第六十六話
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王都にある豪華絢爛な宮殿の広間には、大勢の兵団関係者や重役達が集まっていた。普段は無駄にだだっ広さを感じさせるが、今日は寧ろこの場が窮屈とさえ感じさせられる。これからこの場所で、ウォール・マリア奪還作戦で命を落とした仲間達の弔いと、勲章授与式等が、女王ヒストリアによって執り行われることになっていた。
着慣れない正装と、厳かな空気感。話しかけて来ない癖に、遠巻きに自分達を窺う奇異な視線の数々に、居心地悪そうに広間の端に佇むハルやエレン達の元へ、ウェーブ掛かった金髪の毛先を躍らせながら、憲兵の女兵士が一人、ヒラヒラと手を振ってやって来た。
「やあ、若き壁の英雄達よ。今日の主役達がこんな端っこに追いやられて、随分居心地が悪そうじゃない?」
「ヒッチ!来てたのか!」
マルロは久しぶりに会った同期のヒッチ・ドリスに驚き、彼女の元へ歩み寄る。ヒッチはマルロ達の顔を見回すと、口端を上げ、軽い口調で肩を竦めながら言った。
「アンタ達が勲章貰うの、観に来たんだよ。でもマルロと…フロック、だっけ?残念だったね。アンタらはまたの機会にお預けみたいでさ」
マルロは兎も角、初対面のフロックはヒッチの冷やかしに片手を腰に当てると、くっと片眉の先を眉間に寄せ手で払うように軽く遇らう。
「そりゃあ、そうだろう。俺達はコイツらとは違って、まだ新兵なんだからよ」
「へぇ…?そんな心構えじゃあ、私の方が先に偉くなっちゃうかもねぇ?」
「…はぁ?」
眦に皺を作ってフロックの顔を覗き込みながら悪戯な口調で言ったヒッチに、フロックは少々むっとして腕を組む。ピリついた空気が二人の間に生まれ、不毛な言い争いが始まる前に、マルロは慌てて仲裁に入った。
「フロック、ヒッチはこういう奴なんだ。いちいち相手をしていたら、キリがないぞ。…それとヒッチ。先に偉くなるとか、そんなことはどうでもいい事だろ?大切なのは志の問題だ。それに、死地から生きて戻れはしたが、俺たちはまともに巨人を相手になんかしていない。…生きて帰って来られたのは、此処に居るエレン達やハル、命を落とした先輩方のおかげなんだから」
「ふーん……ハル。アンタが、アニの…」
フロックが煮え切らない顔で舌を打ったのを気にも留めず、ヒッチの興味は既にマルロの後ろに立つハルに向けられていた。ヒッチは口元に手を添え、ハルの顔を細めた目でじっと見つめる。
明け透けに値踏みするような視線を意識的に向けてくるヒッチに対し、ハルは目が合うやまるで宝物でも見つけたかのような笑顔になる。それから足早に歩み寄ると、口元に添えられていたヒッチの手を取った。
「ヒッチ!」
「!?」
ぐっと身を乗り出すように顔を寄せられ、ヒッチは思わずたじろぐ。
「マルロやジャン達から、君の話は聞いてる。私はハル・グランバルドっていうんだ。ヒストリアや、エレン達の件では、マルロと一緒に仲間の手助けをしてくれて、本当にありがとう」
「ぁ、ぁあ…いやぁ〜、私はマルロに言われて仕方なく手伝っただけでぇ…」
こんなに真っ向から人に感謝をされたのは、随分と久しぶりだった所為か。それとも、一切の曇りもない綺麗な蒼黒に輝く瞳に間近で見つめられている所為なのか。ヒッチは柄にもなく照れ臭くなって、視線を泳がせる。
ハルの顔面偏差値については、噂で常々聞いてはいたものの、思っていたよりも随分と端麗だった。顔の良い男達や、内地勤務ということもあり着飾った貴族のご令嬢達を数々見て来て、目がすっかり肥えてしまっている自覚はあったが、ハルには彼等とはまた違う流麗さを感じる。
そんなヒッチの心中などは他所に、ハルはヒッチの右手を取ったまま、自身の右手を左胸に添えて、それは清爽に微笑む。
「ずっと、ヒッチにお礼を言いたいって思っていたんだ。会えて嬉しい」
「っ!?う、うんっ…ぁ、ありがとう…!(ななっ、なにこの美少年寄りの美少女はぁ!?)…ア、アナタ、なっ、なかなか綺麗な顔、してるじゃない…」
ハルの貴公子顔負けの微笑みに動揺したヒッチの言葉に、ハルは「え?」と一度大きな瞬きをすると、次には首を振って可笑しそうに笑う。
「そんなことないよ。ヒッチの方がずっと綺麗だ。睫毛も長くて、華やかで……ユウスゲの花みたいに、綺麗だよ」
「はぁっ?!!」
歯が浮きそうになるようなセリフを、サラッと口にしたハルに、砂糖水を顔にぶっかけられたような衝撃を受けて、ヒッチは思わず喉から悲鳴を上げて飛び退く。顔を真っ赤にして、ワナワナと震えながら言葉を失っているヒッチに、ハルは「どうしたの?」と何の自覚も無く首を傾げている。
それを見兼ね、後ろからやれやれと呆れながらやって来たジャンは、ぱしりとハルの頭を軽く叩いて言った。
「コラ、ハル。また無意識に人を誑かしてんじゃねぇよ、まったく」
「た、誑かす…って?」
叩かれた頭部を抑えて、何のことだと首を捻るハルに、ジャンは近くに居たフロックと顔を見合わせると、互いに肩を落としながら深い溜息を吐く。
「(凄いだろう、ヒッチ。ハルはこれが素なんだぞ)」
マルロがヒッチの耳に顔を寄せ、小声になって告げて来たのに、「なるほどね」と、ハルが密かに『人誑し』と兵士達から呼ばれている理由が、すとんと腑に落ちた。短い間ではあったが、無愛想の化身ともいえる程に人を避けていた彼女が心を許していたのにも、納得が行く。「あの愛想のカケラも無いアニが、懐くわけだ」と、ヒッチは己の口の中だけで呟いた。
すると、突然、何処からともなく走って来たサシャが、ハルの首に腕を巻き付けるようにして飛びついた。
「うわっ、何!?」
「ハル!!浮気しないでくださいよぉ!!たっ、大変ですぅ!またライバルが、増えちゃうじゃないですかぁ!!」
「おいサシャ!お前怪我がまだ完治して無いんだぞ!?無理すんなよ!落ち着け!!」
ヒッチとのやり取りを見て、嫉妬心に駆られたサシャがハルの首に抱きつき激しく前後に揺さぶるのを、コニーが慌てて止めに入る。が、一向に離れる気配がない。寧ろコニーがサシャの背中を引っ張る程に、サシャがハルの首に回した腕の力が強くなっていって、終いには酸欠を起こしかけるハルを救うため、ミカサ達が一緒になってサシャを引き剥がそうとしている滑稽な様子を、初見のヒッチは若干引きながら眺めていた。
「サシャ、ハルの首が取れる!もう離れて!」
「嫌ですっ!!絶っっっ対に、離れませんよ!!?」
「お前ら!今日は仲間を弔う日でもあるんだぞ!こんなところで騒ぐなよ…!」
ミカサがサシャの両耳を引っ張っても尚、離れないサシャに、エレンも呆れ果てながら仲裁に入った。と、そのタイミングで、ミカサが漸くサシャをハルから引き剥がすことに成功した。ベリッと、体からサシャが離れていった弾みで足をもつれさせたハルの背中が、歩み寄ったエレンに打つかる。
「うわっ…」
「!」
ハルの足とエレンの足が絡んで、二人はそのまま広間の磨かれた床に、背中から倒れ込んだ。
「い、てて…」
「……っ、ごめんエレン!大丈夫だった?」
ハルは、不可抗力でクッションにしてしまったエレンの上から慌てて立ち上がり、後頭部をさすっているエレンに手を差し出す。心配と申し訳なさを滲ませた顔で見下ろしてくるハルの手を、エレンは徐に掴んだ。
その、瞬間だった。
エレンの視界が、真っ白に瞬く。
体に、雷に打たれたような電流と衝撃が迸ったかと思うと、…遠い。とても遠い、何処かの景色が、真っ白な視界に浮かび上がった。
『エレン、忘れないで』
ハルの、声がする。
夏霞に覆われた空のように、景色は酷くぼやけていたが、水が溢れたインクの文字のように、滲んだ景色が懐かしいと感じてしまったのは、何故、なのだろうか?堪らなく、尊いと思うのは…………?
「エレン?」
「っ」
名前を呼ばれ、ぼやけていた視界が弾けて霧散する。
頬を打たれるように現実に引き戻されたエレンは、ハルが差し出してくれた手を握ったまま、寝起きのようにぼんやりとした顔をしていた。
「……い、いま…なにか––––…?」
「…?」
舌足らずに呟いて瞳を揺らしているエレンに、様子がおかしいと感じたハルは戸惑いながら双眸を細めて、首を僅かに傾げた。
エレンの目は、自分を見ているのに、何処か遠くの景色を見つめているようだった。その顔が、ハルの記憶の中の、『エレン』と重なる。
「……何か、
「!」
ハルの問いかけに、エレンは息を呑んで、目を大きく見開く。
黒い瞳が、真っ直ぐに自分を見下ろしている。静かに、暗闇に身を隠した小動物でも見つめるような目だった。それでも、猟奇的なものではない。ただ、怯える存在に「大丈夫だよ」と、言い聞かせるような、穏やかで気遣いに溢れた目をしていた。
エレンは、その目を見つめながら、首を横に振る。
「いや……何でもない」
「……」
その返答に、自分の手を掴むハルの手に、力がこもったのを感じた。ハルはそれ以上問い詰めて来ることもなく何も言わなかったが、透徹な瞳が、嘘を見透かしているのは明らかだった。エレンは、思わず苦笑する。……どうやら、ハルには俺の心なんて全部、お見通しらしい。
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