□12 日常から抜粋した非日常
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ヒサキの『日常の形成』たる出来事はまだあった。
とりわけこれが一番大きいというか、劇的というか、そうともいえるだろう出来事は10月に差し掛かってすぐに起きた。
「リッテラ…エレクトロニックス…エレクトロニティ…ウォルーメン………ぬああ!ファック!!」
相変わらずヒサキが早朝の地下牢で、新しい呪文開発に勤しんでいた時だった。
呪文開発を始めて数週間、目的の呪文に対するイメージはしっかりしているのだが、なかなかに手ごたえがなく実用化は難航していた。
「ていうか心折れそう……なんで私こんなことしてんだっけ……どうせすぐ死ぬし他人に伝授する気も無いのに……いやだからその短い人生エン~~ジョイン!するためだろおればか」
ヒサキがそんなボヤキと共に自分の横っ面をひっ叩いているその時だった。
明らかな気配が、牢屋のひとつに突如として現れたのは。
ヒサキが再び集中しようと独り言を消した時、彼女はすぐにそれを認知し、息を止めた。
僅かに聞こえる息遣いと言えばいいか、空気の流れ変わりというか――とにかくそこに何かいるような。
すぐにそれは確信となる。
地下牢の湿った静寂のなか、革靴らしい足音が響いたのは、ヒサキが呼吸を止めてすぐのことだった。
それが、開け放たれた地下牢の一室から出てきた。
通路を歩く音がする。
それはヒサキが使用している一番奥の牢屋に向けて、確実に近づいている。
ヒサキはハンノキの杖を構えながら、息を殺した。
やがてヒサキの視界にその姿が映った。
頭をすっぽりと覆うフードローブに、真っ黒な仮面。縦に細長い身体は、体格的に男性のようだった。
(いつから居た?ホグワーツで姿現しはできなかったんじゃ?)
ヒサキはこちらに来て作業を始める前にクリアリングは必ずしていた。
つまり、すべての牢を一室一室余すことなく確認していたのだ。
にもかかわらずその男は地下牢の入り口ではなく、突然そこに現れた。
緩慢な動きをしてやってきた男は、ヒサキの姿を認識するや否や、これ以上ないほど機敏に杖を向けた。
男の突然の鋭い動きはヒサキをわずかに怯ませた。
気をすぐに取り戻したヒサキが反射的に防御呪文を発音し切る前に、――緑色の閃光が弾けた。
「いや嘘ですよね」
ヒサキはつい突っ込んだ。
ほぼ息だけのごく小さな声量で放たれたそれは、死の呪文だった。
当然ながらそれは、ヒサキには効かない。
緑色の閃光は確かに彼女に着弾して、そして消えた。
鉄格子に突っ込まれた男の杖腕が震えながら引っ込められた。
その動作を見つめていれば、男は杖をひと振りした。
すると、不思議なことに、空中に文字が浮かび上がった
『なぜ死んでくれないんだ』
その文字は、鉄格子の中に現れたことからして、明らかにヒサキへ宛てられたもののようだった。
なのでヒサキはゆっくりと口を開いた。
「私はそういう人だからとしか言いようがないですね。あえて言うなら7年後に死が決定していますが」
男は再び杖を振った。文字が形を変えた。
『今死んでほしいんだ、私があの時の君と出会いさえしなければ、私が君を目で追い続けなければ……私はきっと痛みを知らずに済んだのだ……』
「うーんと。7年経つまでは私も、見ての通り死にたくとも死ねないので無茶ぶりというものですね」
ヒサキは内心おや?と思った。
今『ホグワーツへの侵入者がたまたま居合わせた目撃者を殺そうとするシチュエーション』であると思っていたのだが、どうやらそうではないらしい雰囲気を感じ取った。
何故なら追撃がないのだ。落ち着きを払いすぎている自分にまったく驚きも疑問も寄越さないのだ。死なぬ疑問こそ渡してきたがそれにしては『予期せぬ奇跡に直面』というよりは、まるで『奇跡の答え合わせ』のように静的な反応なのだ。
男はゆっくりと身をかがめ、ヒサキの牢へと入ってきた。
『つまりは――つくづく、私は君の呪縛から逃れることが出来ないのだと痛感したよ』
「不思議なことを仰いますね」
『そうとも。私と今のヒサキは初対面だという事実に間違いはない』
牢の前に立たれた時から逃げ場のないヒサキは、すでに両腕を下げて、すっかり立ち尽くしていた。
追撃がないのなら刺激しないことが第一と考えてのことだった。
男はついにヒサキの目の前までやってきた。
何をしてくるのか見上げるヒサキを、男は猫背になって見下ろした。
(いや近づくまえから分かってたけど背マジで高いなこの不審者。ハグリッドほどではないけどスネイプよりは間違いなくタッパあるぞ)
男は突然、崩れ落ちるようにヒサキの小さな身体を抱きしめた。
(いや情緒)
ヒサキもこれは予想外で、どうしたらいいかわからず固まった。
覆い被さってきたその男の真っ黒なローブは、想像以上に手触りが良く、ふわりと香水の匂いが香った。
まるでココアの花があればこのような感じだろうか、甘やかで気品のある匂いがした。
ヒサキはすぐにその匂いが香水であることに気が付いた。
すっぽりと覆われた中で気付いたのだがローブの中身や彼の肌からわずかに別の香りがしたからだ。
木や金属、塗料、オイルなどのにおいが混じりあったような、まるで工場のようなにおい。それが、その上質な黒いローブの下には隠されていた。
男はどこもかしこも長細く、大きかった。
両膝をついてもなおヒサキの頭のてっぺんは彼の目線ほどしかなく、しかし彼が背中を大きく曲げているので、なんとか肩口から向こう側が見えている。
男が杖を振る気配がした。
文字がヒサキの目前に浮かび上がる。
『私の名前はテオス。どうか、私の名前を呼んではくれないか』
「……テオス様?」
『違う。畏まらず、親しい友人のように呼んでくれ』
「テオさん?」
『違う』またもやNo.と浮かんだ文字が、形を変えた。『どうか、どうか。異性の恋人にするように呼んでくれ』
「テオ」
反射的に答えはしたが、ますますヒサキは意味が分からなかった。
ついさっき、この男は自分を間違いなく殺そうとしたのだ。
それが、なぜこんなことになっているのかわからなかった。
『私を愛していると言ってくれ』
「愛してる、テオ」
とにかく拒む理由もなかったヒサキはその男の指示通りにした。
男は震えていた。
震え出すべきは完全にこちらの方だというのに、ヒサキはとりあえず、なぜか縋る様に抱きしめてくるこの男の背中に手を伸ばして撫でてみた。
「好きよ、テオ。あなたが大好き。愛してる。私の大切なテオ、心から愛するテオ」
物に語り掛けている時のような、慈しみを持った声色で、そのテオスとやらの背中や頭部を撫でてみた。
男はしばらく呼吸すら忘れたように固まり、やがて深呼吸をしてヒサキから離れた。
『上手いな』
男は惜し気にヒサキの頬に触れた。
『よくわかっていた。この頃から、最初から、お前は感情の演技が本当に上手かった』
ヒサキは黙って文字を追った。
『だというのに恐れを知らず素直すぎて、だからこそ心配になる。しかし、最低限の分別と歳並外れた知性があるから生き残れている。それがヒサキだったな』
男が空虚に笑った気がした。
彼の手がヒサキの頬から離れて、戻された。
「良く知っているんですね」
ヒサキはただ軽蔑もせず、好意も持たず、そう言った。
男は『とても』と文字を表示させると、数歩下がり、謝罪を一つ置いた。
『私のことは引き続きテオと呼んでくれ。それから、君はここで呪文の開発をしているのだろう?それを手伝わせて欲しい』
男はとても奇妙だった。
『決して他者には明かさない』
「なぜそこまで私を知っているのか、あなたが何者なのか、どこからきたのか。聞きたいことだらけだけど、答えられる質問はありますか?」
『無い。しかし誓おう。君に不利益や害は決してもたらさない。第三者が居ればすぐにでも破れぬ誓いを立てたところだ』
「不思議な方だ」
『……よければ、君の楽なように話してほしい。できれば、気の置けない親類や恋人にするように』
「もうなんか聞くけど、テオは私のことが好きなの?」
『そうだ。私はヒサキを心から愛している』
「いやすげーあっさり言うじゃん」
ヒサキはさっぱりわからなかった。
しかし相手が何であれ何かしらのアクションを欲されているというなら、角を立てないように話を進めるしかヒサキにはなかった。そういう性格だった。
ヒサキはなるべく未来に影響しそうなことは隠蔽したかったが、今回考えているのは数年もすればそこまで革新的な呪文でもなくなるものだと自分に言い訳して、軽く考えることにした。
そうして試しと言って考案中の呪文について話してみれば、返ってきたアドバイスはあまりにも的確で、非常な実りをもたらしたのだった。
朝食の時間が近づくと、男はいつの間にか消えていた。
かくして、その翌日の早朝にも男は現れた。
『今、私がどんなに嬉しいか』『次現れたとき私は教員に囲まれていてもおかしくない、君が二度とここを訪れなくてもおかしくないと思っていた』などという文字列をヒサキは読んだ。
やはりわからなかった。
こんなにも白々しく堂々と、こんな幼子に愛を紡ぐ男の真意が。
不自然に己を解す男の正体が。
そういう趣味ゆえであると片付けるには、気のせいかもしれないが、いささか違和感がある気がした。
しかし全く害はなく、ホグワーツや身近な人物に影響も感じられなかった。
むしろ彼がもたらす知識やアドバイスは大きな益だったので、ひとまずヒサキはおいておくことにした。
さらに翌日と翌々日には、男は現れなかったが、一週間後、男は再び現れた。
男はどうやら不定期に訪れた。
そうしてひとまずヒサキは彼を、レアキャラもとい秘密の友人とした。
呪文はハロウィン前に完成した。