四匹目・第二章
雨に濡れそぼった不入の森の奥底。
今日は行けない、と式を飛ばしたからエリは知っているだろう。
ちらちらと蠢く、青く輝く、幾千もの怨念の火。
それをガラコは、じっと見詰めていた。
「相手が本当に死神なら、お前たちでは太刀打ちできぬ」
じいちゃんは、冷たく言い切り、三人は真っ青になった。
リョーチンはポロポロ泣き出して、椎名も俯いていた。
てっちゃんは意外にも、すぐに冷静さを取り戻していた。
「……そりゃ、そうかもな……。俺ら、まだガキだしよ。でもおやじ!なんにも手がねえって事は無いだろう。死神はやっつけられなくても、他に何か、できることは無いのか。要するに、竜也兄をあの部屋にいられなくすりゃあいいんだよ」
「……そうだよ、てっちゃん……」
『……相変わらず、面白い事を考えるな』
思わず、くすりと笑ってしまった。
「だろ!?例えば、あの部屋の壁を吹っ飛ばすとかすりゃ、竜也兄もいられないもんな、幾らなんでもさ」
『そうだな……それなら私も手伝おうか?
うっかり更地にしないように加減しなきゃな』
ニカッと笑ってそう言ったてっちゃんに悪乗りした私に、リョーチンと椎名も笑った。
「ひひひひ、鼻息の荒い奴よ。……ちっとは知恵が回るようになったらしいの」
じいちゃんは愉快そうに笑うと、机の引き出しから呪札を取り出した。
「呪札を使う魔術を、『符術』あるいは、『符呪』という。呪札に込められた力が、特定の呪文によって働く。お前たちが、今までに使ったのも、これよ。呪札には様々な種類がある。
攻撃に使うもの。
防御に使うもの。
封じるもの。
解くもの……」
『……私が主に使うのはそれだね。他にも色々使うけど』
三種類の呪札が、三人の前に並べられた。
「これをお前たちにやろう」
じいちゃんは右端の札を、魔女のように爪の伸びた指で、トントンと叩いた。
「この札の中には、『雷』が入っておる」
『天候の奴だね』
「そおーよ。ひひひ……まさしく、あれよ」
じいちゃんは楽しそうに笑った。
てっちゃん達は顔を見合わせた。
にわかには信じられない、と言った表情だ。
「これには、『火』が入っておる。これは、『風』だ。
使い方は簡単よ。呪文を唱えて投げればよい。これを攻撃に使うか、防御に使うか、お前たちの自由にするがいい。
だがな、よく聞けよ。
この札が何れ程の力を出すかは、お前たちの持つ力の大きさと、集中力による。
これで死神を倒そう等とは思うな。力の乱用は、命取りになるぞ」
てっちゃんは、こっくりと頷いた。
「……わかってる。
どう使うかはよく考えるし、よく話し合うよ。な、リョーチン、椎名、##NAME3##」
私達も、こっくりと頷いた。
リョーチンは緊張して、汗だくになっている。
「この札は、お前が持っていろ、てつし」
じいちゃんは、呪札の束をてっちゃんに渡した。
「これはお前にやろう、裕介」
次にじいちゃんが机から取り出したのは、短冊のような形をした経典だった。
中のページは、アコーディオンカーテンのように連なっていて、漢字や外国の文字等がびっしり並んでいる。
「……経典……!?」
「裕介、お前は見ること、聞くこと、感じること、そして考える事に長けておる。その中に書かれている文字は、神仏の言葉にして、五感を研ぎ澄ます修練の言葉でもある。繰り返し唱えて自分の物にしろ。『雷の呪文』も、『火の呪文』も載っておる。てつしも良次も習えよ。経典そのものは、いざという時には護符の代わりにもなる。肌身から離すな」
椎名は無言で頷いた。
「お前にはこれだ。良次……」
リョーチンの前に、掌に乗る大きさの、紫色の布づつみが差し出された。
恐る恐る、手に取って、包みを解いた。
「……あ……綺麗だ!」
中身は水晶の数珠だった。
百八の玉は、どれも完璧な真円で、美しく透明に光輝いていた。
「お前は性格上、てつし達のように強気にはなれぬ。それはそれでよい。守りに徹すればいいのよ。
お前は、この数珠に念を込め、壁を作れ。護りたいものをその中にいれて、壁を作れ」
「壁を作る……」
『『結界』というんだ。
外から来るものを阻んで、中の物を封じる力場の事。この水晶と同じような、丸い玉をイメージして、それに包まれる絵をイメージするんだよ。
まぁ、某結界を使う術師の出てくるマンガとかをイメージすればいいのかな』
「……ん……」
リョーチンは、水晶の玉一つ一つを見つめた。
「……だがな、良次」
じいちゃんは不意に、柔らかい調子でリョーチンに話しかけた。
「お前の力は、守るだけではないぞ。そのもう一つ高い所へ行く意識を持てよ」
「……?」
「他の誰かを救いたい、助けたいと思う心。それを力に変換できれば、お前はおそらく、てつしや裕介よりも強くなれるだろう。
もしかしたら、##NAME3##よりもな」
リョーチンはポカンとしている。
私もそうだった。
守るものがあるのと無いのでは違うからね。
何ていうんだろう…“質”かなぁ。
「お前達もそうだ」
じいちゃんは、てっちゃんと椎名に向き直った。
「神仏の言葉は、人も、動物も、幽霊も、妖怪も、全てを等しく救うよう願いが込められておる。
お前達は、その事をよく考えて力を奮えよ」
じいちゃんの口調は静かだけど、目は厳しかった。
全く…本家と分家の連中にも聞かせてやりたいよ。
じいちゃんは、三つの神妙な顔をそれぞれ眺めると、満足そうに頷いた。
そして急に、いつもの調子に戻って言った。
「さあ、行ってこい。お前らがどこまでやれるか、見物よなあー!ひひひひ」
『じいちゃん…』
てっちゃんは、ちょっとムッとしていたが、呪札を握り締め、すっくと立ち上がると、高々と吠えた。
「よおおーし!行くぞ!野郎共!!」
「おう!!」
三人は、両手を叩き合うと、激しく降りしきる夜雨の中へ飛び出していった。
『……やれやれ』
風邪引くぞ、と呆れていた私に、じいちゃんは声を掛けた。
「##NAME2##」
『……?』
「まだ、言う気にはなれんのか」
『………そうだね。
私はまた、あんな思いをするのは嫌だから』
兄貴分であるあの人が消えた時、両親が亡くなった時。
私は沢山の別れを経験してきた。
だから、この世界に純粋な彼らを巻き込みたくなかったんだ。
欲も、悪意も、人の負の面をごたまぜにして煮詰めて溶かしたような、どす黒いこの世界へ。
犠牲になる子供は、私だけでいいから。
「##NAME2##。少しはあいつらを信頼してみろ」
『信頼は、しているんだけどねぇ…』
何せ、彼らはまだ未熟だから。
もしも、あの人の一族レベルが来たら終わりだ。
その前に───
『…………私は、何時死ぬかわからないから』
皆とは違う。
“贄”として存在する私は、何時喰われるかわからないから。
だから、彼らが最低限身を守れるレベルになるまで、時が来るまで。
私は、語らない。
「……そうか」
『私もそろそろ行くよ。あいつら、足早いし』
そう言って、私は紅い番傘を差して飛び出していった。
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