第六十四話
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トロスト区にある駐屯地で調査兵団の帰還を待っていたザックレー、ピクシスやナイル達に、ウォール・マリア奪還作戦成功の吉報が知らされたのは、エルヴィン達がシガンシナ区へと出発した三日後の夜明けのことだった。
人類の悲願を見事達成し死地から帰還を果たした彼らを、トロスト区の住民達は英雄達の凱旋と鳴り止まぬ拍手喝采で迎え入れた。これまで壁外へ発った調査兵団の帰還を民達が讃えたのは、未だ嘗て初めての事だった。
しかし、失われてしまった命も、決して少なくはない––––
ハンジ班に属していた兵士数名は、ナナバ達の忠告を受けていたものの、ベルトルトの巨人化が起こす広範囲の爆風から逃れられず命を落とし、内門側の巨人と前線で交戦していた古参兵の大半が獣の巨人の投石によって亡くなってしまった。重軽傷を負った新兵達も大勢居る。
壁外での作戦には犠牲が伴うものだが、巨人を肥えさせる為の戦死者を放出するだけの調査兵団だと、今まで散々に非難を浴びせてきた世間の風潮は、今回に限って調査兵団の兵士達とエルヴィンを賞賛した。
しかし、エルヴィンは失われた命に対する責任と、知性を持つ巨人達を取り逃してしまった事の二つの責任を取る為、本人の強い意識により団長の座を退くことが決定した。元々、エルヴィンから直接、ウォール・マリア奪還後は団長の座を託すと聞かされていたハンジはそれを受け入れ、エルヴィンは今後前線を退くことになったが、名誉職として調査兵団に残り、今後は新団長のハンジを支えながら、入団してくる新兵達に教えを説く立場となる。
エレンの実家にある地下室へは、超大型巨人を討ち倒す為自分の身を代償として全身に重度の火傷を負い死に瀕していたアルミンが、リヴァイの所持していた注射を使って無垢の巨人となり、拘束したベルトルトを食べて蘇ると、意識が戻ったことを確認した後にエルヴィンとリヴァイ、ハンジとモブリット、そしてエレンとミカサが作戦終了直後に向かった。
荒廃したエレンの家の地下室に続く扉には、鍵が掛かっていなかったという。
エレンが父親から託された鍵は、地下室の中にある秘密の書斎に置かれた、机の引き出しの鍵だった。そこには、三冊の本が厳重に保管され、エルヴィンが今まで探し求めてきた世界の真実が記されていた。それは、エレンの父である、グリシャ・イェーガーの手記であった。
本の一ページ一ページには、ぎっしりと手書きの文字が書き込まれ、壁内人類が今まで知り得なかった情報に溢れていた。
マーレ人とエルディア人は長きに渡り激しい戦争を繰り広げ、同じ人間でありながら流れる血が、大きく分けてしまったことがあった。
それは巨人になれるか、否か。ただ、それだけのこと。
マーレ人は巨人になることは出来ないが、エルディア人にはそれが可能であった。たった一つの違いが、互いに手を取り合うことの大きな障害となり、彼等の争いの火蓋は、エルディア帝国が君臨した日から切られる事となる。
1820年程前–––エルディア人の祖先である『ユミル・フリッツ』という人物が、大地の悪魔と契約し巨人の力を手に入れる。
彼女は死後も魂を『九つの巨人』に分かち、強国エルディア帝国を築き上げた。エルディア帝国はユミルの指揮の下、巨人の力を駆使し大国マーレを滅ぼすと、長い年月の間、近隣諸国からも恐れられながら世界を支配していた。
エルディア帝国出身のエルディア人たちは『ユミルの民』とも呼ばれ、ユミルの存在を神と崇めながら、未来永劫の繁栄を得る為、『民族浄化』というものを行った。エルディア帝国がより多くの領土を得て、大陸全てに留まらず、世界を支配する為に他の民族に子供を作らせたのだ。
『ユミルの民』を増やし、他の民族を滅ぼそうとしたその強行を、『民族浄化事件』として、マーレ人たちはエルディア人たちを強く憎むようになった。
そうしてエルディア帝国は激しい憎しみを世に生み出しながら、やがて自らその渦中へ呑まれ墜ちていく––––
マーレ人たちはエルディア帝国の支配から解放される為に内部工作を行い、エルディア帝国で意図的に内戦を発生させると、やがてエルディア人の持っている『九つの巨人』の力のうち、七つを奪取することに成功する。
強力な巨人の力を七つも奪われてしまったエルディア人達は、マーレ人達との戦争において圧倒的不利へと立場を転落し続け、エルディア帝国は歴史から姿を消す。エルディア帝国が歴史上大陸を支配していたと言われている年月は約千七百年という期間で、その間増幅し続けたマーレ人達のエルディア人に対する憎悪は、想像し難いほどに強大なものとなっていた。
国が滅びてしまったエルディア人達はマーレ人達によって奴隷となり果て、迫害され始めてしまい、エルディア人達は嘗てのエルディア帝国を復権させようと考えるようになった。その主となる組織のことを、『エルディア復権派』と呼び、エレンの父であるグリシャも、幼い頃妹をマーレ人に無惨に殺され、世界に対する憎しみや理不尽さを慷慨し、その組織に身を置くことを決意する。
彼はエルディア復権を目指す為、マーレ大陸に残された唯一の王家の血筋であるダイナ・フリッツと結婚すると、彼女は今や獣の巨人の継承者であるジークを生み、彼らは自分達を勝利に導く希望の存在として、一人息子を熱心に教育した。
親が子に対して自らの思想へ染め上げる罪深さを、彼は既に知っていた筈だったが、復讐心に取り憑かれたグリシャは、自身の父親と同じ轍を踏む事になる。
そんな彼らが辿る運命は、残酷なものだった。
王家の血を引く子でもエルディア復権の希望でもなく、ジーク自身と一度も向き合ったことがなかった二人は、自らの子によって密告され、マーレ政府へと差し出された。幼いジークは両親ではなく、自らと、祖父祖母の安全を守る事を選んだのだ。
グリシャを含めた復権派のメンバーは、巨大な三重の壁が築かれた島………此処、パラディ島の『楽園』へと連れられ、簡易的な港の傍にある高台で巨人化の注射薬を打たれると、無垢の巨人となって島中を徘徊する事になった。
彼等を楽園送りにしようとしていた兵士の中には、グリシャが幼い頃、妹を殺した兵士の姿があり、その兵士と共に居た男が、エルディア復権派のマーレ政府の内通者としてスパイをしていた『フクロウ』だったことが発覚する。彼は……『進撃の巨人』の持ち主だった。
その力はグリシャへと受け継がれ、シガンシナ区が陥落した日、エレンへ渡った事。
『九つの巨人』の力を有した者は、その後十三年で寿命を迎える、『ユミルの呪い』を受けるという事。
そして現在、マーレは六つの巨人の力を継承する『マーレの戦士』を育成し、『始祖の巨人』の奪取を目的とした作戦を行っている最中にあるという事。
それらの報告を、アルミンとミカサと一緒に自室を訪ねてやってきたエレンの口から受けていたハルは、特段取り乱すこともなく、驚くような素振りや困惑さえ、一切……見せなかった。
ただ寝台の上に上半身だけを起こして、指二本程開けた傍の窓から吹き込んでくる風に、黒髪を揺らしながら、相槌さえ打つことなく静かに話を聞いていた。
風に白いシャツの襟元が揺れると、首まで巻かれた包帯が、時頼痛々しく垣間見えた。
ハルは、結局、貫通した傷が塞がらないまま、失い欠けた意識の中で、アルミンに食べられる直後の、ベルトルトの悲鳴を遠くで聞いたのを最後に、自然治癒の力と、聴力が過敏になる能力の二つを失った––––
しかし、それはハルにとって、悪い事ではないように思えたのは、本人を含めた仲間達も同じだった。少なくとももう、聞きたくない音に呑まれもがき苦しみながら無理矢理ベッドの中で眠りにつこうとしなくて済むのだから–––
世界の真実や、自身の寿命にも関わる話を聞いても、いつもと変わらない様子のハルを、エレンは訝しんだが、その理由を知るまで、然程時間は掛からなかった。
そして、アルミンはその理由をこの時既に知っていたが、口にはしなかった。他の誰にも、まだ話していない、アルミンだけが知り得ていることがあった。この話はまずその真偽を、当事者であるハルに確かめなければいけないとアルミンは考えていた為、エレン達と部屋を出た後、改めて一人で、その日の夕方ハルの部屋を訪ねることにしたのだった。
「ハル、ごめん。僕……アルミンだけど」
部屋の扉をノックしてから、訪いの声を掛けると、返事はすぐに返ってくる。
「アルミン?どうぞ、中に入って」
アルミンは扉を静かに開くと、ハルの姿を見てギョッとする。ハルは医者から絶対安静の指示を受けているのにも関わらず、寝台の上には居たが、左手にダンベルを持って筋トレをしていたのだ。アルミンは慌ててハルの傍に駆け寄り、「何をしてるんだよ!」と叱責する。
「ハルっ!重い物を持っちゃいけないって、医者に言われたんだろう!?」
まだ腕立て伏せをしていないだけマシなのかもしれないが、なにせハルは身体に猟銃の弾が貫通して穴が開いているのだ。当たりどころが良かったから無事だったものの、壁上に運ばれてきたハルの血だらけの姿を見た時は、皆ゾッとしていた。
出血多量で意識障害も起こしていて、駆け寄ったジャンの顔を見るや否やマルコと勘違いしたハルの言動に、ジャンは半狂乱を起こしてハルの体を揺さぶり、衛生兵に不用意に動かすなと怒鳴られていた。
結果、こうして無事だったから良かったものの、また傷口が開いたらと思うと心配でならないアルミンの胸中も知らずに、ハルはいつものように気の抜けるような笑みを浮かべて言った。
「でも、ずっと此処に座ってるだけじゃ、体が鈍っちゃうよ」
「あのね…傷口も塞がったばかりで開く可能性もゼロじゃないんだ。体が鈍るとか以前に、怪我を完全に治すことのが先だよ!」
予想通りの返答を受けたアルミンは、ハルの手からダンベルを取り上げ、サイドテーブルに置いた。ムッと腰に手を当て立つアルミンは、有無を言わせぬ雰囲気を纏っていて、同期の中で一番温和な人柄な彼が、実は怒ると一番怖いということを知っているハルは、食い下がる事なく早々に謝罪を述べる。
「ご、ごめんアルミン。ちゃんと静かにしてるよ…。でも、どうしたの?お昼に来てくれた時に、何か落とし物でもした?」
「あ、ううん。そういうわけじゃ、ないんだけど…」
ハルは寝台に座ったまま、辺りの床を見回しながら問いかけてくるのに、アルミンは首を横に振った。
それから、話の口火を切る意を結したように、体の横の手を握り締める。
ハルはアルミンの心中で揺れる憂苦の気配を感じ取って、床からすいと視線を持ち上げた。
「アルミン…?」
首を傾げるハルに、アルミンは双眸を細めると、少しだけ間を取り、慎重に、嘆息を漏らすような口調で再び部屋を訪ねた理由を話し始める。
「実は、ハルに聞きたい事があって来たんだ……」
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