□オリオペ鍋
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【セロリシード+←の子飼い+ムリナール】
「え?」
その報告に不意を打たれたセロリシードの喉から、素っ頓狂な音が漏れた。
「……あのニアールの旦那様が、このロドスに?」
「はい」
思わず聞き返したセロリシードだが、目前に跪くドミノローチが嘘をつく理由はない。
セロリシードが今まで使役し使い捨ててきた『ローチ』の中でも彼女はとりわけ優秀かつ従順な個体であり、だからこそ彼女はレッドローチ、フォレストローチという最も過酷な消耗品時期を越えて『ドミノローチ』という固有名称を与えられるに至った一人なのだ。
ただし使い捨ての駒という大前提が覆ることはなく、現に以前ヒッシングローチがついに使い潰され死地において落命した時も、使えませんねの一言で間髪入れずクロムローチを向かわせていた事をドミノローチは確と記憶している。
それはさておき。
そんな彼女が、まして本艦内の出来事というあまりに簡単に入手できる情報をわざわざ偽る必要は皆無である。つまり今の言葉は真実と判断できる。
「……そうですか」
「明日には到着されるかと思います」
告げられた言葉に、セロリシードはその顔に貼り付いた微笑みを少しだけ深めた。
自分の報告で彼の機嫌が上がったことを察して、ドミノローチの顔にも喜色が浮かぶ。
「マスター……」
そんな彼を伺うように、彼女の指先がそっと彼のつま先を撫ぜた。
視線だけをちらりと向ければ、ドミノローチの頬にはほんのり朱が差していて、それが妙に艶めかしい。
しかしセロリシードはその指先を煩わし気に払い除け、彼女を冷たく見下ろした。
「この程度の事でご褒美を欲しがるのですか?」
「申し訳ありません、マスター。しかし、これで10度目の些事です……。この時のために、私は……」
「くだらないですね」
吐き捨てるように呟いて、セロリシードは立ち上がり、自室の扉にロックをかけた。
「ですが、そういえばそうでした。全く……自主性があってまだ利便性があるのは構いませんが、いかんせん貪欲で浅ましい」
言いながらベッドの縁へと腰掛けると、まるでそれを待っていたかのように、ドミノローチがその膝へと指先を這わせた。
そしてそのまま、甘えるような上目遣いで彼を見上げる。
「卑しく、申し訳ありません、マスター……。ですが……」
そう言ってご機嫌を取るようにすり寄ってくる彼女の顔つきは、およそ酷く端正な部類に入るのだろう。
スンスンと彼の膝元の匂いを嗅ぎながら、時折チラリと上目にこちらを伺う様は、異性同性問わずその気にさせる魔性の色気を漂わせていると言えるかもしれない。
だが生憎と、どれだけ美しくとも、媚びるような声音で囁かれようとも、決して心動かされることはない。
セロリシードにとって彼女は『虫』であり、ただ鬱陶しいという感想しか湧かず、何の感慨もなく溜め息が一つ出るだけだった。
「……不愉快ですが、確かに約束は約束です。仕方ありませんね」
心底嫌そうに顔を歪めて呟くと、セロリシードは袖を捲くりながら彼女を手招いた。
その手に誘われるように、ドミノローチは差し出された褐色の腕へ躊躇なく口づけを落とし、そっと犬歯を食い込ませる。
ブラッドブルードの鋭い牙によって穿たれた皮膚からは、つぷりと赤い雫が溢れ出し、やがてそれは瞬く間に膨れ上がっていった。
ドミノローチはその傷から流れ出す血液を舌で受け止め、舐り、喉を鳴らして嚥下していく。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳が恍惚の色を帯びていき、蕩けたような吐息が漏れる。
その光景を見ながら、セロリシードはこの次に求められるであろう行為に辟易した。
無論、客観的に見れば彼女は優秀であり、その信頼と忠誠の維持費の破格さを考えれば無碍にするのは愚かだ。
事実、こうして吸血および性行為を迫られるのも一度や二度ではない。
だがそれでも、彼はあまり乗り気ではなかった。
何故なら彼女もまた『ローチ』……つまり、かつてセロリシードが仕えていた騎士の暗殺を目的にして送られてきた刺客の一人であり、彼が捕獲し種を植えつけることでその命を掌握した存在だからだ。
尤も、彼女にとって彼の血と身体が堪らなく好みであったらしいことだけは、想定外だったのだが。
「……は、ふ」
やがて口を離したドミノローチは、熱っぽい息を吐いて彼を見上げた。
その瞳は潤み、口元からは唾液が糸を引いている。その表情は、完全に発情した女のそれだった。
「はぁ、……マスター」
「そう焦らないでください。見苦しいですよ?」
咎める言葉とは裏腹に、その声には嘲るような調子が含まれている。
そんな彼に、ドミノローチはまるで駄々をこねる子供のようにいやいやと首を振った。
「申し訳、ございません、マスター……でも私、もう我慢できなくて……!」
言いながら、ドミノローチはその腕をセロリシードの首に回し、自ら身を寄せていく。
そして耳元で囁くように懇願するのだ。どうかお情けをください、と。
「一度言えばわかりますが」
しかし対するセロリシードの反応は冷たいものだった。
苛立ちすら感じられる声で突き放すと、彼女は悲しげに顔を曇らせながらも、言われた通りにそれ以上求めることはしなかった。
従順な態度を見せる彼女に満足しながら、セロリシードは彼女を抱き寄せる。
するとそれだけで、彼女は嬉しそうに頬を緩ませた。
「誇り高きブラッドブルードが、聞いて呆れますね」
侮蔑を込めて囁きながら、その指先で彼女の背筋をなぞっていく。
その刺激だけでビクビクと身体を跳ねさせながら、彼女は甘い声を上げた。
*****
翌日。
ゴゥン、と重厚な駆動音の響く廊下の片隅に目的の人物を見つけたセロリシードは、意気揚々と足を向け歩み寄った。
癖で足音を消してしまわないように気をつけながら、彼が入り用を察知する位置まで来て立ち止まる。
そうすれば、その気配に気付いた相手は振り返り、その視線がセロリシードを捉えて止まった。
「お引き留めして申し訳ありません。只今お時間よろしかったでしょうか?」
「……、構わないが。内容によるな」
「ありがとうございます」
返された言葉と視線に、セロリシードは嬉しそうに微笑んだ。
家門の誇りを遵守し、決して安易な堕落を選ばず、自らに課せられた責務を全うすべく生き続けた不屈の男。
荒波に揉まれ、鋭くも諦観を宿してくたびれた、およそ退廃的な色気を放つその姿に、セロリシードは胸の内でほうと息を吐いた。
古来の名門騎士家たる誇りと存在を尊重し続け、ゆえにおよそ最も苦労するであろう方法で、無頼に支えてきた男。
無慈悲な時代の流れと視線に耐え、落ちぶれたことを自覚しつつも腐らず、無謀さもなく、騎士道と気高さを捨てなかった想像を絶する精神力。
あのムリナール・ニアールが目の前にいるという事実だけで、セロリシードの心には歓喜の花が咲き乱れていた。
「はじめまして。私は行動隊D1所属の医療オペレーターで、コードネームはセロリシードと申します」
けれどもそんな想いなどおくびにも出さず、セロリシードはあくまで上品に笑んで、カジミエーシュ式の正式な礼を取った。
「まさかこのような場でニアール家の旦那様とお会い出来るとは思わず。僭越ながらご挨拶をと」
「……あなたは」
訝しげに眉を寄せる相手に、セロリシードは笑みを深めて言う。
「ええ、カジミエーシュ出身の者です。勉強中、ニアール家の栄光は幾度となく見聞きしておりました。同じ国に生まれた者として、心からの敬意を」
「過去の栄光か。ならば、今の私が何ほどのもので、ニアール家がどれほどなものかも知っているところだろうな」
その言葉と同時に、相手の纏う気配が剣呑なものへと変わった。
だがそれは、セロリシードの想定内の反応であり、この程度の威圧では微塵も揺らがない。
むしろ、自分の言葉で相手が感情を動かしたことに、仄暗い悦びすら感じていた。
「勿論存じ上げておりますとも。ですが、こんにちに至るまで、ニアール家を堅実な方法で、その身一つで守り抜いてきたそんな貴方の素晴らしい忍耐力と矜持は……まさに、この胸を高鳴らせるに足るものなのですよ」
「随分とお喋り上手なようだが、私に取り入って何を企んでいる?生憎と、今の私に残されたものなどありはしない」
警戒するように、あるいは嘲るように吐き捨てられた言葉に、セロリシードはクスリと笑みを零す。
「いいえ。遊侠であった頃から変わらない本当の意味での暗躍者……どれだけ無力を突きつけられ疲弊しても折れない、矜持と信念だけは決して手放さない貴方の姿は実に魅力的で、とても好ましいものでした。まさに貴方自身が財産であると言えるでしょう」
「失礼だが……あなたとは初対面だと思うのだが」
怪訝な表情と共に発せられたその言葉に、セロリシードはこくりと頷いた。
「そうでしょうね。貴方が私のことを知らないのは当然のことです。けれど私は以前より……といっても、就職してからロドスに転職するに至るまでの間、何度か貴方のことをお見かけしていたのですよ。そして貴方を知る人物と話す機会もね」
「何……?」
「とはいえ、直接お話させていただく機会はありませんでしたから、一方的にそのお姿と立ち回りを拝見して心を震わせていただけですが……」
言いながら、セロリシードは白衣のポケットから1枚のメモを取り出し、ムリナールが二の句を告げる前に彼の手を取りそれを握らせた。
「!」
突然の接触に驚いたのだろう、ピクリと肩を震わせた相手へにっこりと微笑みかけながら、セロリシードは優しい声音で囁くように告げる。
「私の仕事用端末の直通IDです」
「……これは一体、どういう意図があってのことで?」
「意図だなんて」
セロリシードは可笑しそうに笑った。
「ただ私は、貴方と少しでも接点を持ちたいだけなのですよ」
掴んだ手の力はそのまま、そっと瞼を上げて彼を見上げれば、ムリナールは険しい表情でセロリシードを見下ろしていた。
その視線を正面から受け止めて、セロリシードは笑みを深める。
「ですからどうぞお受け取り下さいませ。栄養士が本業ではありますが、騎士様や良家の小間使いのようなこともして育ちましたのでご不便なことがあればいつでもお呼び出しくださいね♡」
「……は?」
紙片を押し返そうとした手が、一瞬止まる。
その隙を突いてセロリシードはその紙をムリナールの手にギュッ♡としっかりと握り込ませると、するりと踵を返してその場を離れていった。
普段は脚に巻き付けている尾の先を、機嫌良くフリンフリンと揺らしながら、セロリシードは去っていく。
そんな彼の背中を見つめつつ、ムリナールは彼が口にした『騎士様や良家の小間使い』というワードについて考えを巡らせる。
(……まさか)
手にしていた端末から、セロリシードというオペレーターのプロファイルにアクセスするのにそう時間は要さなかった。
そうして辿り着いた答えに、ムリナールは思わず眉間に皺を寄せたのだった。
競技騎士の専属、と名のつく立場の人間。
ムリナールが嫌悪する、醜悪な闇中の、まさに住人。
しかも彼が仕えていた翠涙騎士といえば、表舞台で見せる善良さとは裏腹に、その背後は黒い噂が絶えず、最後には失踪したというあまりにもな騎士。その背後の一部であったというからには、もはや関わり合いになりたくない人種の筆頭ではなかろうか。
思わず漏れた溜め息とともに、ムリナールは端末を仕舞った。
これ以上余計な情報を仕入れる前にさっさと自室に戻ろうと思い、足早に廊下を進んでいく。
すると不意に、廊下の先に見覚えのある人影が佇んでいることに気付いた。
「……こんにちは」
彼女もまたすぐにこちらに気付きペコリと頭を下げる。
細い四肢に白い肌、冷たさを感じさせる顔立ち。
ロドス艦内に上がった時より偶々顔を合わせることがあり、つい先ほどにはムリナールに届け物を持ってきたばかりの彼女だった。
「聞きたいことがある」
そう言ってムリナールは、先ほどのセロリシードの行動を彼女に説明した。
「―――以上の事から……参考までに、私が知っておくべき事はあるだろうか?」
「そうですね……セロリシードはロドスにやってきた全ての騎士に対して挨拶を行っていると聞き及んでおりますので、それこそご家族か元競技騎士の方々にご相談なさってみては」
「……そうか、そうだな」
なるほど、確かに彼女の言うことも一理あるだろう。
「感謝する」
「いえ。直接的なお力になれず」
礼を言ってその場を去る彼を、クエスチョンは再びペコリと頭を下げて見送った。
彼女こそがまさに、セロリシードの所有物であるドミノローチであることは、誰も知る由もないことだった。
「え?」
その報告に不意を打たれたセロリシードの喉から、素っ頓狂な音が漏れた。
「……あのニアールの旦那様が、このロドスに?」
「はい」
思わず聞き返したセロリシードだが、目前に跪くドミノローチが嘘をつく理由はない。
セロリシードが今まで使役し使い捨ててきた『ローチ』の中でも彼女はとりわけ優秀かつ従順な個体であり、だからこそ彼女はレッドローチ、フォレストローチという最も過酷な消耗品時期を越えて『ドミノローチ』という固有名称を与えられるに至った一人なのだ。
ただし使い捨ての駒という大前提が覆ることはなく、現に以前ヒッシングローチがついに使い潰され死地において落命した時も、使えませんねの一言で間髪入れずクロムローチを向かわせていた事をドミノローチは確と記憶している。
それはさておき。
そんな彼女が、まして本艦内の出来事というあまりに簡単に入手できる情報をわざわざ偽る必要は皆無である。つまり今の言葉は真実と判断できる。
「……そうですか」
「明日には到着されるかと思います」
告げられた言葉に、セロリシードはその顔に貼り付いた微笑みを少しだけ深めた。
自分の報告で彼の機嫌が上がったことを察して、ドミノローチの顔にも喜色が浮かぶ。
「マスター……」
そんな彼を伺うように、彼女の指先がそっと彼のつま先を撫ぜた。
視線だけをちらりと向ければ、ドミノローチの頬にはほんのり朱が差していて、それが妙に艶めかしい。
しかしセロリシードはその指先を煩わし気に払い除け、彼女を冷たく見下ろした。
「この程度の事でご褒美を欲しがるのですか?」
「申し訳ありません、マスター。しかし、これで10度目の些事です……。この時のために、私は……」
「くだらないですね」
吐き捨てるように呟いて、セロリシードは立ち上がり、自室の扉にロックをかけた。
「ですが、そういえばそうでした。全く……自主性があってまだ利便性があるのは構いませんが、いかんせん貪欲で浅ましい」
言いながらベッドの縁へと腰掛けると、まるでそれを待っていたかのように、ドミノローチがその膝へと指先を這わせた。
そしてそのまま、甘えるような上目遣いで彼を見上げる。
「卑しく、申し訳ありません、マスター……。ですが……」
そう言ってご機嫌を取るようにすり寄ってくる彼女の顔つきは、およそ酷く端正な部類に入るのだろう。
スンスンと彼の膝元の匂いを嗅ぎながら、時折チラリと上目にこちらを伺う様は、異性同性問わずその気にさせる魔性の色気を漂わせていると言えるかもしれない。
だが生憎と、どれだけ美しくとも、媚びるような声音で囁かれようとも、決して心動かされることはない。
セロリシードにとって彼女は『虫』であり、ただ鬱陶しいという感想しか湧かず、何の感慨もなく溜め息が一つ出るだけだった。
「……不愉快ですが、確かに約束は約束です。仕方ありませんね」
心底嫌そうに顔を歪めて呟くと、セロリシードは袖を捲くりながら彼女を手招いた。
その手に誘われるように、ドミノローチは差し出された褐色の腕へ躊躇なく口づけを落とし、そっと犬歯を食い込ませる。
ブラッドブルードの鋭い牙によって穿たれた皮膚からは、つぷりと赤い雫が溢れ出し、やがてそれは瞬く間に膨れ上がっていった。
ドミノローチはその傷から流れ出す血液を舌で受け止め、舐り、喉を鳴らして嚥下していく。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳が恍惚の色を帯びていき、蕩けたような吐息が漏れる。
その光景を見ながら、セロリシードはこの次に求められるであろう行為に辟易した。
無論、客観的に見れば彼女は優秀であり、その信頼と忠誠の維持費の破格さを考えれば無碍にするのは愚かだ。
事実、こうして吸血および性行為を迫られるのも一度や二度ではない。
だがそれでも、彼はあまり乗り気ではなかった。
何故なら彼女もまた『ローチ』……つまり、かつてセロリシードが仕えていた騎士の暗殺を目的にして送られてきた刺客の一人であり、彼が捕獲し種を植えつけることでその命を掌握した存在だからだ。
尤も、彼女にとって彼の血と身体が堪らなく好みであったらしいことだけは、想定外だったのだが。
「……は、ふ」
やがて口を離したドミノローチは、熱っぽい息を吐いて彼を見上げた。
その瞳は潤み、口元からは唾液が糸を引いている。その表情は、完全に発情した女のそれだった。
「はぁ、……マスター」
「そう焦らないでください。見苦しいですよ?」
咎める言葉とは裏腹に、その声には嘲るような調子が含まれている。
そんな彼に、ドミノローチはまるで駄々をこねる子供のようにいやいやと首を振った。
「申し訳、ございません、マスター……でも私、もう我慢できなくて……!」
言いながら、ドミノローチはその腕をセロリシードの首に回し、自ら身を寄せていく。
そして耳元で囁くように懇願するのだ。どうかお情けをください、と。
「一度言えばわかりますが」
しかし対するセロリシードの反応は冷たいものだった。
苛立ちすら感じられる声で突き放すと、彼女は悲しげに顔を曇らせながらも、言われた通りにそれ以上求めることはしなかった。
従順な態度を見せる彼女に満足しながら、セロリシードは彼女を抱き寄せる。
するとそれだけで、彼女は嬉しそうに頬を緩ませた。
「誇り高きブラッドブルードが、聞いて呆れますね」
侮蔑を込めて囁きながら、その指先で彼女の背筋をなぞっていく。
その刺激だけでビクビクと身体を跳ねさせながら、彼女は甘い声を上げた。
*****
翌日。
ゴゥン、と重厚な駆動音の響く廊下の片隅に目的の人物を見つけたセロリシードは、意気揚々と足を向け歩み寄った。
癖で足音を消してしまわないように気をつけながら、彼が入り用を察知する位置まで来て立ち止まる。
そうすれば、その気配に気付いた相手は振り返り、その視線がセロリシードを捉えて止まった。
「お引き留めして申し訳ありません。只今お時間よろしかったでしょうか?」
「……、構わないが。内容によるな」
「ありがとうございます」
返された言葉と視線に、セロリシードは嬉しそうに微笑んだ。
家門の誇りを遵守し、決して安易な堕落を選ばず、自らに課せられた責務を全うすべく生き続けた不屈の男。
荒波に揉まれ、鋭くも諦観を宿してくたびれた、およそ退廃的な色気を放つその姿に、セロリシードは胸の内でほうと息を吐いた。
古来の名門騎士家たる誇りと存在を尊重し続け、ゆえにおよそ最も苦労するであろう方法で、無頼に支えてきた男。
無慈悲な時代の流れと視線に耐え、落ちぶれたことを自覚しつつも腐らず、無謀さもなく、騎士道と気高さを捨てなかった想像を絶する精神力。
あのムリナール・ニアールが目の前にいるという事実だけで、セロリシードの心には歓喜の花が咲き乱れていた。
「はじめまして。私は行動隊D1所属の医療オペレーターで、コードネームはセロリシードと申します」
けれどもそんな想いなどおくびにも出さず、セロリシードはあくまで上品に笑んで、カジミエーシュ式の正式な礼を取った。
「まさかこのような場でニアール家の旦那様とお会い出来るとは思わず。僭越ながらご挨拶をと」
「……あなたは」
訝しげに眉を寄せる相手に、セロリシードは笑みを深めて言う。
「ええ、カジミエーシュ出身の者です。勉強中、ニアール家の栄光は幾度となく見聞きしておりました。同じ国に生まれた者として、心からの敬意を」
「過去の栄光か。ならば、今の私が何ほどのもので、ニアール家がどれほどなものかも知っているところだろうな」
その言葉と同時に、相手の纏う気配が剣呑なものへと変わった。
だがそれは、セロリシードの想定内の反応であり、この程度の威圧では微塵も揺らがない。
むしろ、自分の言葉で相手が感情を動かしたことに、仄暗い悦びすら感じていた。
「勿論存じ上げておりますとも。ですが、こんにちに至るまで、ニアール家を堅実な方法で、その身一つで守り抜いてきたそんな貴方の素晴らしい忍耐力と矜持は……まさに、この胸を高鳴らせるに足るものなのですよ」
「随分とお喋り上手なようだが、私に取り入って何を企んでいる?生憎と、今の私に残されたものなどありはしない」
警戒するように、あるいは嘲るように吐き捨てられた言葉に、セロリシードはクスリと笑みを零す。
「いいえ。遊侠であった頃から変わらない本当の意味での暗躍者……どれだけ無力を突きつけられ疲弊しても折れない、矜持と信念だけは決して手放さない貴方の姿は実に魅力的で、とても好ましいものでした。まさに貴方自身が財産であると言えるでしょう」
「失礼だが……あなたとは初対面だと思うのだが」
怪訝な表情と共に発せられたその言葉に、セロリシードはこくりと頷いた。
「そうでしょうね。貴方が私のことを知らないのは当然のことです。けれど私は以前より……といっても、就職してからロドスに転職するに至るまでの間、何度か貴方のことをお見かけしていたのですよ。そして貴方を知る人物と話す機会もね」
「何……?」
「とはいえ、直接お話させていただく機会はありませんでしたから、一方的にそのお姿と立ち回りを拝見して心を震わせていただけですが……」
言いながら、セロリシードは白衣のポケットから1枚のメモを取り出し、ムリナールが二の句を告げる前に彼の手を取りそれを握らせた。
「!」
突然の接触に驚いたのだろう、ピクリと肩を震わせた相手へにっこりと微笑みかけながら、セロリシードは優しい声音で囁くように告げる。
「私の仕事用端末の直通IDです」
「……これは一体、どういう意図があってのことで?」
「意図だなんて」
セロリシードは可笑しそうに笑った。
「ただ私は、貴方と少しでも接点を持ちたいだけなのですよ」
掴んだ手の力はそのまま、そっと瞼を上げて彼を見上げれば、ムリナールは険しい表情でセロリシードを見下ろしていた。
その視線を正面から受け止めて、セロリシードは笑みを深める。
「ですからどうぞお受け取り下さいませ。栄養士が本業ではありますが、騎士様や良家の小間使いのようなこともして育ちましたのでご不便なことがあればいつでもお呼び出しくださいね♡」
「……は?」
紙片を押し返そうとした手が、一瞬止まる。
その隙を突いてセロリシードはその紙をムリナールの手にギュッ♡としっかりと握り込ませると、するりと踵を返してその場を離れていった。
普段は脚に巻き付けている尾の先を、機嫌良くフリンフリンと揺らしながら、セロリシードは去っていく。
そんな彼の背中を見つめつつ、ムリナールは彼が口にした『騎士様や良家の小間使い』というワードについて考えを巡らせる。
(……まさか)
手にしていた端末から、セロリシードというオペレーターのプロファイルにアクセスするのにそう時間は要さなかった。
そうして辿り着いた答えに、ムリナールは思わず眉間に皺を寄せたのだった。
競技騎士の専属、と名のつく立場の人間。
ムリナールが嫌悪する、醜悪な闇中の、まさに住人。
しかも彼が仕えていた翠涙騎士といえば、表舞台で見せる善良さとは裏腹に、その背後は黒い噂が絶えず、最後には失踪したというあまりにもな騎士。その背後の一部であったというからには、もはや関わり合いになりたくない人種の筆頭ではなかろうか。
思わず漏れた溜め息とともに、ムリナールは端末を仕舞った。
これ以上余計な情報を仕入れる前にさっさと自室に戻ろうと思い、足早に廊下を進んでいく。
すると不意に、廊下の先に見覚えのある人影が佇んでいることに気付いた。
「……こんにちは」
彼女もまたすぐにこちらに気付きペコリと頭を下げる。
細い四肢に白い肌、冷たさを感じさせる顔立ち。
ロドス艦内に上がった時より偶々顔を合わせることがあり、つい先ほどにはムリナールに届け物を持ってきたばかりの彼女だった。
「聞きたいことがある」
そう言ってムリナールは、先ほどのセロリシードの行動を彼女に説明した。
「―――以上の事から……参考までに、私が知っておくべき事はあるだろうか?」
「そうですね……セロリシードはロドスにやってきた全ての騎士に対して挨拶を行っていると聞き及んでおりますので、それこそご家族か元競技騎士の方々にご相談なさってみては」
「……そうか、そうだな」
なるほど、確かに彼女の言うことも一理あるだろう。
「感謝する」
「いえ。直接的なお力になれず」
礼を言ってその場を去る彼を、クエスチョンは再びペコリと頭を下げて見送った。
彼女こそがまさに、セロリシードの所有物であるドミノローチであることは、誰も知る由もないことだった。