□アルート
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【特別】
皆が誇るドクターは、記憶を失った後、多くの表情を欠いた。
言葉に感情はある。が、真顔ばかりで、作り笑顔すらも少ない。
敵にも味方にも容赦はなく、勝利に必要ならば、それが一方的に嬲られると知っても囮に出す。
記憶を失ったことはないが、例えば、経験も思想も知り合いも何も持たない状態で見知らぬ世界に突如として放り出されるのはどんな気分だろうか。
そんな時、顔も知らない人々に、我らのトップだなどと担がれて、問答無用に数多の命を握らされるなど、考えただけでゾッとする。
◇
旦那が好きだ。
ぶっちゃけ、男でもいいと思った。
何が好いって。
傍に居るとき、時折ゾクゾクする気配がまとわりつくのが病み付きだった。
初対面の時。
その顔の見えない男と意識がかち合ったときだろう。
背後から観察されているような気配と、暗いフードの奥…闇色を隔てなお射貫くような意識というか、全身の血管に豪風が吹き抜けたような衝撃が駆け巡ったのを覚えている。
実際は、男声の変声機を付けただけの女であったが。
活舌の良い男声の元となっているその女声は、やはり滑らかで、酷くそそるものがあった。
――――などと。
アは改めてアルゴスに対する気持ちを胸の内に呟きながら、フラスコを振っていた。
彼女の瞳と同じ色の液体が、少しずつ黒色へと変わっていくさまは、不思議とアの気分を良くした。
アはドクターを気に入っていた。
しかし、どちらかと言えばアは鼻つまみ者の部類で、ほとんどのオペレーターは進んで近寄りたがらない。
記憶を失う以前のドクターにとっても、アは、避けはしないが特別関わろうともしない程度の所謂『平等』だとか『博愛』の範疇だった。
趣味の研究よりもドクターの気を引くことを優先するなどあり得なかったので、アはそれで納得もしていた。
だがドクターが記憶を失ってから、それは変わった。
――ちらりと背後を盗み見る。
薬品のにおいが充満する、ラボ化した ア の私室。
入口近くの椅子の上。
そこに、縮こまるようにして、ドクターが目を閉じていた。
「なあ、旦那」
声をかければパチリとその目が開かれ、一対の緑がこちらを向いた。
一度、訪ねてきた ウン に誤解されたが、決して眠っているわけでも、まして意識を奪って拐かしたわけでもない。
ドクターは極めて理性的な目を向けて、アの言葉を待っている。
燃えるホウ素のような瞳に、アの姿が映る。
ここに居るのは旦那の意志だと言葉にして、それが嘘にならない、まるで嘘のような状況が今なのだ。
他ならぬアが今、アルゴスの視界を、嗅覚を、聴覚を、意識を独占している。
その事実に、アは品もなくニヤけた。
「呼んだだけだ」
などと言えば、彼女の瞼が静かに降りた。
腹を立てるどころか、動く気配もない。
最近になってドクターは、研究中など、用もないのに、居つくようになった。
邪魔はしてこないし、むしろこうして部屋の隅で目を閉じてばかりだ。
仕向けたのは、俺だ。
そう内心独り言ちて、アはフラスコを置いた。
◇
その日、アは思考していた。
記憶を失ったアルゴスについて。
―――記憶を失ってからの彼女は、ちぐはぐだった。
あの気配は依然としてアの全身を震わせるが。
表情が消え、堂々とした振る舞いをしているようで、その仕草の端々からは臆病者のそれが感じ取れた。
戦いに怯え、仲間の傷に怯え、全ての声に怯え、ドクターと呼ばれることにすら。
それでも進んで名乗り、指揮を受け持ち、敵の骨を断つために仲間の肉を切らせるような判断を躊躇い無く下す。
どちらが嘘なのか、二面性があるだけなのか。
気になったからには解明すべく動かない道理はなかった。
アから、接触しに行ったのだ。
よりにもよって、深夜に思い立ち即行動――理性が削れきったドクターの私室に。
「おいおいおい何事だこりゃ…」
歩もうが止まろうが、未だかつて無いほど絡む気配がアの脳髄を焦がした。
普通は、気付いたような素振りをすれば霧散もしくは薄れるこれが、完全に振り向いたとしても無遠慮に、強烈に絡みつく視線。
目を閉じれば、まるで百の眼に包囲されているような気分になる程だ。
しかし、ドクターの部屋から少しでも遠ざかれば、比例してそれが薄らぐ。
ここまで分かりやすい挙動は初めてだった。
皆が誇るドクターは、記憶を失った後、多くの表情を欠いた。
言葉に感情はある。が、真顔ばかりで、作り笑顔すらも少ない。
敵にも味方にも容赦はなく、勝利に必要ならば、それが一方的に嬲られると知っても囮に出す。
記憶を失ったことはないが、例えば、経験も思想も知り合いも何も持たない状態で見知らぬ世界に突如として放り出されるのはどんな気分だろうか。
そんな時、顔も知らない人々に、我らのトップだなどと担がれて、問答無用に数多の命を握らされるなど、考えただけでゾッとする。
◇
旦那が好きだ。
ぶっちゃけ、男でもいいと思った。
何が好いって。
傍に居るとき、時折ゾクゾクする気配がまとわりつくのが病み付きだった。
初対面の時。
その顔の見えない男と意識がかち合ったときだろう。
背後から観察されているような気配と、暗いフードの奥…闇色を隔てなお射貫くような意識というか、全身の血管に豪風が吹き抜けたような衝撃が駆け巡ったのを覚えている。
実際は、男声の変声機を付けただけの女であったが。
活舌の良い男声の元となっているその女声は、やはり滑らかで、酷くそそるものがあった。
――――などと。
アは改めてアルゴスに対する気持ちを胸の内に呟きながら、フラスコを振っていた。
彼女の瞳と同じ色の液体が、少しずつ黒色へと変わっていくさまは、不思議とアの気分を良くした。
アはドクターを気に入っていた。
しかし、どちらかと言えばアは鼻つまみ者の部類で、ほとんどのオペレーターは進んで近寄りたがらない。
記憶を失う以前のドクターにとっても、アは、避けはしないが特別関わろうともしない程度の所謂『平等』だとか『博愛』の範疇だった。
趣味の研究よりもドクターの気を引くことを優先するなどあり得なかったので、アはそれで納得もしていた。
だがドクターが記憶を失ってから、それは変わった。
――ちらりと背後を盗み見る。
薬品のにおいが充満する、ラボ化した ア の私室。
入口近くの椅子の上。
そこに、縮こまるようにして、ドクターが目を閉じていた。
「なあ、旦那」
声をかければパチリとその目が開かれ、一対の緑がこちらを向いた。
一度、訪ねてきた ウン に誤解されたが、決して眠っているわけでも、まして意識を奪って拐かしたわけでもない。
ドクターは極めて理性的な目を向けて、アの言葉を待っている。
燃えるホウ素のような瞳に、アの姿が映る。
ここに居るのは旦那の意志だと言葉にして、それが嘘にならない、まるで嘘のような状況が今なのだ。
他ならぬアが今、アルゴスの視界を、嗅覚を、聴覚を、意識を独占している。
その事実に、アは品もなくニヤけた。
「呼んだだけだ」
などと言えば、彼女の瞼が静かに降りた。
腹を立てるどころか、動く気配もない。
最近になってドクターは、研究中など、用もないのに、居つくようになった。
邪魔はしてこないし、むしろこうして部屋の隅で目を閉じてばかりだ。
仕向けたのは、俺だ。
そう内心独り言ちて、アはフラスコを置いた。
◇
その日、アは思考していた。
記憶を失ったアルゴスについて。
―――記憶を失ってからの彼女は、ちぐはぐだった。
あの気配は依然としてアの全身を震わせるが。
表情が消え、堂々とした振る舞いをしているようで、その仕草の端々からは臆病者のそれが感じ取れた。
戦いに怯え、仲間の傷に怯え、全ての声に怯え、ドクターと呼ばれることにすら。
それでも進んで名乗り、指揮を受け持ち、敵の骨を断つために仲間の肉を切らせるような判断を躊躇い無く下す。
どちらが嘘なのか、二面性があるだけなのか。
気になったからには解明すべく動かない道理はなかった。
アから、接触しに行ったのだ。
よりにもよって、深夜に思い立ち即行動――理性が削れきったドクターの私室に。
「おいおいおい何事だこりゃ…」
歩もうが止まろうが、未だかつて無いほど絡む気配がアの脳髄を焦がした。
普通は、気付いたような素振りをすれば霧散もしくは薄れるこれが、完全に振り向いたとしても無遠慮に、強烈に絡みつく視線。
目を閉じれば、まるで百の眼に包囲されているような気分になる程だ。
しかし、ドクターの部屋から少しでも遠ざかれば、比例してそれが薄らぐ。
ここまで分かりやすい挙動は初めてだった。