Caligula Overdose
夢小説設定
この小説の夢小説設定not部長。帰宅部のメンバー。
メビウスでのクラスは2年7組。年齢17歳。実年齢18歳。現実世界でも高校生
メビウス歴は一年くらい
帰宅部に入る以前からホコロビに気付いており、琵琶坂先輩と行動をともにしていたという設定です
(一部の話には男部長が登場します)
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甘いミートソースは好みじゃない。そう告げたら、次に出てきた時、彼女のお手製のミートソースパスタは鷹の爪が入ったスパイシーなものに変貌を遂げていた。
どうですか、今回はお口に合いますか。上目遣いに揺れる視線は何とも不安げで、まるで沙汰を待つ罪人を思わせた。その卑屈さと従順さに口元を綻ばせれば、彼女も腑抜けた笑顔を見せた。
それからというもの、彼女の作るミートソースは必ずその味になった。プランターで育てている、たっぷりのフレッシュバジルを千切ってトッピングするのも忘れずに。
だが、それももう数年前のことだ。
目の前には、あの時よりも幾分歳を重ねた彼女。そして、その生き写しのような小さな女のガキが座っている。
ようやく自分で食事が出来るようになったばかりの幼い子ども。フォークも箸も一応使えるようにはなったが、まだ大人ほど器用にとはいかない。すぐに食べこぼすし、顔も服も汚す。
「ほら、お口を拭いて」と、その子どもの頬を濡れたタオルで拭う彼女は、慈愛に満ちた母親そのものだった。それはそうだろう。その子どもを生んだのは間違いなく彼女だ。
更に言うと、父親は紛れもなく僕なのだ。
四十の誕生日を目前に控え、雨宮三緒里と籍を入れた。正直その必要性を強く感じていなかったのは事実なのだが、「既婚」のステータスは捨て難かった。
伴侶として彼女を選んだのは、やはりどこまでも都合が良かったからだ。清楚、貞淑を絵に描いたような女。仕事にのめり込んで放っておいても文句を言わない。僕の帰宅が深夜になっても起きて待っているなんてざらだったし、どんなに早く家を出るときも必ず朝食を用意して見送りを欠かさない。「内助の功」という言葉がこれほどに似合う相手もいないだろう。
それに、長い同棲期間を経ても、彼女と共に生活することに苦痛はなかった。総合的判断から、他の選択肢などあろうはずもない。
「子どもは要らない」という価値観が合致したのも大きかった。彼女は子を持つことに怯えていた。実の母親から愛情を得られなかったから、自分の子どもに同じことをしてしまうかもしれないのが怖い――そう吐露した彼女の頭を撫でて、僕は笑った。「僕も、ずっと君と二人だけで構わない」と。
――ああ。そう決めて、夫婦なんて間柄になったはずだった。
なのに、いつの間にかその気持ちは薄れて、彼女を孕ませたい気持ちが強くなって――また、彼女がそれに応えるものだから――今や、僕の生活環境はこの有様だ。
結局、彼女は自分が恐れていたような母親にはならなかった。虐待もネグレクトもせず、愛おしげに娘を抱きしめる姿は実に真っ当だ。己の育て直しでもしている心地なのだろうかと密かに連想したが。
テーブルの上には、本日の昼食であるミートソーススパゲティが鎮座している。その味付けは、最初に食べたものと同じ、辛味のかけらもないものだ。
娘が生まれてから、食卓に上がる味が一変した。香りや刺激の強いものは一切出てこない。カレーもパスタも、どれもこれも幼い子どもでも食べられる甘口だ。それで構わないと言ったのは、他でもない僕なのだが。
当初、三緒里君は大人が食べるものと、娘が食べるものの味付けを変えて作り分けていた。だが、それが手間なのは傍から見ていても容易に想像がつく。家事と子どもの世話で、彼女が疲弊しているのは表情からも読み取れた。それを気の毒に思ったわけではないが、『辛味が欲しければ、自分の取り分だけ調節出来る。娘のものと同じ味付けで構わない』と、僕の方から提案した。
とは言え、如何にタバスコやスパイスで調整しても、過去に口にしていたものと同じ味とは言い難い。たまに無性に昔の味が恋しくなることもある。
だが、それを彼女に告げることなく、今日も僕は甘いミートソースを口にする。自分の舌がすっかりとそれに慣らされたのを自覚しながら。
「そういえば、最近は外食も御無沙汰だな」
夜半。娘を子供部屋に寝かしつけると、ようやく夫婦水入らずの時間が訪れる。娘と寝室を分けたのは正解だったと毎夜この瞬間に実感する。
寝支度を整え、ベッドの端に腰掛ける三緒里君に語りかけると、彼女は懐かしそうに目を細めた。
「そうですねぇ。永至さん、昔は色んなお店に連れて行ってくれましたよね」
「まるで僕が結婚してから君を顧みなくなったような言い方はよしてくれないか」
「そ、そういう意味じゃないんです」
解っている。解ってはいるが、少しばかり虐めたくもなる。そうして困って眉尻を下げる君の顔が、出会った頃から何よりも好ましいのだ。
「メビウスでも、現実でも、美味しいものを沢山教えてもらいました。永至さんがいなかったら、きっと未だに食べたことなかったもの、いっぱいあったと思います」
「君が望むなら、またどこにだって連れて行ってやるよ。あの子は一日くらい、誰かに預ければいいだろう?」
そう。娘がいる限り、それなりの店での外食は難しい。未就学児や小学生以下が入店出来ない店も多いし、本人もまだ長時間じっとしていられるとは思えない。いくら他のガキより行儀が良いとはいえ、だ。
買い物のついでに食事をして帰ることもあったが、立ち寄れるのは所帯じみたファミレスが精々でそれに嫌気が差し、最近は避けている。しかし、その時も三緒里君はいつも娘に食べさせることばかりに終始していた。落ち着いて食事をしている姿をここ数年見ていないように思う。
彼女は今の状況に満足しているのだろうか。というか、僕は相当に欲求不満で仕方がない。一日くらい二人で独身時代に戻って、落ち着いた店で美味いものを食べてもバチは当たらないのではないだろうか。
しかし、僕の提案に三緒里君はぱちくりと目を瞬かせた。
「誰かって?」
「……まあ、君のお祖父様とお祖母様が適任かと思うが」
お互い、一親等の身内がいない身だ。頼れる相手となると、彼女の育ての親も同然の祖父母しかいない。
元帰宅部の誰かに声をかけるかとも一瞬脳裏を過ぎったが、すぐにその案は打ち消した。あの連中に借りを作るのは絶対に御免だ。
三緒里君は頬に指を当て、しばし思案してみせた。そうして、夢を見るような声で言った。
「次の結婚記念日とかならいいかもですね」
「……半年以上先じゃないか」
「何でもない日に、あの子をほっとくわけにはいかないです。それに、出来ればご飯は家族揃って食べたいですし」
ね、と首を傾げて彼女が笑う。ああ、くそ、それに絆されるのはどういうわけだ。我ながらまったくどうかしていると、右手で前髪を掻き乱す。
解ったよと頷けば、彼女は満足気な顔でベッドへと潜り込み、先に横になっていた僕にそっと身を寄せてきた。
「永至さん大好きです」
「知っているさ」
分かり切っている下らない睦言を封殺すべく、白い額に口付ける。腕の中の妻はくすぐったそうに身を捩り、ふふ、と小さく笑い声を上げた。
隣室で眠る子どもに思いを馳せる。あのガキを枷のように煩わしいと感じる時もあるが、すぐにでも折れそうなあの細い首に手をかけることを夢想することはあれど、実行しようとは思わない。そうしたらきっと、この腕の中で幸せそうに笑む愚かな女も、幻のように消えていなくなるのだろうから。
昼に食べたスパゲティのように甘い日常。心から望んでいたものとは言い難いが、存外悪くないと思える自分も確かに存在する。
「……あの子を連れて本格イタリアンの店に行けるのはいつになるのかな」
脳裏に浮かんだ言葉をぽつりと呟けば、
「きっとあっという間ですよ」
事も無げに、三緒里君は笑った。