第六十五話
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「人喰い巨人の正体は人間であり、我々と同じ祖先を持つユミルの民だった。100年前にこの壁を築き、巨人の力で民の記憶を改竄し、壁の外の人類は滅亡したと思い込ませた。だが人類は滅んでなどおらず、我々『ユミルの民』をこう呼んでいる。…悪魔の民族と………」
ゲルガー行きつけのトロスト区兵舎から近い酒場で、ニックを保護した際に世話になった『髭男』の一番奥の席に座っているニックは、眼前に広げた朝刊の新聞記事を読み上げる。その向かいに座るフレーゲルは、胡乱げな面持ちになって腕を組んだ。
「…近い将来、この島の資源獲得を口実に進行を開始する。それが五年前の、超大型巨人らの襲撃だって?この話に、信憑性はあるのか?」
その問いに、彼らの真横のテーブルに座っている私服姿のハルは「はい」と頷く。同じテーブルには、ナナバとゲルガー、トーマの姿もあった。
奪還作戦後、帰還祝いをしてやりたいとのフレーゲルの誘いを受けて、ハル達は仕事終わりの夕方から店に集まっていたのだった。
「少なくとも、私達がこれまでに直面していた疑問点には、辻褄が合います」
「…アンタらを疑ってるわけじゃないが。それにしても、ぶっ飛んだ話だよなぁ」
王政が改変されて間も無いというのに、突然世界の真実なんてものを突きつけられ、正直頭の整理が追いつかないフレーゲルが悩ましげに呻るのに、ゲルガーはハルの隣でぐいっと酒を豪快に煽ると、ジョッキをテーブルに叩きつけて肩を竦めた。
「っ、そりゃ!誰だって信じたくないでしょうよ」
「正直なところ、俺も嘘だったらどれだけいい事かって思ってますね」
トーマも顎の無精髭を触りながら眉間に皺を寄せるのに、ナナバはつまみのポテトフライを食べながら、新聞を広げているニックに問い掛けた。
「それで、街の様子や子供達は、どんな感じですか?」
「…いろいろだな。このまま受け取る者、笑い飛ばす者、未だ兵政権に異を唱え、陰謀論を吹聴する者もいる。まあ、子供達は暢気なものだが、君達が危惧した通りの混乱状態にあるかもな」
ニックの言葉に、ハルは「そうですか…」と口元に手を添え憂悶とするが、次には開き直ったように微苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「でも、仕方の無いことではあります。調査報告が私達の仕事で、情報は納税者に委ねられる。そこが前の王政より、イケてるところだって、ハンジさんも言ってましたしね?」
ニックとフレーゲルはその様子が目に浮かぶようだと声を出して笑う。
それから、ニックは新聞を閉じると、ハル達の顔一人一人に目を向け、改まった声と表情になって言った。
「…君達のことを、心から誇りに思うよ」
真っ直ぐな称賛の言葉に、ハル達は各々照れ臭そうにして笑う。そんな彼らを見て、フレーゲルも声を弾ませ、揶揄い口調で言った。
「ちゃんと無事に帰って来たし、ホント安心したぜ!…ま、お前ら全員傷だらけだけどよ!」
フレーゲルの言う通り、ゲルガーはシガンシナ区の戦闘で頭部を負傷し、トーマとナナバは顎の巨人や無垢の巨人との戦闘で負傷している。ハルも猟銃で撃たれた右の背中の傷が治っていない。
負傷兵である彼等は全員酒を飲まないよう医者から言われているのだが、「一杯くらいいいだろ!?」と酒を口にしてしまったゲルガーの、ジョッキを口に運ぶ手は最早止まらなくなっていた。
「しかし、…これから私達はどうなるんだろうか」
ニックは不安げに呟き、世界の行く先を憂うように、傍の窓の外へと視線を向けた。
「…私達が巨人を憎み、この世から消えてなくなれと願ったのと同じように、世界中の人々が我々を悪魔の末裔とみなした。あの地獄が繰り返されるとしたら。我々が死滅するまで地獄は終わらないのでは…」
その言葉に、フレーゲルもビールのジョッキを両手で包むように掴み、視線を落とす。
そんな二人の様子に、ハルはすっと肺に息を吸い込むと、声に確固とした覚悟を乗せて言った。
「そんなことはさせませんよ」
毅然とした言葉に、フレーゲルとニックはハルへと顔を向ける。
「私達は、乗り越えるのは不可能と言われてきた壁を乗り越え、やっと此処まで辿りつくことが出来ました。ウォール・マリアを奪還したこの先も、その歩みを止めることはしません。ですが…」
「ですが?」
首を傾げるフレーゲルに、ハルはごくりと手元の水を飲んでから、フレーゲルとニックに体を向け、姿勢を正す。真剣な面持ちになったハルに、ニックやフレーゲルも何となく背筋を伸ばした。
「これからは、活動資金や人材、知識や技術というものが必要になります。ですから、フレーゲルさん、ニックさん。相談があるんですけど……私に、協力してくれませんか?この国の発展と、外の世界への架け橋を作るために…!」
「……ハル、君はまた何かとんでも無いことを考えてるんじゃないのか…」
ニックがギョッとした顔で問い掛け、フレーゲルも嫌な予感がすると呟き、顔を引き攣らせるのに、ハルはニッと白い歯を見せ、右手の人差し指を立てて笑った。
「私達、これからは『シガンシナ区特別支援班』というものになるんです」
「は?何だその、シガンシナ区特別支援班…ってのは?」
フレーゲルが戸惑いながら大きく首を傾げるのに、鳥皮のフライを食べていたトーマが補足を入れる。
「主に、荒廃したシガンシナ区を復興させる為、区に配属、派兵された憲兵や駐屯兵、調査兵達を統括し、シガンシナ区住民の復興支援や防衛をする役割ですよ。まぁその前に、住民達の移動を可能にすることが最優先だから、当面はウォール・マリア内の巨人掃討に徹する事になりますけど。それが終わってから、我々の活動は本格化するって感じですかね」
「へぇ……なるほどな。一言で言えば、有力貴族さん達みてぇに、シガンシナ区をハルが統治するってことか?」
「…そう言われると、恐れ多いですけど」
ハルがうっと胃の痛そうな顔をして苦笑するのに、フレーゲルはテーブルをバシバシと叩いて笑った。
「そりゃ凄ぇ!!ってことはアレか、お前は伯爵様になるのか!?」
「ちっ、違いますよ!?身分や地位が上がるって話じゃないです!ただシガンシナ区の復興支援をする部隊の統制を取る役割を担うというだけですから…!」
ハルは赤面し、口早に席を立って弁解をする。向かいで慌てふためくハルに魔が差したナナバは、テーブルに頬杖をつきハルを見上げると、ニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべて言った。
「えー、でもやる事は貴族と変わらないんだから、ハルのこと、これからはグランバルド伯爵って呼んでみようかな?」
「え゛」
嫌いな食べ物を大量に突きつけられたような顔になって、ひくりと頬を引き攣らせるハルに、トーマもケラケラと面白げに笑う。
「おーっ、そりゃ名案だぁ。俺達、これからお前に対する態度を改めないといけないなぁ〜伯爵〜」
「グランバルド伯爵ぅ。お紅茶をお持ちいたしましたぁっ的な、執事の真似事するってのかぁ?ぶっはっは!それ、面白過ぎだろっ!」
久しぶりの酒で既に酔いが回り、呂律が危うくなり始めているゲルガーは、うひゃひゃと腹を抱えて笑う。それにすっかりと赤面したハルは、羞恥で頭を抱えて地団駄を踏んだ。
「ちょっ、やっ、やめてくださいっ!」
そんな中、フレーゲルは酒を一口煽ぎ、腕と足を組んで、ハルを見上げた。
「でもよぉ、真面目な話。お前、そういう立場になったら、これから貴族の夜会とか、上層部の集まりとかに呼ばれるようになるじゃねぇの?だったらそれなりの教養を身につけねぇといけないだろー」
「や、夜会…?き、教養って…なんです?」
きょとんとして首を傾げるハルに、ニックは赤ワインの入ったグラスをスワリングし、香りを嗜みながら言った。
「例えば、言葉遣いや立ち振る舞い、…社交ダンスとかだな」
「……」
「…全く縁が無いって顔をしてるな」
それは当然である。ハルがこれまでやって来た事といえば、開拓地での畑仕事や薪割り、巨人を倒すことに特化した戦闘術全般。貴族の礼儀作法なんてものは全く畑違いの分野であり、いきなりそんな能力を求められても、魚に木登りをしろと言う程には無理がある。ああ、と、絶望的な声を唇の隙間から漏らし、口から魂が抜けたような顔で天井を仰ぐハルを一瞥したニックは、仕方ないなと肩を竦めて言った。
「まあ、何かあれば私を頼ればいい」
「…え!ニックさん、そういうことにお詳しいんですか!?」
ハルが一抹の希望の光を見出したように、ニックに身を乗り出して問うと、ニックは少々照れ臭そうに咳払いをして言った。
「まあ、基本的な礼儀作法やダンスなら弁えている。…その、昔はダンス講師の免許も取っていたからな」
「「え!?」」
その発言に、一同は驚愕する。
「ニックさん、アンタ何者なんですか」
フレーゲルが顔を引き攣らせて問うと、ニックはふっと口元に微笑みを浮かべて言った。
「何事も、始めれば極めたくなるタチでね」
その台詞を聞いたハル達は皆胸を打たれたように、ニックに向かって尊敬の眼差しを向け、その後もニックが他にどんな免許や資格を持っているかの話で、その酒の席は随分と盛り上がったのだった。
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飲み会がお開きになったのは、すっかり夜も更け空に半月が昇った頃だった。
ハルは怪我のことを考えて酒は飲まなかったが、ナナバとトーマは二杯ほど飲んで、ゲルガーはすっかり酩酊状態だった。一人で歩くのも儘ならず、街から兵舎までトーマに肩を担がれ歩きながら、ゲルガーは出来上がった声で呻る。
「うぇ、飲みすぎたぁ……あ、頭の傷が疼くぅ…」
「だからやめとけって言っただろうが…」
トーマはすっかり呆れてため息を吐くのに、ナナバも額を抑える。
「まったく…ゲルガー。少しは加減ってものを学びなよ」
「そうですよ。ゲルガーさん、一杯だけって言った試し、何時も無いんですから」
もう何度もゲルガーの飲みの席に居合わせているハルも、流石に一言物申す。すると、ゲルガーはムッと赤ら顔を膨らませて足を止めると、トーマに支えられていない方の腕を、ハルの頬に伸ばして抓った。
「何だぁ、ハル!お前も言うようになったじゃねぇかぁー」
「うっ、酒臭い゛…っ」
頬を抓る力はそれほど強くなくて痛みもないが、顔をぐっと近づけられて、香るアルコールの匂いに、ハルが顔を顰める。
そんなハルの顔を、ゲルガーは間近でじぃっと見つめていた。
「…ゲルガーさん?」
「……」
何も言わず、ただ熱に浮かされたような瞳で見つめられて、ハルは首を傾げた。
ゲルガーは、ゆっくりと一度、瞬きをすると、双眸を夢心地のように細めて、ハルに顔を近づける。熱い吐息が目の下に掛かって、ハルは急にゲルガーとの距離が縮まり、びくりと肩を震わせた。
「!?」
「おいおい待て待て待て待てぇええっ!!!」
それに驚いたトーマが声を上げて、慌ててゲルガーをハルから引き剥がし、後ろから歯がいじめにする。
「おいゲルガーっ!酔っ払ってるからってそれは流石に許されねぇぞ!!」
「あぁ゛!?何だぁトーマァ〜やんのかぁ!?」
「俺の前にジャンに殺されるぞ馬鹿野郎がぁっ!!」
「ハル!!大丈夫だったかい!?」
ナナバは自分の服の袖を引っ張って、ハルの口をごしごしと、まるでヤスリでもかけるように摩る。唇の皮膚が摩擦で刮げ落ちそうになって、ハルはナナバの肩を掴み顔を晒して声を上げる。
「いだだだ!!ナッ、ナナバさん!?唇が削げ落ちますからぁっ!!」
「ゲルガーには私とトーマで、しっかり言っとくから!!」
アイツは半殺しだと突然鬼の形相になったナナバに、ハルはゲルガーの命の危機を感じて、何とか怒りを鎮めようと努める。
「だ、大丈夫ですよ。別に未遂ですし、ゲルガーさんも酔ってますから仕方な」
「仕方なく無い!!」
ナナバはそう声を張り上げると、トーマに歯がいじめにされているゲルガーの元へドカドカと歩み寄り、片耳を掴んで上官用の兵舎の方へ引き摺るように歩き出す。
「ちょっとゲルガー!こっちにおいで!!今日という今日は説教だ!!」
「いだだだだっ!!おい離せよナナバッ!!耳が千切れるぅぅっ!!」
「ハル、じゃあな!また明日!寒いから寄り道せずに兵舎に戻れよー!」
「あ、はいっ!ぉ、おやすみなさい!!」
手を振るトーマにハルも手を振り返し、ハルは三人が兵舎の中に入るまで見送った。
急に辺りが静かになって、何だか物寂しい気持ちになり、ハルは小さく呼気を落とす。すると、篝火に照らされた白いモヤが口元に広がった。
「ぅうっ、…寒ぅ…」
何だがぐっと冬が近づいて来たのを感じて、ハルは両腕を摩りながら、自身の兵舎へと小走りで向かった。
時間も遅く、夜の見回りの兵士に挨拶をして、兵舎の中に入る。食堂の方から微かに兵士達の会話が聞こえてくる。前まではその内容まで、食堂に足を踏み入れなくても聞き取れたのだが、今はそれが出来なくなった。というよりは、元に戻ったと言うべきだろうか。耳が過敏に利いていた間は鬱陶しくて堪らないと思っていたのに、いざ聞こえなくなると、なんだか急に静かすぎて、ほんの少しだけ寂しいと感じてしまう自分に、我儘だなと一人、自嘲じみた笑みを浮かべた。
兵舎の階段を上り廊下の奥へと歩みを進めると、自室の扉の前に腕を組んで寄り掛かっている人影が見えて、ハルは足を止めて目を凝らす。
「ぁ、あれ……ジャン?」
ジャンは、腕を組み扉に寄り掛かったまま顔だけを動かし、顰めっ面をハルに向けて呻るように言った。
「……遅い」
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