□12 日常から抜粋した非日常
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光陰矢の如しとは言ったもので、ようやく日常が確定し始めた頃には10月も後半。
ハロウィンを目前にして、ヒサキはいつもの早朝、牢屋の中で一人、昨日テオス同伴で成功した呪文の最終確認を行っていた。
ヒサキは目前に置いた薬草学の教科書に杖を向け、深呼吸を一つした。
「エレクトロニクヴォルーメン・コンバート。
うん、よし。
クワエレレ。『薬草』、ブスカ。ブスカ、イベルスブスカ、イベルスブスカ。クワエレレ、『とりかぶと』、イベルスブスカ。ブスカ……フィニート・インカンターテム。レパリファージ。
エイシャオラァ!我は勝利した!!」
ヒサキは弾かれたように拳を突き上げ、ガッツポーズを決めた。
「はー、これで文字読むストレス減プラス調べ物が超効率化できる…やはり活字よりデジタルフォントのが性に合ってるわ」
彼女の創作呪文が、ようやくの完成を迎えた。
§
最後の非日常は、その翌日、目覚めてすぐに起きた。
といっても、取るに足らないことでもある。
つまり。
(いや急にメタくそ具合悪いんやが!?)
体調を崩した。
咳などの目に見える風邪らしい症状ではないが、目覚めてほどなく、明らかな体調不良を彼女は自覚した。
全身が怠く、頭は大岩を乗せたように重く、寒気とめまいが酷かった。
いっそサボりたい気すらしてきたが、体調が落ち込んだ時の心理状態はよくよく体験してきた程度には生きた記憶のあるヒサキはゆっくりと体を起こした。
全身の四肢を引きずるように身支度を終え、ヒサキはいつもより遅めに通路へと出た。
遅めと言っても同室の女の子たちはまだまだ夢の中ではあったが。
ぐらつきそうな頭を押さえながら、いつもより狭まった歩幅で、一歩一歩気力と照準を然りと込めて歩き出した。
めまいの中で視界の揺れに酷く敏感になり、長く頻繁なまばたきの合間に薄目で前方を確認した
でないとまっすぐ歩けやしなかった。
毎朝起きて談話室にいるノットを厄介に思いながら彼女は重い全身を気合で動かした。
談話室を通過すれば屋敷しもべが呼べる。そうしたら医務室まですぐだと。
偶々ノットより早く起きて出ていたことなどにすればいい事や、毎朝彼に識別されて一日を始めなければいけない理由などないのだが。そしてそのことに気付くのは治癒後のことであったのだが。
2ヵ月ですっかり習慣化してしまった動作なために、体調不良で濁り淀んだヒサキの思考力では、そこまでの考えに至ることはできなかった。
やがて普段よりも倍程度の時間をかけ、ようやっと女子寮の通路を歩き切ったヒサキは深呼吸を一つした。
少しだけだからと自分に言い聞かせ、眉間の皺と薄目を開けて頭を押さえる手を降ろし、なるべく平静を装って談話室へと足を踏み入れた。
「おはようございます、ノットさん……」
いつも通りを心掛けたものの、力が入り過ぎないように調整したところ調整しきれず、少し気だるげになってしまった。
が、もっと眠そうな言い方した日もあったので、ひとまずヒサキは第一関門:ヨシ!とした。
ノットはいつも通りの涼しい顔をして、分厚い本を読んでいた。
薪がパチンと弾ける音だけがヒサキの鼓膜から頭に響く。
いつも通りのシカトだ。
ヒサキはなるべく平静を保って、寮の出入り口に向かって歩き始めた。
ノットの背面に回りこむよう、ヒサキが数歩歩いたところで、ノットがゆるりと顔を上げた。
無論すでにヒサキはノットから視線を外し、内心必死で出入り口を真っ直ぐ目指しているので気付かなかったが、すぐに気が付くことになった。
「大丈夫か?」
「……あれ、え、私に言ったんですか」
その言葉にヒサキは数秒ほど反応できなかった。
「僕が独り言するところを見たことがあるのか?」
「いえ…」
その間にノットはすでに本を閉じて立ち上がっていた。
そうされるとヒサキは対応のために立ち止まらざるを得なかった。
この空間で彼が――ページを捲ったり爪先をわずかに動かしたりする以外で――動いているところを見るのはヒサキは初めてだった。
「この時間の談話室は音がよく響く」
ノットは読んでいた本を右脇に抱えながらやってきた。
静かな足音だった。しかし、確かにその音はヒサキの耳に届いた。ノットの言葉通り、僅かな音でも響いて、拾えてしまった。
「足音と声の切り方が、調子の悪さを隠す母上のようだった。もう一度聞くが、大丈夫か?」
ヒサキは苦痛という靄の掛かった脳裏の奥で、ノットの母親が遅くとも在学中には亡くなっていることをふと思い出した。
ならばきっと、完全に誤魔化すのは得策ではないと判断した。
「大丈夫です、これから医務室に行くところなので…」
「こんな時間に?医務室が開いていなかったらどうするつもりだ?」
「ゆっくり行きますから…、それで着いても開いてなければ、ドアの前で休みながら待ちます…」
ヒサキがそう言って重い頭をまた右手で支えながら「心配してくれてありがとうございます」と微笑んだ。
ノットは少し眉間に皺を寄せると、おもむろにヒサキの腕を引いた。
そのときヒサキは、幸いか、今日は左腕に杖を仕込み忘れていたことに気付いたが、それより突然腕を引かれたことに困惑した。
ノットはヒサキを暖炉に一番近いソファに腰掛けさせた。
ヒサキは抵抗する気力もなく大人しく従ったが、意図を掴みかねていた。彼は一人が好きで、だから医務室へ行くと言えばそのまま送り出してくれるものと思っていたからだ。
そんな視線に気づいたのか、ノットはヒサキの横に、一人分ほどの間を開けて座りながら口を開いた。
「医務室が開く時間は知っている。それは皆が起きてくるよりも早い時間だけど、まだしばらくは先だ」
そう言ってノットは本を開き直しながら、窓の外へ視線をやった。
黎明時の湖中は、塗りつぶしたように真っ暗だった。
「医務室前の通路よりは、暖炉の前で休んだ方がいい」
「何時から開くんですか?」
「時間が近づいたら教えてやる」
ノットはヒサキの質問に明確には答えず、開かれた本に再び視線を落とし始めた。
「お前は今は何も考えなくていい」
ヒサキは何か言おうと思ったが、曇った頭で言葉がまとまらず、やめた。
不本意ながら、有難いと思ってしまった。
ノットの行動は非常に意外で、親切だった。
なにより、そろそろ取り繕うのは限界で、小難しい思考もいよいよ苦痛となっていたのでヒサキは大人しく従うことにした。
「有難う御座います、ノットさん…」
それだけ言って、ヒサキはソファーのひじ掛けに覆いかぶさるようにもたれかかった。
腕に額を預けるようにして顔を伏せ、頑張って上げていた瞼を降ろし、人心地付いたように息を深く吐いた。
眠ってしまわないように、聴覚だけを張り、拾った音を意識した。
暫らくは、暖炉の薪が弾ける音と、ページを捲る音、それから自分の不正常な呼吸音だけを聞いていた。
体調は全く良くはならなかった。それどころか、深く息をしても、抜けない息苦しさが新しく表れた。
寒気は酷くなり、ゆだるような熱と響く様な頭痛もやってきた。
温かな暖炉にほど近いというのに、我慢しようとも、かじかむような呼吸をせずにはいられなくなったことも自覚した。
きっと医務室前の、寒く硬い廊下で待っていたらもっとしんどい思いをしていただろう。
そう思うと、ノットの対応には素直に感謝せざるを得なかったし、そうするとどのように恩を返したらいいのか億劫なことを考えなくてはいけないなと軽く憂鬱に思った。
こんな少年に気を使わせて、しかもそれが正しく有難い判断であって、さらに自分の考えの方が愚かであった事実もまた彼女を沈ませた。
そうして自分の下らないプライドを自覚して…と、負のスパイラルを展開していた。