第四十七話
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ハルはトーマと別れた後、兵舎へと向かった。夕食の配膳を受けられるギリギリの時間ではあったが、何とか飛び込みで間に合いそうだ。
味覚は無くても身体は糧を欲している。思わぬ襲撃を受け、いろいろと頭も使った所為で、流石にお腹が減っていた。
厨房内の片付けを始めようとしていた配膳担当の人には申し訳なかったが、野菜のクリームスープとパンとサラダをトレイに受け取り、時間も時間で人が疎らな食堂のどの席に座ろうか迷っていると、食堂の一番奥のテーブルでエレンやミカサ、アルミンとジャン、サシャの姿があった。彼等は皆一様に心配げな顔をある場所へ向けていて、視線の先には、離れた場所のテーブルで、コニーが一人夕食を取っていた。
コニーの丸められた背中と俯けられた横顔から、彼がラガコ村の件で思い詰めていることは明白で、どうやらエレン達はコニーの事が心配だが、何か声をかけるべきか、今は見守っているべきかを迷っている様子だった。
ハルもどちらを選ぶべきかで悩んだが、選ぶ前に、足は既にコニーの元へと歩き出していた。
「コニー」
「!」
スプーンを掴んで居るものの、トレイの上の夕食には殆ど手がつけられておらず、俯いたままじっと動かないコニーを、テーブルを挟んで向かいから声をかけたハルに、コニーははっとして顔を上げた。
「あ、ああ…ハルか…」
「前、座ってもいい…?」
ハルが少し首を傾げて静かに問いかけると、「…おう」とコニーは頷いたが、視線はすぐにトレイの上に落とされる。
ハルは「ありがとう」とコニーの向かいに座り、トレイをテーブルの上にそっと置いた。それから「いただきます」と手を合わせて、スプーンを手に取り、スープ皿の底に溜まった細切れの野菜をかき混ぜながら、徐に口を開いた。
「–––ラガコ村のこと…ハンジさん達と話しをしたって、さっき団長から聞いたんだ」
「そっか…」
コニーは息を吐くように力なく答えると、スプーンを握る手に僅かに力を込めて、少し掠れた声で言った。
「…本当に村の皆が…家族が、獣の巨人の所為で巨人化しちまったんだとしたら、俺は家族を…村の皆を、手に掛けたかもしれないんだよな…」
長く放置されてすっかり冷めてしまった薄いスープの表面に映り込んでいる自身の顔は、家族と良く似ている。村の人達からも、煩わしくなる程頻繁に言われていたことだ。
しかし、その言葉をかけてくれる人達は、もう誰一人として居なくなってしまった。
悲痛を目の下に浮かべて奥歯を噛むコニーに、ハルはスプーンをトレイの上に戻して、膝の上に手を置いた。
「コニー…それは、私も同じだよ」
「…え?」
固い声色に、コニーはふと視線を上げ、ハルを見つめた。
「私はウトガルド城で、大勢の巨人を……コニーの村の人達を、…家族を、殺してしまったかもしれないんだ」
「それはっ、仲間を守るためにハルがしてくれたことだろ!?お前が自分を責める必要なんかねぇよっ、絶対っ!」
コニーは身を乗り出すようにしてテーブルに両手をついて言うのに、ハルは目を見開いたが、すぐに篤実な面持ちになる。
「…なら、コニーも同じだ」
「同じ…?」
ハルはテーブルの上に乗せられたコニーの右手に、左手を重ねる。自分の体温よりも少し冷たいハルの掌からは真心が伝わってくるようで、コニーは澄んだ双黒の瞳を見つめた。
「コニーは私達を守る為に必死に戦ってくれた。そうしなきゃ、誰かが、大切な仲間が死んでいたかもしれない。…それでも、自分がした事を、後悔…している?」
そう問われて、コニーは下唇を噛んだ。
もしも、目の前の巨人の正体が故郷の住民であり、家族だと知っていたとして、仲間を喰らおうとするのを、ただ見ているだけで居られただろうか。…それはきっと、出来ない。それが…今まで共に死戦を潜り抜け、苦楽を共にしてきた友人達であれば、尚更に…
「…してない。してねぇよ…」
コニーは考え、そう告げる。
すると、ハルはこくりと静かに頷き、コニーが硬く握りしめている手の甲に重ねていた手に、もう片方の手を重ねた。
その力強い温もりに、コニーは噛み締めていた唇を解放し、目の前の友人をじっと見つめた。ハルは、少しの迷いも綻びも無い言葉を、コニーの視線を真っ直ぐに見つめ返したまま口にする。
「人を巨人にさせる方法があるのなら、きっと元に戻す方法だってある。そう信じよう。信じて、少しずつ巨人の謎を解き明かして行こう。それがきっと、この世界の真実を知る事にも、コニーのお母さんを人間に戻す事にも、繋がっていく筈だ」
それはまるで、乾いた大地に降り注ぐ天気雨のように、心に染み渡るような言葉で、コニーは無意識に口元が綻ぶのを感じた。何だか、とても懐かしい気持ちになった。その理由も、すぐに理解出来た。
「?…コニー…?」
目を眇めるように自分を見つめてくるコニーに、ハルが首を傾げる。コニーは大きく瞬きを一度して、「いや」と首を横に振り微笑む。
「何かさ…訓練兵の頃…行き詰まってた俺のこと、お前がいろいろ励ましてくれてたこと、思い出してたんだ」
随分昔の事のように感じるが、まだ三年前の事だ。
ハルは訓練兵団に入団してすぐ、ポテンシャルの高さを発揮し、周りと大きく差を付けた。それでも決して威張ることもせず、誰に対しても対等に接し、同期達からも、後輩達からも慕われ憧れられる存在だった。仲間が訓練に行き詰まったり、座学で頭を抱えて居れば、親身になって寄り添ってくれた。
ハルは、謂わば風のような存在だった。
道に迷い、疲れ果て動けなくなっても、手を引き必ず目的の場所へと導いてくれるような存在で、それはコニーにとっても、きっと仲間達にとっても、今でも変わっていないだろう。
「俺ってさ、いつも誰かに助けられてばっかなんだよ。ハルやミカサ、ライナー達みたいに、一人で何かを成し遂げられるような力なんか、俺には無くてさ…。…アルミンやジャンみてぇに、頭が回るわけでも、リーダーシップがあるわけでもねぇ自分が、情けねぇなっていつも思ってた。……でもっ、絶対に、自分で決めたことは諦めねぇっていう、自信はあるんだ!…だから今回のことも、諦めずに俺が出来ることを精一杯やろうと思ってる。俺…人から借りてばっかだけど…、ハルの力、貸してくれねぇかな?」
コニーは右手に重ねられているハルの両手に、自身の左手を重ねる。
すると、ハルは柔らかな微笑みを浮かべて、大きく一度、頷く。
「…誰かの力を借りることは、悪いことじゃない。確実に目的を成し得る為にも、必要な事だよ。…それに私は…相手がコニーだからこそ、出来る限り力になりたいって思ってる」
「ハル…」
ハルの瞳が、静かに、優しい光を孕んで、細められる。
「私達、調査兵になってからこの短い期間で、今まで知らなかったことを沢山知ることが出来ている。それと同時に、分からないことも増えているけれど……それでも、段々といろんな事が見えてくるようになってきたんだ。だから、これからも諦めずに進み続ければ、道は少しずつでも開けて行く。…だから、一緒に進んでいこう、コニー…!」
「ハル…っ」
「それに、私だけじゃないよ」
ハルはくいっと顎を動かす。コニーは視線を促された方へと向けると、食堂の端でこちらを見つめているエレン達の姿があった。エレン達はコニーと目が合うと、少し狼狽えた様子だったが、照れ臭そうにコニーへ向かって手を振る。コニーはエレン達が自分を心配し見守っていてくれたことに気がついて、「アイツら…」と胸が熱くなって呟いた。
それに、ハルはコニーの左胸に、右手の拳をそっと押し当て、春風のような、木漏れ日のような柔らかな笑みを浮かべて言う。
「皆が居れば、必ず辿り着ける。目的の場所が、どんなに遠い場所にあったとしても」
「っ、ああ…!そうだよな!……本当に、ありがとなっ…ハル…!」
コニーは目尻に熱いものが込み上げてきて、わななく唇で噛み締めるように感謝を告げ、深々と何度も頷いた。
またハルに背中を押してもらう形になってしまったが、今は傍に、ハルが居てくれること、そして仲間達が居てくれることに、ただ感謝をしようと思った。ハルが言う通り、皆が居ればきっと、巨人の謎を、この世界の謎を解明出来る日が来る筈だ。そうすればきっと、母を人の姿に戻す事だって出来る。
「さ、行こう」
ハルはトレイを片手で持ち上げ、コニーの手を引くようにしてテーブルから立ち上がった。
コニーはハルの手を強く握り返して、手招きするエレン達のテーブルへと足を向ける。
第四十七話 君は導きの風
自分の手を引くハルの背中が、その時やけに眩しく見えて……
この時の俺は、ハルがその背中に背負っているものの重さを、ちっとも理解してやれていなかったんだと、気付いてやれたのはもっと、もっと時間が経ってしまった後の事だったんだ…–––––
完