四匹目・第二章
「竜也兄ぃぃ───っっ!!」
『……ワォ』
声の波動から生じた衝撃波が病室を揺るがし、四枚の窓ガラスが砕け散った。
「てつし……!」
恐らくは呪札だろう。
正気に戻った竜也さんは、それを思い切り握り締めた。
バシ───ン!!
強烈な青い火花が散って、少女と竜也さんと、二人が弾き飛ばされ、竜也さんはベッドの下へ転げ落ちた。
一方の少女は壁まで吹き飛んで、そこで消えた。
ガラスの砕け散った窓から、雨が激しく吹き込んでいる。
窓枠に、街灯の灯りを背にしててっちゃんは立っていた。
続いてリョーチンと椎名、私が顔を覗かせた。
「竜也兄!」
私達は窓から飛び込み、竜也さんに駆け寄った。
『椎名、竜也さんは大丈夫だよ。
気絶しているだけ』
「気絶しているだけだって。てっちゃん」
私が確認し、椎名が言った。
てっちゃんは頷き、窓からひらりと降り立った。
「リョーチン、頼むぞ」
「ん……!」
リョーチンは竜也さんの横に、庇うようにして座った。
ポケットから数珠を取り出し、握り締めた。
「悪き力より我らを守りたまえ、おんかかかびさんまいえいそわか」
風が流れるような、何かが動く気配を感じた。
「結界……!何かが集まって、結界を作っている!」
椎名と私には見えていた。
シャボン玉のように、病室の暗がりの中で、虹色の丸い輪郭がキラリ、キラリと光る。
私は一歩引いて、てっちゃんと椎名はそれを背にして立った。
てっちゃんと椎名の向かいの隅。
その暗い所に魔物は蹲っていた。
私と椎名には、それがハッキリと見えた。
『見える?てっちゃん、あそこに居るよ』
「おう……!隠れても無駄だぜ、死神。俺らにゃ、てめえがよく見える。しわくちゃのババアが、フリルのドレスなんぞ着てんじゃねえよ!」
てっちゃんの怒号は大気を震わせた。
激しい雨と、風が吹き込んできて、足元が凍りつくように寒い。
「人間の命を刈ることが、死神の仕事だってのはわかるけどな。てめえは、人の褌で相撲を取ってるだけじゃねぇか。死神なら死神らしく、てめえの力で狩りに来やがれ!!」
てっちゃんの怒号に続くように、私は吐き捨てるように、けれど静かに言った。
『人の命を刈ることは、別に興味もない。というかどうでもいい。それが自然の摂理で、それで輪廻は成り立っているのだから。
だけど、私の目の前で死期も来ていない……私の親友の大切な奴に手を出そうとしたこと、それだけは…………許せないんだよ』
静かな声が大気を静かに震わす。
「……普段大人しい奴ほど怒ると怖い、って本当なんだね」
「うん…」
それに続いて、てっちゃんが呪札を翳す。
「イ───!!」
何かが光った。
直感的に、それがてつしが天駆ける稲妻を召喚しようとしている事がわかった。
「来いよ……来てくれ……俺の力に応えてくれ!」
私はゆっくりと壁際に移る。
俯いて、髪に隠れた片目に蒼の燐光が灯る。
片腕に、蒼い火花が纏う。
この黒幕を引きずり出す為に、捕らえるために。
「なうまくさまんだぼだなん いんだらやそわか……!」
その呪文に呼応するように火花がバチン、と激しく散る。
まだ、駄目だ。
深呼吸をして、力の渦を見つめる。
「来た……!
本当に来た……!!」
投げられた呪札は、空中で二つに裂けた、その瞬間───
バリバリバリ───ッ!!と、凄まじい音を立てて、雷光が散った。
「ひゃあ───っっ!」
「うわあ───っっ!」
「ぎゃあ───っっ!」
『………ワォ』
私は慣れているとはいえ、室内ではやったことがない。
改めてその凄まじさに、冷や汗がながれる。
「てっちゃん、信じてなかったのかよ───っ!」
「う、うるせえっ!びっくりしたんだよ!誰だってびっくりするだろ───が!」
その場合私は例外だけどね。
見慣れちゃったし。
だけどまぁ、無理もないか。
空間を引き裂いただけの落雷でも、おそらくあの字はじいちゃんのだから。
じいちゃんは神様に好かれるみたいだし、凄まじい威力だった。
「す、すげえ……!」
椎名も息を呑んだが、直ぐに我に返った。
「あっ……!逃げたっ!!そこ!」
窓際の壁。
そちらへ向けて、片腕を振った。
『逃げるな!!』
先程の雷に勝るとも劣らぬ凄まじい落雷。
稲妻は、壁を直撃し、風穴を開けた。
そりゃあもう、豪快に。
そこから流れ出してくる風のうねりから、微かに高笑いが響いた。
『……仕留め損ねたか』
「……逃げられた……」
「ちくしょう……こんなに簡単に、逃げられるなんて……」
そうてっちゃんが忌々しげに舌打ちした時。
氷のような冷気が私を襲った。
『危ないっ!!』
つい、てっちゃんの体を咄嗟に弾き飛ばした。
「##NAME3##!」
『大丈夫……っ』
別の意味では駄目だけど。
いや、イメージが。
殺された時のイメージ。それがダイレクトに思考の中へと流れ込む。
「手だ!床下に何十本も手がある!!」
『知ってるよ、“見た”から!』
そう言うと、まだ僅かに残っていた火花を増幅させ、爆発した火花のお陰で足の拘束は解かれた。
『これは、厄介だな……』
今、感情に呑まれてる。
これは結構キツイ。
まだラインが切れきってない。
精神力で保っている僅かな火花の縄で拘束しているが、それも微弱過ぎるものだ。
『なぁ、リョーチン。あいつらを、説得出来るか?』
「え?」
『基本は私がやる。リョーチンの加護は、こいら向きだ。
大丈夫。私の言葉をそのまま、言ってくれればいい』
そして、耳元で言葉を紡ぐ。
ゆっくりと、微弱に霊力を交わらせて。
「『……辛かったね。苦しかったし、悲しかった。……よく分かったよ、十分分かった。皆、苦しかったよね、辛かったよね。だから…もう、楽になろう』」
透き通った静けさが、場を支配していく。
ゆったりとした、暖かさと優しさ。
リョーチンを通している分、優しくなっているのだろう。
皆から見えない側の、隠れた片目は青い燐光を放っていたが、皆にそれは見えていない。
「『もう忘れて、何もかも赦して。全部、全部、置いて、天国へ行こうよ』」
彼女達の目から、狂気が消えていくのが見えた。
「『皆で祈ってもらう、送ってあげる。だからもう、悲しまないで、恨まないで』」
“私が全部引き受けてやるから”
その台詞だけは、リョーチンにも聞き取れないように。
けれど、言霊としての効力は失わないように紡いだ。
「───はっ!」
「どうしたっ、椎名」
「来る……!何か来る!何か凄く……大きいもの……!」
街灯の灯りしかない、暗い部屋。
その中に、幾つもの光の玉が現れた。
蛍のように、雪のように。
皆、それを不思議そうに見ていた。
「雪が降ってるみたいだ……」
光の玉は一点に集まり始め、大きな塊になった。
その中から、長い衣を纏う人が、ゆっくりと現れた。
『リョーチンの護り神、地蔵菩薩…か』
「菩薩……」
嘆きではなく、嬉しくて泣いているような彼女達。私の片目の燐光は、いつの間にか消えていた。
「菩薩だ……!リョーチンの護り神の……地蔵菩薩だ……!!」
私達に、菩薩はにっこりと笑いかけた。
柔らかい、花の綻ぶような笑顔。
菩薩は、それから彼女達に向かって、歌うように言った。
《さあ……行くよ……》
《あああ───っ……!!》
彼女達は泣きじゃくりながら、菩薩の広げた両手にむしゃぶりついた。
菩薩は彼女達を包み込むように抱いた。
そして、すべてが消えた。
そして同時に、私の着けていた水晶の数珠が砕け散った。
.