画を選ぶのだって、相当に面倒だったはずだ。
その全てが、どうしようもなく嬉しくて──身の丈に合わない自惚れを抱いてしまう。
画面の中では、主人公とお姫様が魔法の絨毯に乗って空中散歩を楽しんでいる。美しい夜空の映像と、それを彩る流麗な音楽はロマンチックの一言に尽きる。きっと、この映画屈指の見せ場なんだろう。
そして、二人はお城に帰り着いて、逢瀬は終わりを迎える。すると絨毯は、主人公の足をついとお仕上げた。お姫様と、唇が重なるように。
キスを交わし、「おやすみ、王子様」とお姫様が笑む。それが、私の心を動かした。
……私も。私の王子様へ、どうにかこの想いを行為にして伝えたい。でも、背を押してくれる魔法の絨毯はここにはないのだ。自ら一歩踏み出すしかない。
だから、そっと腰を屈めて──眠る琵琶坂さんの薄い唇に、そっと自分のそれを重ねた。
たった一瞬、触れるだけの口付け。自分からやったにも関わらず、炎が出そうなほど顔が熱くなった。まるで琵琶坂さんのカタルシスエフェクトに攻撃されてしまったみたいだ。眠っているっていうのに何たる強敵だろう。
すると──
「……くくっ」
眠っていたはずの琵琶坂さんの肩が、小さく動いた。それは次第に回数を増していき──とうとう右手で顔を覆って、盛大に琵琶坂さんは笑い声を上げた。
「まさか君に寝込みを襲われるとは思わなかったよ」
ひ、人聞きの悪い──と思ったけど、弁明のしようもなかった。今回ばかりは一言一句違わずそのとおりだ。それにしたって、何度も私の寝込みを襲ったことがあるあなたがそれを言うのか、とは、ほんのちょっとだけ考えてしまった。
「お、起きてたんですか、琵琶坂さん」
「君のキスで目が覚めたんだよ。まるで映画の中のプリンセスさながらにね」
「プリンセス……」
随分大きなプリンセスだ。仮に魔女が毒リンゴを持ってきても、絶対この人は食べそうにない。むしろ魔女を返り討ちにしそうですらある。
「琵琶坂さん、もしかして結構酔っぱらってます……?」
「……君も随分言うようになったじゃないか」
そこまで飲んでない、こんなのは素面も同然だと琵琶坂さんは続けた。それにしては悪ノリに悪ノリで返すなんて珍しい。今日はよっぽどご機嫌なのか。何かいいことでもあったんだろうか。
困惑する私には目もくれず、琵琶坂さんは一人何かを考えている様子で「ふむ」と頷いていた。
「真実の愛のキスなんて、お伽噺に過ぎないと思っていたが──」
「……え?」
そこまで言って、琵琶坂さんはぴったりと言葉を止めてしまった。どういう意味だろう。思わず問い返した私への返事は、ついと髪の先を引く指の動きだった。
「もう一度だ、三緒里君」
「え……ええ……?」
「いつも僕からばかりなのもフェアじゃないだろう。今日は君の番だ」
横になったまま、心底愉快そうに琵琶坂さんが笑う。余裕たっぷりなその様子に、絶対敵わないと溜息をつきたくなる。
キスのおねだりなんて可愛いものじゃない。主導権を握っているのは自分だと、その笑顔が言外に語る。それ自体は、全然構わないけれど──ただ、ひどく、恥ずかしいってだけで。
でも、私に逃げる道は残されてない。琵琶坂さんの上に伸し掛かって、再度ゆっくりと唇を重ねる。今度は触れるだけじゃなくて、おずおずと舌を伸ばす。
いつもどうやってるんだっけ──と記憶を辿りながらのキスは、自分でも分かるほど拙いものだった。深く繋がる大人のキスを自分からするのは初めてで、本当に勝手が分からない。
すると、不意に琵琶坂さんの口角が上がった。
「こうするんだ」
「ん、んっ」
頭の角度が変わり、大きな手にぐいっと後頭部が引き寄せられる。甘い舌が絡みついてきて、途端に湿った音が部屋中に響いた。生温い熱に翻弄されて、私はもう鼻にかかった声を上げることしか出来ない。触れ合っているのは唇だけなのに、ぞくぞくするくらい気持ちいい──
夢中になって求める私を眺めて、琵琶坂さんは相変わらず嬉しそうにしているように見えた。
最後にちゅ、と音を立てて、唇が離れる。口の端に伝う唾液を、琵琶坂さんの指が拭う。
「──まだ練習は必要なようだが」
やはり、君とのキスは悪くないよ。
テレビの中では、まだ映画のストーリーが進行している。でも、私にはもうその音すら聞こえていなかった。聞こえるのも、見えるのも、感じるのも、目の前の大好きな王子様だけ。
「……君といると錯覚しそうになるなあ」
耳元で優しく囁かれた言葉の意味は、蕩けた頭では全く理解出来なかったけれど。