第六十五話
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王都から調査兵団本部まで訪れたヒストリアと、自室で療養中だったハルの二人は、来客室でハンジとモブリット、そしてジャンの三人に見守られながら、ライナーからハンジへと託されたユミルからの手紙を読んでいた。
『親愛なるヒストリアへ、今私の隣にはライナーが居る。私が恋文をしたためる様子を覗き見している。悪趣味な野郎だ。絶対にモテない。でも、お前にこの手紙を届けると約束してくれた。あの時、コイツらを救った借りを返したいのだと。あの時はすまない。まさか私が、お前よりコイツらを選んでしまうなんて。私はこれから死ぬ。でも、後悔はしてない。そう言いたいところだが、正直心残りがある。まだお前と結婚出来ていないことだ。…ユミルより』
ヒストリアは、ユミルからの手紙を読み終えると、浅く息を吐いて、視線を向かいに座るハルへと向けた。同じ頃にハルも手紙を読み終えると、ヒストリアからの視線に気づき、微苦笑を浮かべる。
『人類史上最も大馬鹿野郎なハル。あの時は、私達を巨人から逃してくれて、助かった。正直逃げ切れる確証はなかったが、お前のおかげで三人とも窮地を切り抜けられた。といっても、私はこの後死ぬ。だから最期に、言っておく。私はお前の、救いようのないお人好しなところが、正直大嫌いだった。ま、お前も自覚してるだろうけどな。そのうえ自己犠牲的で…女神様にでもなろうとしてるみたいで、とても見てられなかったよ。…でも、私の冗談に全部引っかかる馬鹿正直なところは、揶揄ってて面白かった。お前みたいな馬鹿と出会えたことを、光栄に思う。ヒストリアのこと、頼んだ』
「……ユミルらしい手紙だったね。ヒストリア」
「うん。…そうだね…」
ヒストリアは微笑み頷くと、大好きだった友人の筆跡を、指先でなぞる。
その瞬間、指先から頭に細い電流が迸って、ヒストリアは息を呑んだ。
電流は幼い、ユミルによく似た少女の記憶を乗せて、ヒストリアの脳裏を駆け巡る。それは流れ星の瞬きのように一瞬の出来事だった。
「なに、今のは…」
「どうかした?」
ヒストリアが困惑して呟いたのに、来客用のソファーに座っていたハンジが首を傾げて問いかける。
向かいに座っているハルや、ハンジの隣に座っているジャンやモブリットも不思議そうな顔をしていて、ヒストリアは「いいえ」と首を横に振った。今見た記憶はユミルのもの。彼女自身、この記憶を人に見られてしまったのは不本意だったかもしれない。「何勝手に覗いてんだ」と怒られてしまいそうな気がして、ヒストリアは自分の胸だけに留める事にしたのだった。
「手紙はこれで全部ですか?」
「そうだね。勿論、私達に有力な情報を書いたりは出来なかっただろうけど…」
「何か、お前らだけに分かるメッセージはなかったか?」
「暗号とか、そういった類のもので…」
ジャンとモブリットに問われ、ハルとヒストリアは顔を見合わせたが、二人とも首を横に振る。
「分からない。でも、そんなことはしてないと思う。ハルも、そう思うでしょ?」
「…そうだね。特に暗号文のようなものでは無いと思います」
ハルはユミルからの手紙をテーブルの上に置くと、徐に自身の右頬に触れた。なんとなくだが、ユミルは今も自分の傍に居てくれている…そんな気がしていた。顎の巨人の力を継承したポルコの血を飲んでから、彼女の存在を、漠然とだが近くに感じるのだ。語りかけて声が返ってくるわけではないが、ただ静かに寄り添い、見守ってくれているような、そんな感覚がある。
何処か遠くの景色を眺めるようにして、窓の外を見つめているハルの横顔に、ヒストリアも同じく外へと顔を向け、口元に小さく、寂しげな笑みを浮かべた。
「馬鹿だな、ユミルって。馬鹿だったんだ。照れ臭くなるとすぐ誤魔化す。これじゃ、わかんないよ…」
「…ヒストリア」
ヒストリアが静かに流した涙に気がついたのは、すぐ傍に座るハルだけだった。
ハルは兵服の上着の胸ポケットに手を伸ばすと、白いハンカチを取り出し、ヒストリアに差し出した。何も言わずに微笑むハルの眦には、ヒストリアを気遣うそれとない優しさだけが滲んでいる。
ヒストリアは「ありがとう」と笑顔で礼を言うと、綺麗に皺の伸ばされたハンカチを受け取り、涙を拭った。
すると、部屋の扉がノックされ、廊下からリヴァイの声がした。
「連れてきたぞ」
客室の扉が開き現れたのは、リヴァイとエレン、アルミンとミカサの四人だった。
ヒストリアはハルにハンカチを返し椅子から立ち上がると、エレン達の元へと歩み寄った。
「「陛下」」
「へ、陛下」
アルミンとミカサにぎこちなさは無かったが、エレンは慣れない所作でヒストリアに頭を下げる。ヒストリアは恐縮し、胸の前で両手を振って苦笑した。
「やめてよ、まだ公の席じゃないんだから」
下げた頭を上げたエレン達の顔を見て、ヒストリアは安堵の溜息を吐いた。それから、悔しさや、不甲斐ないといった感情を目元に浮かべて肩を落とす。
「本当に、いろいろあったね。…私はただ、壁の真ん中から南の空を眺めていただけ……」
「君は生きていることが、大事な務めだよ」
自分を責めるヒストリアをアルミンが柔らかく窘める。それにエレンも「ああ、そうだ」と頷き、ミカサも微笑んだ。
ウォール・マリア奪還作戦が終わってまだ間もないが、疲弊した様子はもう残っていないエレン達の顔を見て、ヒストリアは左胸に右手を添えると、安堵の笑顔を見せた。
「…うん。みんなが無事に戻ってきてくれて、本当に良かった」
「…ああ。そうだな…」
ヒストリアの言葉に、エレンは一瞬、何処か複雑そうな表情になったが、すぐに頬を緩めて頷いた。
「…じゃあ。みんな揃ったことだし、そろそろ行こうか」
ハンジがそう言って席を立つと、集まった一同は大会議室へと向かった。
これから、エレンの地下室にあった外の世界の情報を兵団上層部の者達で共有し、今後の方針を決める会議が行われることになっていた。
サシャは奪還作戦での怪我により、今回の会議は出席せず部屋で安静にしている。本来ならばハルもそうするべきなのだが、本人の強い希望で会議に出ることが許可されていた。
コニーやナナバ達とは会議室で合流し、予定時刻になると、憲兵団の上層部やエルヴィン、ピクシスやナイル、そしてザックレー総督の進行の下、会議が開始される。
ザックレーやヒストリアは会議室の一番奥に座り、その前に調査兵団の面々、そしてその周りを囲むように、憲兵団やエルヴィン、ピクシス司令達が座しており、まるで査問会でも開かれているような構図になっていた。
グリシャ・イェーガーの三冊の本を手元に置いたザックレーは、卓上に肘を立て、組んだ手を口元に当てながら、神妙に開口する。
「グリシャ・イェーガー氏の半生。巨人と知りうる歴史の全て、壁外世界の状況。この三冊の本の存在を知る者は、この部屋に居る者のみである。これは彼ら調査兵団と、失われた兵士達の戦果だ。本日は女王の御前で、今一度我々の状況を整理し、この会議の中で、意思の共有を図りたい。…調査兵団団長、ハンジ・ゾエ」
ザックレーに状況説明を促されたハンジはよく通る声で返事をし席を立った。
「我々調査兵団はウォール・マリアを奪還し、超大型巨人の力を奪うことに成功しました。ですが、我々壁内人類は未だ極めて危険な状態にあります。敵が巨人という化け物だけであればどれだけ良かった事でしょう。…しかし、我々が相手にしていた敵の正体は人であり、文明であり、云うなれば世界です。手記によれば我々は巨人になれる『ユミルの民』であり、再び世界を支配する可能性がある。だから世界は我々ユミルの民を、この世から根絶しようとしている。……始祖の巨人がマーレの手に入れば、エルディア人は終わり。しかし、壁の王は戦わない事を選び、エルディアが再び罪を犯すというのなら、我々は滅ぶべくして滅ぶと、始祖の巨人と不戦の契りを交わし大陸の王家にそれを言い残して壁の門を閉ざしてしまった。壁の巨人が世界を平らにする。その言葉が抑止力となる間、束の間の平和を享受するとも。…そうして、壁の王は民から記憶を奪い、壁外の人類は滅んだと思わせた。無垢の巨人に囲まれた其処を楽園だと宣って。…もはや民を守らぬ王は王ではない。必ず見つけ出して、臆した王から始祖の巨人を取り上げろ。それが、グリシャ・イェーガーに与えられた使命でした」
ハンジの話を聞きながら、エレンは今一度、グリシャの手記の内容と、兵舎に戻ってから夜な夜な見るようになった夢の内容を思い返していた。エレンは、その後者の方の内容を全て仲間達に開示してはいなかった。
自分の母親やハンネスさんのことを殺した巨人が、父親が前に結婚していた相手だったなんて、とてもではないが、口に出来なかったのだ。
一人思い悩むエレンの背中を、ハルは後ろの席で心配げに見つめていた。
そんなハルの横顔に、隣に座っていたジャンはふと気がついて首を傾げる。
「…ハル?どうかしたのか?」
会議の妨げにならないよう潜めた声で問われて、ハルははっと我に返ったようにジャンへ顔を向けると、「なんでもないよ」と同じく潜めた声で答えた。
しかし、何でもないと言って何も無かった試しが殆ど無いハルに対して、ジャンは「本当か?」と眉を顰める。
「肩の傷、もしも痛むようなら、無理すんなよ?」
「うん。心配してくれてありがとう。平気だよ」
ハルは右肩を左手の指先でトントンと軽く叩き、微笑んで見せるのに、ジャンは「なら、いいけどよ…」と肩を落とした。それでもまだ心配げに眉尻を下げているジャンに、ハルは「大丈夫だから」と苦笑して、ハンジの方へと視線を向ける。ジャンは気掛かりが拭えないままだったが、ハンジの方へと視線を戻し、再び話しに耳を傾けた。
「イェーガー氏はその使命を果たし、始祖の巨人は息子のエレンに託されました。始祖の巨人がその真価を発揮する条件は、王家の血を引く者がその力を宿す事だが、その者が始祖の巨人を宿しても、壁の王の思想に囚われ、残される選択肢は自死の道のみとされる。恐らく、それが不戦の契り。しかしながら、過去にエレンは無垢の巨人を操り、窮地を逃れたことがあります。王家の血を引く者ではないエレンも、その力を使える可能性があるのかもしれません」
ハンジの言葉がきっかけとなって、エレンはハッと息を呑んだ。
そうだ、あの時は…一瞬だけ、全てが繋がった気がしたのだ。どうして、あの一瞬だけ…?ダイナの、王家の血を引く巨人に触れた瞬間だけ––––…!
「っまさか!!」
エレンは思わず声を上げ、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。ガタンッと、広く静謐な部屋にその音は存外大きく鳴り響いた。
「っびっ…くりしたぁ。どうしたの突然」
驚き両肩を跳ね上げたハンジは、エレンを振り返り、怪訝な表情で首を傾げた。
エレンはわななく唇の隙間から、浅く息を吸う。心臓の音が、耳元で鳴っているみたいに、ドクドクと煩い。テーブルに押し付けた両掌には、嫌な汗が滲んできて、その不快さにぎゅっと手を握り締めた。
「い、いま……っ」
「––––続けたまえ、我らの巨人よ」
ザックレーに促され、エレンは言い淀んだ先の言葉を、自分の中で繋がった仮説を口にしようとして開いた口を、……噤んだ。
「…なんでも、ありません。会議を妨げてすみません…!」
酷く青褪めた顔でそう溢し、席に座り直したエレンに、ハンジは「ああ…、なるほど。そうか。」と呟き、目を細める。
ハンジの鋭い観察眼に、エレンは自分の心中を暴かれないかと固唾を呑み、自身の膝の上に置いた手を握り締めて俯いた。
ハンジはやや沈思した後、ザックレーの方へ向き直る。
「なんでも、彼はそういう時期にあるようでして。突然格好つけたり、叫んだりしてしまうようです」
「それは可哀想に。年頃だしな」
その説明でザックレー総督に納得されてしまったのは正直不本意だったエレンだが、変に勘繰られ問い詰められるよりはマシだと内心で息を吐いた。
「(今、自分の中で繋がった、王家の血を引く者を巨人にして、俺が接触すれば始祖の巨人の力を扱えるかもしれないということに、確信はない。…そうだ、かもしれないだけだ。だが、その可能性があると言ってしまえば、兵団はヒストリアをどうする…?)」
険しい表情で俯くエレンの横顔を、アルミンは隣で見つめて目を細める。
エレンの表情は、何処かで見覚えがあった。まるでハルに、秘密を問い詰めた時と同じ、罪悪と、苦痛に見舞われているような表情だった。
「敵は、世界…しかし、このことを公表すれば民達は大混乱に陥りますぞ」
「我々でさえ事の大きさを図り兼ねている状態であるのだ」
突飛な真実を知らされ、動揺と混乱を隠せない憲兵達を、ピクシスが席を立ち、固い声で諭す。
「ならまた民を騙すか?レイス王がやったように何も知らない民をこの壁の中で飼おうと言うのか。…ならば、我々には何の大義があって、レイス王から王冠を奪ったのだ?」
「……公表しましょう」
厳粛な声で告げたヒストリアが、ゆっくりと席を立つ。
「100年前、レイス王が民から奪った記憶を100年後の民にお返しするだけです。我々は今や、運命を共にする壁の民。これからは一致団結して、力を合わせなくてはなりません」
民達が混乱に陥り、壁内世界が混沌化してしまう不安や懸念を拭い切ることは出来なかったが、以前の王政のように偽りを重ねては世界の変革を成すことは不可能だろう。
今回の会議により、世界の秘密は民達にも平等に開示される事が決定した。
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