三匹目
《もっと憎め! もっと呪え! ああ、心地よいな…ひひ》
嫌やぁぁあ!
こんな声聴いてるくらいなら椎名に暴言吐かれた方がよっぽどマシやわ!
京都弁に戻るほど嫌悪感があるのに、##NAME1##が逃げ出さないのは、一重にてつしの為だった。
術師に成り立てのてつし、リョーチン、椎名。
雛を護るのは、若鳥の…先輩としての義務だと、己に言い聞かせていたから。
「お前なんか……お前なんか!
何が上院の番長だよ。みんなにちやほやされていい気になりやがって。気に入らねぇんだよ!」
それを聞いて、後ずさるてっちゃんを見て、ハッとした。
あの場所は、確か井戸を埋めた跡があった筈───
思い出して、咄嗟に叫んだ。
『てっちゃん、それ以上下がるな!落ちる!!』
「っ!?」
ガクン、とてっちゃんの体が揺れたように見えて。
「わっ!」
スポン、と穴に吸い込まれたのが見えた。
『てっちゃん!!』
木から飛び降りようとした時、何かに引っ張られた感覚と激痛がした。
『っ!?』
振り向くと、漂わせていた尾が全て翳に縛られていた。
黒い靄を固めたようなロープ状の物が、ご丁寧にも肉に食い込んで血を啜っていた。
『っくそ…』
燃やしても、中々燃えない。
それどころか、浸食されるような感覚が出てきた。
『かなりヤバイな…』
もういっそ、手でやるか。
躊躇いつつも、狐火を纏わせた手で引き抜いて、毟り取ると血が流れ出した。
千切れたロープも、かなり血を啜っていた。
途端に、噎せ返るほどに甘ったるい───血液特有の鉄臭さではなく、花のような香気が溢れ出る。
『……こうしちゃいられない』
いつの間にか吉本は居なくなり、てっちゃんが手掛かりにしていた細い蔓が切れた。
「あっー!」
『てっちゃん!!』
ここから行くよりも、てっちゃんが井戸の底に落ちる方が速い。
間に合ってくれ、と祈りながら足を進める。
と、その時。誰かがてっちゃんの腕を掴んだのが見えた。
『へ?』
「……?」
中性的な人だった。
爪が長くて、肌は白くて、長い黒髪で、目は金で…って。
『ガラコ…』
するすると出てきたてっちゃんとその人を見て、呆れたように呟く。
「誰だ!?」
『……落ち着いて、てっちゃん。“オレ”は何もしない』
両手を挙げて、危害を加える気がないことを示す。
アレとは逆に穏やかな、澄んだ声が響く。
清らかなモノであることを示すような、無性に落ち着く声だった。
現れたのは、ふわふわと動く十本の、その尾先や毛先は銀を帯びていて、カラスみたいな色をした柔らかそうな狐の尾。
些細な微風にすら靡く、毛先が白銀に光る、真っ直ぐ伸びた艶やかな黒い髪。
その間から見える一対の、尾と同じ色をした狐の耳。
刃の様な鋭い光を持つ、蒼と銀の異なる色を持つ瞳を持つ女性。
一言で言うならば、ガラコと呼ばれた人のような美人だった。
───まるで、この世のモノならざるモノであるような。
『……良かったな、擦り傷程度で済んで。これくらいなら清潔にしていれば心配ないよ』
「あんたの方が怪我してんじゃないのか?」
ポタリ、ポタリと尾から一定の間隔を空けて滴り落ちるどす黒い赤い液体は、小さな血溜まりを作っていた。
『オレは大丈夫。てっちゃんは……落ちたときに頭打ったとかないよね』
「ねーよ。ってか、誰だ?俺のこと、知ってるのか?」
『……そうだな…てっちゃんたちの側にいて、皆が知ってる人かな』
寂しげに微笑んで、その人は揺らいで消えた。
「……え?」
消えたー!?とてっちゃんが絶叫したのを尻目に、私は闇夜の中で笑みを浮かべた。
*
『……油断した』
床に昏倒した瞬間にべっとりとこびりつく血。
血が未だに溢れている所から見て、どこぞの血管をざっくりとやってしまったようだ。
「ざまぁないの、黒狐……いや、##NAME2##」
『……余計な御世話だ…』
痛みを堪えて身体を起こし、治療(傷口を消毒のために焼いた針で縫っていく。ちなみに糸は特製の物で抜糸しなくても自然に溶けて吸収される)を始めていく。
「随分と油断したようだ。蒼雷の名が泣くぞ?」
『………その名は、もう捨てた』
あの時に。
“人”のオレが死を選び取ったあの瞬間に。
“オレ”が消した記憶と一緒に。
「ひひひ、本人がそう思っていても、その名は存在し続けるのよ…」
『…それもそうかもな』
少し前に、心象風景に綻びが生まれていた。
ゆっくりと、記憶の蓋が開き掛けている。
“オレ”が生まれる切っ掛けとなった、あの忌まわしい出来事の───
(まだ早い。少なくとも、“オレ”が居なくなるまでは───)
だからこそ、願う。
早く、二人の想いが通じ合う事を。
そうすれば、少なくとも『##NAME1##』の人格が永久に喪われるという最悪の事態だけは避けられる筈だから。
(悪意からの綻びは、“人”のオレを殺しかけた。幾度も、幾度も。だから、裏切られズタズタにされた心からは幾つもナニかが欠けた。そのナニかはオレの中だろうから。早く、##NAME1##。前へ進め)
そうすれば、オレは───
目を閉じて、頭を振る。
オレらしくもない。
傷口を縫い終わり、狐火を飛ばして飛び散った血“だけ”が燃えて、跡形も無くなったことを確認して、ついでに傷口の血が止まっていること(こういう時は半妖である事に感謝だ)を確認すると、オレは上へ向かった。
『じゃ、おやすみ。じいちゃん』
「おやすみ、##NAME2##」
入れ替わりに、てっちゃん達が来たのを感じた。
てっちゃんが“オレ”について聞いてないと良いんだけど…
そう思いながら、オレは眠りに落ちた。
*
『痛い……っ!!』
どうしよう。起きたら体痛いんだけど。
……何と無く原因は察してるけどね。
(えーと…昨日は変化しちゃって…それから不入の森で頭冷やしてて…それで、)
そういえば尻尾にデカい裂傷が出来てたんだ。
そりゃあ痛いね。自業自得だけどさ。
だけど途中から記憶が無いんだよな…まぁ、十中八九見当は付いてるからほっとこう。
『さて、着替えるか』
身体の軋むような激痛を我慢して布団から起き上がった。
*
『うわー…あんなのは久しぶりに見たなー…』
清々しい朝の空気とは正反対。
吉本は目が据わり、青黒い顔でブツブツと何か言っている。
お供の二人はその後ろをビクビクしながら歩いていた。
それを物陰から観察する私達。……端から見たら滑稽だろうなぁ。
「よし、リョーチン。吉本だけを呼び出せよ」
「うまくいくかなあ…」
『うまくいかせるんだ。何なら縛ってでも連れていけばいい。椎名、頼んでもいいかな』
「オッケイ」
*
始業ベルが鳴ったのが聞こえた。
皆と別れて私は教室───ではなく先回りして屋上へと行った。
教室へは式が行っているから大丈夫だろう。
緩やかに、結界を張り直す。森と、学校の境目に。
子供達の純粋な明るい気で満ちていても、そこに暗い闇が入り込む事もあるのだと再確認したから。害意のあるモノを入れないために。
不入の森の住人(妖怪幽霊精霊達)には話を付けてあるため問題はない。
さて、と屋上を見渡す。
まだてっちゃん達も来ていない。
ならば、と柏手を打つ。
一時的に気を留めるだけの結界なら、これで十分だ。後で校舎の敷地との境目に御神酒を蒔かなければいけないが。
『これで良いか』
後は、てっちゃん達を待つだけ。
結界をもう一つ張って(これは領域の一種なのであちらからの干渉は視界以外何も出来ない)緩やかに気配を消した。
*
『───正直、見くびってたかもな』
柔らかい声が鈴の音と共に響いた。
『ここまでとは…成長が楽しみだよ』
三人の目が屋上の戸の上───正確にはそこにいる彼女に注がれている。
「あ、あの時の!怪我大丈夫なのか?」
『お陰様でね。まぁ、オレは人よりは丈夫だから』
とん、と飛び降りた音も軽やかに。
「……てっちゃん、知ってるの?」
「只者じゃなさそうだけど」
『リョーチン、椎名、てっちゃん…よく頑張ったな』
わしっ、と三人の頭をなで回す。
「わっ!」
『術師になってから間もなくアヤカシを祓うとはね…君達の将来が楽しみだよ』
くす、と彼女は笑った。
撫で回して満足したのか、屋上から出ていこうとする彼女にてつしの声が掛けられた。
「名前、何て言うんだよ!」
戸に手を掛けたままぱちくり、と目を瞬かせて、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
『敬意を込めて“黒狐さん”と呼んでくれ。勿論偽名だけど』
パタン、と閉められた戸。
「……偽名かよ!」
三人のそんな言葉を背にして。
*
てっちゃんが落ちそうになったあの井戸跡は、すぐに塞がれた。
深さは6m…落ちればただでは済まなかっただろう。そこにホッとする。
吉本はすっかり元気になった。
お供達の話によると、どうやら不入の森から滲み出てきたモノが憑いたらしい。勿論、釘を刺しておいた。
(笑顔でざっくりとねby椎名)
椎名からの話で、彼らが術師としての扉を本格的に開けたことを聞いた。
だからって、てっちゃん、リョーチン、椎名。皆変わらない。
それが、私にはとても嬉しかった。
だからこそ、願わずにはいられない。
彼等の光が、曇らないように、と───