六匹目・第一章



とぷり、と液体の揺れるような音。

漂っていた意識は直ぐに、嗚呼、これは夢だ。と気付いた。誰の夢、かは分からない。
ゆらり、ゆらりと揺蕩う意識が、誰かの意識と混ざりあっている事だけは分かっていた。

夢か、現か。

暗闇が揺れて、ぶれて、漸く形を成したそこは牢屋のような部屋だった。漆喰で塗り固められた壁に、畳敷きの床。部屋を真二つに分かつ木の格子。入口のすぐ両側に立つ柱に金具で止め、掲げられた二本の大きな蝋燭の火が、部屋を照らす。


「───恨んでくれるなよ」


二重にぶれる声。

愛しくて、悲しくて、苦しくて、辛い。
だからこそ、憎らしくて、恨めしい。

そうだ。これは私の。


 *


「───嫌な夢」


起きて早々、##NAME1##は額に手を当ててそう呟いた。さらりとした黒髪が目に掛かるが、気にしない様子で虚を見ている。
今は丑三つ時を少し過ぎた頃か。風の音一つしない、静かな外では月が白く輝いていた。

あれは夢だ。けれど、夢じゃない。あれは、誰かの記憶だった。私ではない、誰かの記憶。
昔居た場所に良く似ていたけれど、あそことは違う。あそこはもっと、冷たい場所だったから。少なくとも私はあんな感情を抱いてはいなかった。


「……はは、酷い顔だなぁ」


傍らの文机の電灯を付け、布を掛けてあった鏡台から布を取り払って顔を映す。光に照らされた顔はここの所寝不足気味な所為で常よりも青白く、目の下には薄らと隈が見えた。白い掻巻と合わさってまるで死人のようだ、と胸中で嘲笑し、どうしようもなく沸き立つ激情のままに掻巻に皺が出来る程に握り締める。

息が出来ない程苦しくて、悲しくて───漸く、その呪縛から逃れたと思ったのに、今この身を縛るのは違う“呪い”。
忘れたい。けれど、忘れてはいけない。
私の所為で流された血と、私が呪った魂、負った業、交わした呪い。それは受け入れた筈なのに、時々泣き叫びたくなる時がある。もう嫌だ、消えてしまいたい。と。


───それが赦されないと、知っていても。


ゆるりと口元が嘲笑うように弧を描く。鬱蒼とした笑みと色違いの群青と蒼の異形の瞳が、まるで化け物か何かのように酷く悍ましく見えた。


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