□アルート
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アは足を止めた。
眼前には、ついに到着したドクターの私室。
「だん、」
「何しに来た」
そのドアに声を掛けるが先か、部屋の主が叩きつけるように顔を出した。
その顔を隠す上着も、顔布も、マスクも無い。
「な――!?」
アは目を見開いた。
見たことの無い表情に、初めて聞く声色。
今まさに火炎にでも炙られ、悲鳴をこらえているかのような。
「な、なにがあったんだ!?旦那がこんなになるなんていったい…」
奥歯を噛み締め、息は切れ、冷や汗と涙が伝うその瞳は血走っていた。
こんな顔は記憶を失う前とて見たことがない。
「帰れ」
ドクターは己の額を掴む様にして顔の大部分を隠し、吐き捨てた。
ギラリと光る緑が、肌の隙間から睨みつけている。
普段の様子とはまるで違いすぎた。
「具合が悪いのか?なあ――」
「誰が死ぬ?」
「は…?」
ギリギリと機嫌悪そうに、いや、泣いているようにも見える様子で、彼女はより鋭く、アを睨み下ろした。
取り巻く気配も、より濃厚なものとなり――
「急用でないなら帰れと言ったんだ」
「……!」
――アの全身が、粟立った。
始めて意識が合った時のように苛烈な衝撃。
目だ。
その目に、身震いするほど、心が激しく動揺していた。
全身を、臓物の奥さえ、余すところなく凝視されているような。
アの脳が、直感のように、本人にも理解できない言葉を排出した。
『全ての眼で、観察されている』と。
いや、それよりも。
アの身体は、無意識に動いていた。
「はっ…?!」
アの両手が彼女の両腕を掴み、割り開く。
険しい顔を崩さずも目を剥いた彼女に向かって踏み込めば、それはあまりに呆気無く押し倒された。
「っ!」
背を打ち付けたアルゴスの顔が、痛みによる歪みに塗り替わる。
アは、それをどこか遠い所で眺めているような感覚だった。
隠す両手が邪魔だから、
掴んで開いたら、退いた。
高くてこれ以上近付けないから、
強めに押したら、倒れた。
逃げられないよう固定したかったから、
覆い被さったら、できた。
「何…何…!?」
突然のことにアルゴスは混乱し、倒された痛みと理解不能な行動への恐怖から、堪え性も無く息を引いて涙を流した。
その様子は当然、アの視界に映る――が、アの理性には届かなかった。
未だ衝動に囚われるアの鼻先が、やがて、引き寄せられるようにして彼女の額をかすめた。
瞬間。
「これだ…」
びん、と。
アの尾が、これ以上ないほどに高く立ち上がり、震えた。
その額に鼻先を付け、深く息を吸い、吐き出す。
熱い息が、アルゴスの顔を汚すように撫でかかった。
アルゴスは恐怖に震えた。
何故ならそこは、アルゴスだけが持つ重要でデリケートな部位。
三個目の眼球。
それが存在する位置。
今もそれは前髪の奥で、涙に濡れながら、いつものように瞼を閉じている。
その視野は衰えない。瞼どころか壁すらも透過して広い範囲を自在に視る。
そして視たアの瞳は、既に、蕩けていた。
―――本当に、意味が分からない。
恐怖と困惑で愕然とするアルゴスを無視して、アは正気を失ったままアルゴスの額を嗅いでいた。
まるでマタタビに酔う猫科のように。
やがて、否、ついには恍惚と舌を出して、そこを舐めた。
「ひっ…!」
アルゴスは声をひっつめて暴れた。
業務で既に彼女の理性は削れ、私室に戻るなり自らの立場による重圧と前線の恐怖に嘆き全てに怯え泣き喚きながら疲れ切って眠りにつくのが日課の彼女であったのだから、堪え性などあるはずも無かった。
もっと言うならば、その最中にアの接近を感知し、外部組織者への不信感と、オペレーターに対する負い目と怯えと苛立ちと威嚇による視線を送りながら、がたがたと怯えに震え泣きそれに怒り狂っていた最中だったのだ。
なすすべなく拘束され、己の心臓ともいえるほど重要で脆く異質故ひた隠しにしていた臓器を、舐められるなど。
危機でしかなかった。
だが悲鳴を上げようにも、恐怖に引き攣り潰れた喉からは声になりそこなった息が辛うじて漏れるだけ。
なにより、アは前衛ではないにしろ戦闘員であり、アルゴスは非戦闘員である。
掴まれた両腕どころか、上に乗りかかる身体すら、ビクともしない。
助けを呼ぶ手段は無い。
アルゴスは、極めて無力な、悲壮感の塊でしかなかった。
そうしている間にも、アは止まらない。
すでに、額の瞳を覆い隠す最後の砦でもある前髪は、ざらついた舌によって暴かれている。
そこにある目の存在など気付いてすらいないような様子で、直にそれを舌で撫でたり、大口を開けて熱い息を吐き出したりしていた。