六匹目・第一章
久しぶりに嫌な夢だった。
ここの所どうにも寝付きは悪いし、眠りは浅い。それで近々何かあるかと思ったらこのざまだ。
ずくずくと鈍痛を訴える蟀谷を解しつつ、ただ無人の階段を降りる。思考は上の空。歩は緩まったり、止まったり。踊り場から足を踏み出して、空を踏んだ。
「え───」
ずるり、と階段から滑り落ちるのを寸での所で手摺を掴んで回避するものの、全体重が左手首に掛かってしまった。
階段に蹲り、手首を確認すると少しだけ鈍く痛んだ。
どうするか、と考えている内にも、痛みは僅かずつでも強くなっていく。
利き腕ではなくとも、念の為に保健室に行った方が良いだろうと思い、立ち上がる。
半ば別な意味で痛み始めてきた頭を抱えつつ。
*
「……三人とも、今度は何をやったのさ」
自然と声のトーンは落ち、冷ややかな目で団子虫のように床に転がる三人を見る。
「あれ、##NAME1##ちゃん。どうしたの?」
「階段から落ちかけました」
しれっと差し出した手首は、薄らと赤く染まっていた。寝不足で常よりも白い肌と相まって痛々しい。
「椎名くん、ちょっと冷凍庫から氷嚢出して手首冷やしてやって!」
膝の傷口にオキシフルを塗りたくられつつ、##NAME3##には優しいくせに、とてつしが零すと、##NAME1##が苦笑する。事情を知らないというのは、時として幸福な物だと思いつつ。
「そりゃ##NAME3##は(普段)大人しいからね」
「ねぇ椎名、含みがあったのは私の気の所為かな?」
「そうだよ」
軽口を叩き合いつつ、如月女医に湿布を貼ってもらう。
「少し腫れてるかな。後で痛くなるようだったら病院に行ってね」
「はい、ありがとうございます」
「全く、昔から変わらないわね」
その言葉に、椎名が反応する。
「昔から?」
##NAME1##が上院に転校してきたのは三年生の頃。その頃は三人とも##NAME1##の事を殆ど知らなかったし、##NAME1##が薄らと線を引いていたからか、今に比べ割と関わりは薄かった。##NAME1##が地獄堂に居候しているという事も、この間初めて知ったのだから。
聞いてくる椎名に、##NAME1##は曖昧に笑う。
「うん、まぁ」
「そうね……##NAME1##ちゃん、転校してすぐの頃はしょっちゅう怪我して来てたのよ。ちょっと色々あった子だから、っていうのもあるけど……」
##NAME1##ちゃんが怪我して来るのも久しぶりねぇ、と、しみじみと如月女医は呟く。
「##NAME1##ちゃんを見てると私の悩みも大したことじゃない気がしてバカらしくなってくるわね」
「……悩み?」
「もともと大した悩みじゃないんじゃないの」
しれっと言った椎名の頭を怪我していない方の手で叩き、如月女医に話を促す。
「そおよねえ。家にオバケが出るなんて、テレビ番組じゃあるまいし、バッカみたい!」
花の舞うような笑顔で元気に言った如月女医に、てつしは目を輝かせた。
「へえっ!先生ん家、オバケが出るのか!」
「金森くん、オバケ信じるの?」
「おお!信じる信じる。オバケも妖怪も絶対いるって。なあっ!」
「まーね」と異口同音に椎名は無表情、リョーチンはしかめっ面で言った。
「そうだね……」
「へえ、意外ねえ。##NAME1##ちゃんはともかく、三人ともオバケなんかいるもんかっていうタイプに見えるけど」
それはどういう意味だ───と思わず突っ込みかけたが、そこはあえて素知らぬ振りをした。椎名は訳知り顔でにやにや笑っているので足を踏んでおいた。
「あたしん家、今改築中なの。だから一月前から、鷹ノ台にある別の家に仮住まいしてるんだけど……」
*
「……で、確信したわけよ。こりゃあなにかいるんだなって」
保健室の椅子にふんぞり返ってあっけらかんと言う如月女医と、それに鳥肌を立てるリョーチン。
それ完璧に典型的な怪奇現象じゃないですかやだー!と内心で悲鳴を上げる私。
前々から思ってはいたけれど、如月女医はほとんど“こちら側”に対しては鈍感なのだろう。私は“こちら側”だから置いておいても、椎名やリョーチンのように見える人に引っ張られない限りは。
「典型的な現象だよな」
てつしがいやに専門家ぶって言うのに、リョーチンも椎名も同意する。私は寧ろ、何でここまで鈍感なのか、と内心で頭を抱えた。
「へぇ、そうなの。あんたたち、そういうことにくわしいの?」
「まぁね」
##NAME3##の方が詳しいけど、と呟きかけた椎名を小突く。最近一言多い、と囁くと小さく椎名は笑う。
個人的には洒落にならない。
「こういうのって……どうなの?
タタリとかさあ、そういうもんなの?
別に今のとこ、害はなさそうなんだけど」
「それはこうだって、ハッキリしたことは言えないんだ。霊現象の起こり方って様々なんだよな、椎名」
「そう。現象の起こり方もちがうし、人によって感じ方もちがう。でもだいたいは害はないよ。ただ気味は悪いだけで。そうだよね、##NAME3##」
「ねぇ、何でそこ私に振ったの?
……仮住まいだし、そこに住んでいる訳じゃないから大丈夫だと思うけど」
多分。その言葉を飲み込む。
そう言われた如月女医は、明るく笑っていた。
「そーなのよ。ちょっと気持ち悪いけど。どーせあたしの家じゃないんだしさぁって思ったらさあ。
そーよね~。気にすることないわよね~」
それでいいのか、とは思うがそれでいいのだろう。
関わりは無いようだし、無いなら無いで放っておいた方がいい。
「それにしてもあんたたちがオバケについてくわしいなんて思ってもみなかったわ。
どこで勉強したの?本?」
私に関しては何も言うなよ、という思いを込めて三人を見ているのに気付いたのか、三人は顔を見合わせてエヘヘと笑った。
「金森くんも新島くんも、それぐらい学校の勉強を頑張りなさいよ」
……一言多い気がした。
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