■クナリメイジのインキー
44年
竜を逃がし、ヴィダサラは石となった。
ソラスに正体を明かされ、そして彼はたくさんの謝罪とともに、去った。
彼がくぐったエルヴィアンはたちまち濁り、代わりに審問官が入ってきたエルヴィアンが起動した。
来た道のエルヴィアンが皆起動していたおかげで、仲間たちとともにウィンターパレスへ帰ることができた。
命尽きる気でいた審問官に帰る予定などなかったのだが、そうなった。
帰ってすぐ、審問官が足を向けたのは、まだ残っていたソラスの密偵の元だった。
「君から見たソラスは、元気だろうか?」
細路地に連れ込みソラスの名を出してもしらを切り通す密偵に、しかし審問官は伝えた。
「もし、機会があったら伝言を伝えてほしいんだ。
ソラス先生。あなたが何をしようと、誰であろうと、私はあなたのことが大好きだ。何があっても、どうなろうと、あなたの息災を祈っている。
…と。
本当にわからないとか伝えられないならそれでいいんだ
時間を取らせた。すまない」
それだけ伝えると、彼女は密偵の表情すら目にすることなく踵を返し、何事もなく城へ向かった。
会議の最中、審問官は再びやってくる危機を知らせ、そして去っていった。
審問会は解散された。
もとより彼女にとって、審問会とは裂け目からセダスを守るためというのが大前提の組織だった。
全ての裂け目がふさがれたときから、彼女は、なぜか存続を望まれる審問会に疑問を持っていた。
傘下の勢力も、充分な力を取り戻してきている。もう審問会の支援がなくともやっていけるだろう。
助ける組織、という一面が残っていたが、それは審問会にしかできないというわけではない。
つまり、もともと解散の機会をうかがっていた。
ソラスに対する働きかけは弱まってしまうが、すでに密偵は紛れ腐敗しかけている組織。
それにソラスは審問会の人々のことを知りすぎている。
「仲間たちは一斉に出発する。間に合うのは一人。
やっぱり、最後は僕のところに来たんだね。」
別れの最後、皆で集い、解散した。
カレンが去った後、やがて審問官はコールの後を追った。
「君は首飾りがもたらす僕の変化を知って、渋って、恐れていたけれど
結局、精霊に戻った僕も変わらず好きでいてくれたね。
ありがとう」
「宣言通り、フェイドへ行くのか。」
審問官に背を向けたまま、コールの瞳は何もつかまず、そこにないものを探すように見つめる。
「さらなる痛みがやってくる。
助けるんだ。痛みが一番ひどいところを。
……君の行動からあらゆる助け方を学んだ。今度はきっと大丈夫。」
「そうか。ではコールを脱ぎ捨てて、本当の慈悲に戻るんだな
そうしたら、慈悲は私のことを忘れてしまうのかな」
「そうかもね。
でも、君が僕を忘れることはない」
「もちろんだ。
不幸な死を遂げたコールの存在も、その姿をしてもがいていたコールのことも、慈悲の精霊となって去っていくコールも。
私は覚えていよう。たとえ慈悲の精霊がコールと私を忘れても、私が生きている限り」
「ありがとう
…優しい君は僕になれないけれど、僕に歩み寄り、僕を手伝ってくれた。
たくさんの人が救われた。僕は自分を取り戻した。君のおかげだ」
「お互い様だ。コールがあの時助けてくれなければ、私は死んでいた」
数秒の静寂ののち、コールは帽子を取って振り返った。
「形に残るものが欲しいんだね。この帽子は気に入っていたけれど、僕の一部ではないんだ。」
トレードマークである帽子を、コールはそのまま審問官に差し出した。
「私に形見をくれるのか。ありがとう」
審問官の大きな手が、慎重に彼の帽子を受け取った。
帽子に視線を向ける審問官の手を確認すると、コールは手をおろさずに離した。
「受け入れているけれど、それでも僕がいなくなれば君は傷つく。」
離した手は、ゆっくりと上に向かい、審問官もそれに気づいた。
コールの手は、審問官の両頬で止まり、引き寄せた。
求められるまま彼女が前のめりに少しかがむ。
コールは静かに、音もなく触れ合うだけのキスをして、両腕をおろした。
「コール?」
「これは、僕にはこの行為が理解できないけど、いつか君が心のどこかで求めていたことだから
今、僕が君にできることはやってあげたいんだ。少しでも痛みを減らしたい。
このナイフもあげるよ。ずっと持っていたけれど、僕の一部ではないから。君なら、人を傷つける以外の使い方をしてくれる」
「大切にしよう。…色々ありがとう、コール
いや、慈悲の精霊」
「うん。僕も、君でよかった。
僕を取り戻して、一緒に居てくれてありがとう。
僕がもたらす痛みは、きっと時間が忘れさせてくれる。僕はそれをしないから
もう行くよ。君がコールに会うことはもうない」
「ああ。コールとして、慈悲として。長く、傍にいてくれて、心からありがとう。
さようなら」
「さようなら」
コールの身体が空気に溶けて、渦巻く楕円になって、最後に消えた。
冷たい風が、一人ぼっちのヴァショスを吹き付けた。
竜を逃がし、ヴィダサラは石となった。
ソラスに正体を明かされ、そして彼はたくさんの謝罪とともに、去った。
彼がくぐったエルヴィアンはたちまち濁り、代わりに審問官が入ってきたエルヴィアンが起動した。
来た道のエルヴィアンが皆起動していたおかげで、仲間たちとともにウィンターパレスへ帰ることができた。
命尽きる気でいた審問官に帰る予定などなかったのだが、そうなった。
帰ってすぐ、審問官が足を向けたのは、まだ残っていたソラスの密偵の元だった。
「君から見たソラスは、元気だろうか?」
細路地に連れ込みソラスの名を出してもしらを切り通す密偵に、しかし審問官は伝えた。
「もし、機会があったら伝言を伝えてほしいんだ。
ソラス先生。あなたが何をしようと、誰であろうと、私はあなたのことが大好きだ。何があっても、どうなろうと、あなたの息災を祈っている。
…と。
本当にわからないとか伝えられないならそれでいいんだ
時間を取らせた。すまない」
それだけ伝えると、彼女は密偵の表情すら目にすることなく踵を返し、何事もなく城へ向かった。
会議の最中、審問官は再びやってくる危機を知らせ、そして去っていった。
審問会は解散された。
もとより彼女にとって、審問会とは裂け目からセダスを守るためというのが大前提の組織だった。
全ての裂け目がふさがれたときから、彼女は、なぜか存続を望まれる審問会に疑問を持っていた。
傘下の勢力も、充分な力を取り戻してきている。もう審問会の支援がなくともやっていけるだろう。
助ける組織、という一面が残っていたが、それは審問会にしかできないというわけではない。
つまり、もともと解散の機会をうかがっていた。
ソラスに対する働きかけは弱まってしまうが、すでに密偵は紛れ腐敗しかけている組織。
それにソラスは審問会の人々のことを知りすぎている。
「仲間たちは一斉に出発する。間に合うのは一人。
やっぱり、最後は僕のところに来たんだね。」
別れの最後、皆で集い、解散した。
カレンが去った後、やがて審問官はコールの後を追った。
「君は首飾りがもたらす僕の変化を知って、渋って、恐れていたけれど
結局、精霊に戻った僕も変わらず好きでいてくれたね。
ありがとう」
「宣言通り、フェイドへ行くのか。」
審問官に背を向けたまま、コールの瞳は何もつかまず、そこにないものを探すように見つめる。
「さらなる痛みがやってくる。
助けるんだ。痛みが一番ひどいところを。
……君の行動からあらゆる助け方を学んだ。今度はきっと大丈夫。」
「そうか。ではコールを脱ぎ捨てて、本当の慈悲に戻るんだな
そうしたら、慈悲は私のことを忘れてしまうのかな」
「そうかもね。
でも、君が僕を忘れることはない」
「もちろんだ。
不幸な死を遂げたコールの存在も、その姿をしてもがいていたコールのことも、慈悲の精霊となって去っていくコールも。
私は覚えていよう。たとえ慈悲の精霊がコールと私を忘れても、私が生きている限り」
「ありがとう
…優しい君は僕になれないけれど、僕に歩み寄り、僕を手伝ってくれた。
たくさんの人が救われた。僕は自分を取り戻した。君のおかげだ」
「お互い様だ。コールがあの時助けてくれなければ、私は死んでいた」
数秒の静寂ののち、コールは帽子を取って振り返った。
「形に残るものが欲しいんだね。この帽子は気に入っていたけれど、僕の一部ではないんだ。」
トレードマークである帽子を、コールはそのまま審問官に差し出した。
「私に形見をくれるのか。ありがとう」
審問官の大きな手が、慎重に彼の帽子を受け取った。
帽子に視線を向ける審問官の手を確認すると、コールは手をおろさずに離した。
「受け入れているけれど、それでも僕がいなくなれば君は傷つく。」
離した手は、ゆっくりと上に向かい、審問官もそれに気づいた。
コールの手は、審問官の両頬で止まり、引き寄せた。
求められるまま彼女が前のめりに少しかがむ。
コールは静かに、音もなく触れ合うだけのキスをして、両腕をおろした。
「コール?」
「これは、僕にはこの行為が理解できないけど、いつか君が心のどこかで求めていたことだから
今、僕が君にできることはやってあげたいんだ。少しでも痛みを減らしたい。
このナイフもあげるよ。ずっと持っていたけれど、僕の一部ではないから。君なら、人を傷つける以外の使い方をしてくれる」
「大切にしよう。…色々ありがとう、コール
いや、慈悲の精霊」
「うん。僕も、君でよかった。
僕を取り戻して、一緒に居てくれてありがとう。
僕がもたらす痛みは、きっと時間が忘れさせてくれる。僕はそれをしないから
もう行くよ。君がコールに会うことはもうない」
「ああ。コールとして、慈悲として。長く、傍にいてくれて、心からありがとう。
さようなら」
「さようなら」
コールの身体が空気に溶けて、渦巻く楕円になって、最後に消えた。
冷たい風が、一人ぼっちのヴァショスを吹き付けた。
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