一匹目


緩やかに呼吸を整える。
清める、ということは出来なくはない。けれど、それよりも乱された身体を整える方が先だ。
一定の呼吸を繰り返しながら、自身を透明にして、川の流れを巡らせるイメージを持つ。
少しずつ、少しずつ──澱を、海へと。
そんなことを繰り返してようやく抜けた頃に戻ると、じいちゃんが三人に何か札を渡していた。
──ああ、これは、私が出ていいものじゃない。
そっとその場から姿を消すことを、私は選んだ。

「……賽は投げられた。後は、彼ら次第」

一瞬だけ、じいちゃんのきらきらと光る眼差しと目が合った。

「──ねぇ、こんな世界を、私は知って欲しくなかったよ──」

今の「私」に出来ること。
──必ず守る。##RUBY#今度こそ#・・・・##。

     *

──逢魔ヶ時。
禍の起こる時刻、大禍時の転。
黄昏は「誰そ彼」という言葉から来ているらしく、妖の──つまり、異形の者と人が見分けが付きにくかったという故事に由来する。
つまり、人と妖の区別が最も付きにくく曖昧な時刻。
そして、魔に最も引き込まれやすい時間帯。

赤紫。紅。橙赤。黄金───千紫万紅の花々が咲き乱れるように、様々な夕焼けの色が乱舞する空。
それを写して、幻想的に煌めくふたつ池。
その畔で私達四人は焼き芋を頬張っていた。
私達の正面、つまり池の向こうで桜の木が真っ黒な影を長々と地に這わせていた。

「これ、あげるね」

ごそごそとポシェットを漁る。
そして取り出したのは三つの紫水晶と水晶で造られた綺麗なブレスレット。
魔除けの代わりだ。

「……何でアクセサリー?」

「御守り」

「いや、御守りって……」

「大丈夫、効果は保証するよ」

そう言うと三人は驚いた。

「いや、御守り作るって……」

「だってそっちが本職──あっ」

しまった、と、口を覆った時には、時既に遅し。

「ねえ##NAME3##、本職って何!?」

「椎名、食いつきすぎだから。顔が近い、近いよ。
それについては後で言うから。
──ほら、逢魔ヶ時だ」

視界から鮮やかな色が衰えて、山や森、家々の屋根が黒い影のように見えてくる。
ざわり、と心の内が蠢く。
てっちゃんが立ち上がった。

「行くぞ」

私達は力強くうなずき、後に続く。
ふたつ池を半周して、桜の木の下に立った。
太陽は山の向こうに消え、僅かに残照が山のシルエットを焦がしている。
てっちゃんは深呼吸をし、ポケットから札を取りだし、シワを丁寧に伸ばしてから、桜の木に張り付けた。
それは、木の幹にぺったりと張り付いた。
私はポシェットから四袋、和紙に包まれた物を取り出して、パーカーのポケットにしまった。

「どうか……女を離してやってくれ。
自分の家に帰してやってくれ…!」

てっちゃんはそう、願いを込めて腹の底から一気に叫んだ。

「おんあぼきゃべいろしゃのう まかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん!!」

一瞬の静寂、その後、バシッ!!と鋭い音を立てて大気が震えた。

「ひゃああっ!!」

「すっ、すげえっ!何の音だ!?」

リョーチンが三十センチ程飛び上がり、思わず抱き合ったリョーチンと椎名、呆れたようにそれを見る私の周りで似た音が二、三回、暗がりを引き裂く。

「てっちゃん!」

てっちゃんが呪札を指差したまま動かない。

「てっちゃん、どうした!!」

そこで、二人は初めて気づいた。
呪札と、それを指差したてつしの体が、刻々と深みをます暗がりの中で、ハッキリ光を放ち始めている事に。
そして、指からまっすぐ光の線が伸び、呪札とてっちゃんを結んでいる。

「これは……力だ!何の力かわかんねえけど……すげえ力だ!!」

突然、桜の木が凄まじい音を立てて軋み始めた。
まるで、長い髪を振り乱した女性が見悶えるように。

「ひゃああ──っっ!!」

二人がまた、六十センチ程飛び上がり、そのまま、どすんごろんと後ろへ転がった。

「……大丈夫か?」

さすがに今回は表情がひきつるのを押さえきれなかった。

桜の木は、まるで女の人が長い髪を振り乱しているように、伸ばした梢を揺すり、悲鳴のような音を上げ、ゆっくり倒れた。
そして地面に倒れると同時、呪札を貼った所から、真っ二つに裂け散った。

「わっっ!」

てっちゃんが何かに弾かれてひっくり返るのと同時、呪札とてっちゃんを繋ぐ光の糸が切れた。

「てっちゃん、大丈夫か!」

「大丈夫、てっちゃん」

椎名と私が駆け寄る。

「ああ…大丈夫だ…」

「うわぁ、すごい汗だぜ」

「……感電したみたいだ……身体中がチリチリしてる…」

「てっちゃん!椎名!##NAME3##!あれ見ろよう──!!」

リョーチンが、また絶叫した。
二つに裂けた桜の木は、不気味に伸びた根を晒し、倒れていた。
その根に絡まり…下半身が土に埋まった女が一人、私達を見つめていた。
土に汚れた首に残る紫色の指の痕。
舌はだらりと垂れ、水色のワンピースには一面血が飛び散っていた。

「……げ……」

「……わぁ、惨いなぁ」

瞬いた次の瞬間、女の人は、一気に白骨化し、がろりんと髑髏が落ちた。

「うーん……」

リョーチンが、とうとう気絶した。
彼にしては、よく持ったと思う。
あたりはすっかり闇に覆われ、ぽつりと歩道にある街灯が弱々しい明かりを灯らせる。

「椎名、##NAME3##……ミッタン呼んでこい」

「……あの人素直に来るかな」

「俺たち信用ないもんな」

てっちゃんは、ちょこっと首をかしげたが、すぐ立ち上がって白骨に近づき、上着を脱いで落ちた髑髏をそっと掴んだ。

「これ持ってけ……」

「わかった」

呟くように言ったてっちゃんに、私はそう答えた。

「これ見たら、ミッタンだってブッ飛ぶぜ!」

にかっと笑った顔。
きっと、彼は変わらないのだろう。
この世界に関わっても、尚。
心配な反面、羨ましい。

「うん!行ってくる!!」

そうして、私達は暗い歩道をすっ飛んでいった。
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