□アルート
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唐突に天才などとアに投げかけたアルゴスは、そこでようやく安定した理性を取り戻した様子で、言葉を一時中断した。
そうしてアの視線を感じながら、ベッドから降りると、おもむろにウェットティッシュで顔を拭き始めた。
涙の跡でも取ろうかと思い付いたようだったが、その肌は既にさらりとしていたことにすぐ気が付いた。
「あ、旦那…えっと」
「……なんだ、既に拭いてくれたのか」
アルゴスは不快を顕わにするでもなく軽い礼と共にウエットティッシュを丸めて屑籠に入れた。
落ち着いた調子でベッドに戻り、傍らに立つアと斜め向かい合うように座った。
「?」
「座ってくれ」
そして首を傾げたアを呼ぶように、傍らを叩いた。
アは、何か言いたげに目を泳がせた。
「旦那。あのさ……俺が言うのもなんだけど。もっと…警戒心とか持った方がいいと思うよ」
「……?座るように勧めただけだが」
「だとしても気安く異性を寝床に誘うなよ!」
「下心があるのか?」
「……っ!」
無垢に首を傾げて見上げてくるアルゴスに、アは口をつぐんだ。
そういうところだぞ、と言ってやりたくなった。
「…旦那は良く落ち着いているよな。襲われかけたんだぞ?暴れて押さえつけられて…」
「ああ、なるほど。気にするな。暴れたのはその時冷静では無かったし、額の目の危機だと思ったからだ。
そういう経験が無いと思って遠慮しているなら失くしてくれていい。
ロドスに戻ってすぐアーミヤに慣らされたからな。」
「…はっ?」
アは突然の爆弾発言にマヌケにも口をあんぐりと開けた。
「例えばレユニオンに捕縛されたとして、私は殺すだけでは足らないほどに憎まれているし、潤沢な情報を握っている。
良くて凌辱、悪くて拷問がてらの尋問だろう。」
アルゴスは視線を滑らせ、何かを思い出すように目を閉じた。
その瞼の裏の光景を、アは想像せずにはいられなかった。
「経験の有無で、死もしくは助けが来る前に心が壊れる確率が大きく変わる。
心の壊され方によっては情報など垂れ流しか、寝返るか…。その危険がある」
「だ、旦那はそれで…受け入れたのか?」
「いや、嫌だったよ。あれは酷く苦痛だった」
「え?」
「けれど、納得してしまった。個人的な感情は拒む理由にはならない。私の救出のために何人死んだことか。
そうまでして手にした大切なものに、保険をつけておくのは、当然だろう?
それが特に書類も人手も時間もそう要さないものならば、それが微力だとしてもつけるに越したことはないだろう。」
「それは……い、いや…でも、冗談だろ?…だって……」
「……お前は優しいね、アー」
目に見えて戸惑い、気の利いた言葉を探しているのだろう少年の姿に、アルゴスは薄く笑った。
アは、殴られたようだった。
ドクターの責務だとか尊厳のために、アルゴス個人が犠牲となっていたことに。
無垢だと信じていた女性が既に色を知っていた事実に。
まったくそんな事実など無かったかのように、今日びもドクターにすり寄っていたアーミヤに。
こちらを見上げるアルゴスの、陰りを帯びた笑顔が、酷く誘惑的に見えた己の浅ましさに。
「話を戻そうか。」
アルゴスはアが動かないのを見て、腕を組んで視線を外した。
立たせたままは申し訳なく思えたが、座らないのならと諦めたようだった。
「アーが感じている視線。それは確かに私のものだ。」
「!、え、と…そ、そうか…そうなんだな、やっぱり」
突然引き戻された話題と、消されたアルゴスの表情にアは戸惑った。
が、話が流れ返答の放棄を許可されたことに対する少しの安堵と共に、すぐ追いついて頷いた。
「私は、簡単に言えば遠く遮られたものを視ることができるんだ。監視用ドローンのようにな」
「……不可視で、不干渉のか」
「その通りだ。そしてその視覚は、この額の眼を介している。
離れた場所が知覚できる以上、何らかのつながりはあるのだろうが…、ついぞ発見には至らなかったよ。」
「……」
「アーは、その繋がりを嗅ぎ分けていたことになるな」
「そうなるんだろうな……」
自身が彼女にとってよっぽど特別である存在であると暗に言われたようで、アは何処か気恥ずかしげに指先をすり合わせたりした。
そうして視線を反らしたアを見て、アルゴスは思い付きに、その背中を『視』てみた。
「!」
瞬間、ピクとアの尾が反応したのを見逃さなかった。
「…おい、旦那」
「悪い。だが不思議なものだと思ってな。これを嗅ぎ取るだけでは留まらず悦とするなんて極めて不思議だ。
全視神経を使って威嚇したつもりが、正気を失うほど興奮させる結果となるなんて」
「うっ……言うなよ」
「わかった。もう言わない。」
ばつが悪そうに口を尖らせたアの言葉に対し、アルゴスは内心それを可愛らしく思いつつ機械的に頷いた。
そしてふっと天井の照明を見上げて呟いた。
「ロドスが鉱石病の研究第一にしていてよかったよ」
「…でなけりゃ実験体か?」
「事務所に申請を出して断られ、関係悪化まで想像がつくな」
「分かってるじゃねえか。
なら俺は……嗅覚の鋭い種族――例えばウンのようなペッローとか――じゃなくてよかったと心底安心したぜ。
でなけりゃきっと、初対面で腰砕けだ。」
「互いに幸運だったな」
アルゴスは内心で、アはそのまま小さく笑った。
だが、その笑みも、思い出したように止められた。
「……それで、旦那。」
「ん?」
「俺の用事だよ。さっきの話といい…旦那、大丈夫なのかよ」
「大丈夫じゃないよ」
意外にもアルゴスは大人しく即答した。
「まず泣いていただろう。驚かせて悪かったな」
「……あれは、いや…。」
「いつもだよ」
「!」
薄らと仮定していたが、いざ聞くとやはり衝撃だった。
アは、目を見開き、だがすぐにアルゴスに次の言葉を促した。
「業務で精神と理性をすり減らして、しかしおくびにも出すわけにいかないので押し留めて、一人の時いつも眠るまで嘆いている。」
「そっ…か…」
アルゴスは自嘲気味に視線を空虚に上げた。
「私はロドスに到着した時点で、味方も敵も殺し過ぎた。けど投げ出す強さも、逃げて死ぬ勇気も私には無かった」
「……」
「だから。…皮肉にも、自分の弱さに生かされているよ」
同情に堪えなかった。