□イーサンルート
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【】
日付を超えて一時間と少し。
キャベツの欠片を千切り、小鍋に入れて水だけで茹でたもの。
それをスープマグに注ぎ、簡素な丸椅子に座る。
無機質な照明のもとで昇り立つ湯気と水面を、じっと見つめていた。
しんと静まり返った厨房には彼女以外、誰もいない。
数多の視点から得た情報から、人の来ないタイミングを見計らったので、当然と言えば当然である。
――アルゴス。彼女の種族に名付けるとしたらそのようになるだろう。百目の巨人を示すその名の通り、彼女はアーツとは別枠の能力を隠し持っている。
その能力を一言で言うならば、『並行動作可能な百個の千里眼』。
広い視野により膨大な知見を得ることができる彼女は、記憶喪失になろうと問題なく生活を送っている。――
そんなアルゴスは今。
ただ、銀の調理台に置かれ、湯気を立てる汁の温度が下がるのを待っていた。
お世辞にも美味とは言えない代物で、別にそれは彼女の好物でもなかった。
十数分後、やがて彼女がゆっくりとそれに口をつけはじめた。
温かな湯と僅かなキャベツの香りを感じながら、また一口飲み込んだ時だった。
「そりゃなんだ?ドクター」
何もないはずの背景から、それが彼女の横から覗き込むように現れた。
彼女は腰を上げずに彼を見上げ、さも会えて嬉しいというようにとろりと微笑みその名を呼んだ。
「こんばんは、イーサン」
もちろん、とっくにその接近には気づいていた。
ついでに言えばその姿が薄汚れ、随所に擦り傷がついていること、その理由がたった今任務より帰還した故のものであるということも、とっくに知っていた。
イーサンはと言えば『ほかの奴が見たら卒倒するだろうな』と毎度ながらの感想を持った。
自分にだけ向けられる微笑みは満更でもなかったが、しかし。
数多を率い、時に冷徹な判断を求められる戦術指揮官が、いつ絶命してもおかしくない役職の一人にしか心を開けていない事実は 受け入れ難かった。
イーサンは今回も、アルゴスに微笑みを返すことはできず、名を呼ぶ声に「おう」とだけ返すほかなかった。
「で、それは?」
「湯に野菜を入れただけの汁」
アルゴスはイーサンが複雑な表情をしているのに気付いていた。
しかし、そのような顔をさせているのもまた己であることは知っていたし言及して空気を悪くしたくもなかったので、知らないふりをした。
「ふーん」
「イーサンは、今戻ったのか。朝方の帰還になると思っていたが」
「なんだよ、安心しろって!たまたま早く終わったんだ。やることはきちんとやってきたさ」
「それならいいんだ。お疲れ様」
「どーも。ついでに報告頼んでいいか?」
「悪いがそれでは互いに支障が出る。指定された時間と場所に、担当の者へ予定通り行ってくれ」
「ちぇ」
そこまで軽口を叩いたところで、アルゴスはイーサンが自分の手元をちらちら見ていることに気が付いた。
「なあドクター。それ、まだあるか?」
「…いや。悪いがこれで全部だ。」
「実は腹ペコでさぁ」
「だろうな。だから自室で休むではなく厨房に来たのだろう」
「一口貰っていいか?」
「美味くないぞ」
「あーいいって」
「……私の口が付いているが。それでよければ」
「じゃ貰うわ」
何の躊躇もなくイーサンはマグに口をつけた。
回し飲みなどに抵抗や忌避感を持つほど余裕のある生き方を彼はしていなかった。
アルゴスは少しだけ気恥ずかしかったようだが。
温かな湯がイーサンの喉を伝った。
想像以上に薄い味。
それはまるでレユニオンに居た頃に支給されたスープのようで、イーサンは瞳をぱちくりとさせた。
「いつとは言わないが、懐かしい味な気がすんな」
そう言ってマグをアルゴスの前に返した。
どことなく視線を泳がせていたアルゴスは、目の前に戻ってきたマグに視線を置いた。
思ったより減っていなかった。
「なんつーか、この欠片以外の出汁が全く出てないどころか、塩すら入れてないんだな?」
イーサンは首を傾げていた。
アルゴスはその様子を盗み見て頷いた。
「何も入れていない」
「このぐらいの味が好きなのか?」
「……いいや」
アルゴスは首を振った。
彼女も自覚している。あまりにも薄く、違和感のある湯のようなこの汁は、いっそ白湯とキャベツそれぞれで口にした方がマシな気もするほどに粗末な味であることを。
「違うのか。それまたどうしてわざわざ?料理に失敗したにしては材料が少なすぎるし」
「…馬鹿なことだと笑うだろうが、聞くか?」
「俺が聞いたんだよな?」
「ふっ…それもそうか。」
彼女は区切りを置く様に笑い、少しの間を開けて、ぽつりと紡いだ。
「薄いが、甘いだろう。この汁は」
「薄いけどな」
「きっと路上に座る感染者達はこれを甘いと感じ、そう言うのだろう。生活の豊かな民衆などはきっとこれに甘みなど感じず不味い汁だと捨てるだろう」
「あー……、」
「私は…美味に慣れたくないんだ。だから、厨房に誰も来ない時、たまにこうしている。」
「慣れたくない?」
「嫌なわけではないんだ。料理人に感謝だってしている。彼らを馬鹿にする意図なんて微塵もない。ただ、それしか知らない…それ以外を忘れたと…そうなりたくはないんだ。」
アルゴスは、随分と温もりの落ち着いたマグをなぞった。
「イーサンなら覚えがあるだろう。こういった汁でさえ、迫害される感染者にとっては…」
「うーん、まあ、そうだな。」
「幸いにも、まだ甘い。私はこの甘味を感じられなくなってはいけない。そうなりたくない」
「…そいつらに寄り添いたいって?」
「そんな大層なものではないんだ。私のエゴでしかない。…けれど考える。例えば、私が殺してきた数多のレユニオンは決して人であり『レユニオン』ではないと」
「……」
「レユニオンとは敵対関係にあるが、レユニオンであるから殺すべきなんてことは無いだろう。」
イーサンは静かに腕を組んだ。
「イーサンのような人だって居た。それを忘れたくないから、こうやって彼らにとっては侮辱でしかないのだろうが、その食生活の真似事をしている。私が殺した何人がこれと似たようなものを口にしてきたのだろうかとも」
「殺した殺した言うけど、実際に手を下したのはドクターじゃねえよな?」
「私が殺せと言ったんだ。ナイフで傷付けられたとして、睨み憎むのは傷付けてきた奴に対してであってナイフそのものを憎むことはそうそうない」
「オペレーターは道具ってか」
「駒だよ」
彼らのためにもそう認識すべきだと、アルゴスは笑った。
「情を捨て、道具として考えなければ適確な采配は下せない。傷付いて欲しくないだなんて考えを判断理由にしてはいけない。より多くをより軽傷で乗り越えさせるために。違うか?」
「いいや」
「ありがとう」
肯定に、アルゴスは礼を言いたくなったので言った。
そうであれと求められていることも、彼に対してそれを行うのが今の自分には難しいのではないかと危惧されていることも彼女は知っていた。
「話を戻すが、まあ。彼らにとっては侮辱だろう。結局のところ」
「そうだな。こう言っちゃなんだが、わざわざ馬鹿にしているみたいだって受け取る奴も居るだろうさ」
「ふふっ…だからエゴなんだ」
またよくわからないところで笑った。
彼女は嬉しいときだけでなく、ストレスに対しても、もしくは反応としてよく笑う。
イーサンは彼女と二人になる度にそう思った。
普段から表情ひとつ変えないドクターであるから、そんなことを言ってもおそらく誰も信じないのだろうが。
日付を超えて一時間と少し。
キャベツの欠片を千切り、小鍋に入れて水だけで茹でたもの。
それをスープマグに注ぎ、簡素な丸椅子に座る。
無機質な照明のもとで昇り立つ湯気と水面を、じっと見つめていた。
しんと静まり返った厨房には彼女以外、誰もいない。
数多の視点から得た情報から、人の来ないタイミングを見計らったので、当然と言えば当然である。
――アルゴス。彼女の種族に名付けるとしたらそのようになるだろう。百目の巨人を示すその名の通り、彼女はアーツとは別枠の能力を隠し持っている。
その能力を一言で言うならば、『並行動作可能な百個の千里眼』。
広い視野により膨大な知見を得ることができる彼女は、記憶喪失になろうと問題なく生活を送っている。――
そんなアルゴスは今。
ただ、銀の調理台に置かれ、湯気を立てる汁の温度が下がるのを待っていた。
お世辞にも美味とは言えない代物で、別にそれは彼女の好物でもなかった。
十数分後、やがて彼女がゆっくりとそれに口をつけはじめた。
温かな湯と僅かなキャベツの香りを感じながら、また一口飲み込んだ時だった。
「そりゃなんだ?ドクター」
何もないはずの背景から、それが彼女の横から覗き込むように現れた。
彼女は腰を上げずに彼を見上げ、さも会えて嬉しいというようにとろりと微笑みその名を呼んだ。
「こんばんは、イーサン」
もちろん、とっくにその接近には気づいていた。
ついでに言えばその姿が薄汚れ、随所に擦り傷がついていること、その理由がたった今任務より帰還した故のものであるということも、とっくに知っていた。
イーサンはと言えば『ほかの奴が見たら卒倒するだろうな』と毎度ながらの感想を持った。
自分にだけ向けられる微笑みは満更でもなかったが、しかし。
数多を率い、時に冷徹な判断を求められる戦術指揮官が、いつ絶命してもおかしくない役職の一人にしか心を開けていない事実は 受け入れ難かった。
イーサンは今回も、アルゴスに微笑みを返すことはできず、名を呼ぶ声に「おう」とだけ返すほかなかった。
「で、それは?」
「湯に野菜を入れただけの汁」
アルゴスはイーサンが複雑な表情をしているのに気付いていた。
しかし、そのような顔をさせているのもまた己であることは知っていたし言及して空気を悪くしたくもなかったので、知らないふりをした。
「ふーん」
「イーサンは、今戻ったのか。朝方の帰還になると思っていたが」
「なんだよ、安心しろって!たまたま早く終わったんだ。やることはきちんとやってきたさ」
「それならいいんだ。お疲れ様」
「どーも。ついでに報告頼んでいいか?」
「悪いがそれでは互いに支障が出る。指定された時間と場所に、担当の者へ予定通り行ってくれ」
「ちぇ」
そこまで軽口を叩いたところで、アルゴスはイーサンが自分の手元をちらちら見ていることに気が付いた。
「なあドクター。それ、まだあるか?」
「…いや。悪いがこれで全部だ。」
「実は腹ペコでさぁ」
「だろうな。だから自室で休むではなく厨房に来たのだろう」
「一口貰っていいか?」
「美味くないぞ」
「あーいいって」
「……私の口が付いているが。それでよければ」
「じゃ貰うわ」
何の躊躇もなくイーサンはマグに口をつけた。
回し飲みなどに抵抗や忌避感を持つほど余裕のある生き方を彼はしていなかった。
アルゴスは少しだけ気恥ずかしかったようだが。
温かな湯がイーサンの喉を伝った。
想像以上に薄い味。
それはまるでレユニオンに居た頃に支給されたスープのようで、イーサンは瞳をぱちくりとさせた。
「いつとは言わないが、懐かしい味な気がすんな」
そう言ってマグをアルゴスの前に返した。
どことなく視線を泳がせていたアルゴスは、目の前に戻ってきたマグに視線を置いた。
思ったより減っていなかった。
「なんつーか、この欠片以外の出汁が全く出てないどころか、塩すら入れてないんだな?」
イーサンは首を傾げていた。
アルゴスはその様子を盗み見て頷いた。
「何も入れていない」
「このぐらいの味が好きなのか?」
「……いいや」
アルゴスは首を振った。
彼女も自覚している。あまりにも薄く、違和感のある湯のようなこの汁は、いっそ白湯とキャベツそれぞれで口にした方がマシな気もするほどに粗末な味であることを。
「違うのか。それまたどうしてわざわざ?料理に失敗したにしては材料が少なすぎるし」
「…馬鹿なことだと笑うだろうが、聞くか?」
「俺が聞いたんだよな?」
「ふっ…それもそうか。」
彼女は区切りを置く様に笑い、少しの間を開けて、ぽつりと紡いだ。
「薄いが、甘いだろう。この汁は」
「薄いけどな」
「きっと路上に座る感染者達はこれを甘いと感じ、そう言うのだろう。生活の豊かな民衆などはきっとこれに甘みなど感じず不味い汁だと捨てるだろう」
「あー……、」
「私は…美味に慣れたくないんだ。だから、厨房に誰も来ない時、たまにこうしている。」
「慣れたくない?」
「嫌なわけではないんだ。料理人に感謝だってしている。彼らを馬鹿にする意図なんて微塵もない。ただ、それしか知らない…それ以外を忘れたと…そうなりたくはないんだ。」
アルゴスは、随分と温もりの落ち着いたマグをなぞった。
「イーサンなら覚えがあるだろう。こういった汁でさえ、迫害される感染者にとっては…」
「うーん、まあ、そうだな。」
「幸いにも、まだ甘い。私はこの甘味を感じられなくなってはいけない。そうなりたくない」
「…そいつらに寄り添いたいって?」
「そんな大層なものではないんだ。私のエゴでしかない。…けれど考える。例えば、私が殺してきた数多のレユニオンは決して人であり『レユニオン』ではないと」
「……」
「レユニオンとは敵対関係にあるが、レユニオンであるから殺すべきなんてことは無いだろう。」
イーサンは静かに腕を組んだ。
「イーサンのような人だって居た。それを忘れたくないから、こうやって彼らにとっては侮辱でしかないのだろうが、その食生活の真似事をしている。私が殺した何人がこれと似たようなものを口にしてきたのだろうかとも」
「殺した殺した言うけど、実際に手を下したのはドクターじゃねえよな?」
「私が殺せと言ったんだ。ナイフで傷付けられたとして、睨み憎むのは傷付けてきた奴に対してであってナイフそのものを憎むことはそうそうない」
「オペレーターは道具ってか」
「駒だよ」
彼らのためにもそう認識すべきだと、アルゴスは笑った。
「情を捨て、道具として考えなければ適確な采配は下せない。傷付いて欲しくないだなんて考えを判断理由にしてはいけない。より多くをより軽傷で乗り越えさせるために。違うか?」
「いいや」
「ありがとう」
肯定に、アルゴスは礼を言いたくなったので言った。
そうであれと求められていることも、彼に対してそれを行うのが今の自分には難しいのではないかと危惧されていることも彼女は知っていた。
「話を戻すが、まあ。彼らにとっては侮辱だろう。結局のところ」
「そうだな。こう言っちゃなんだが、わざわざ馬鹿にしているみたいだって受け取る奴も居るだろうさ」
「ふふっ…だからエゴなんだ」
またよくわからないところで笑った。
彼女は嬉しいときだけでなく、ストレスに対しても、もしくは反応としてよく笑う。
イーサンは彼女と二人になる度にそう思った。
普段から表情ひとつ変えないドクターであるから、そんなことを言ってもおそらく誰も信じないのだろうが。