第六十三話
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「前方より砲撃!!総員物陰に伏せろ!!」
エルヴィンは仲間達に向かって、壁上から地上の兵士達に叫んだ。
先程の獣の巨人の投石によって、前方の家屋は殆どが吹き飛び、前線で戦っていた兵士達も巻き込まれ、真っ赤な血飛沫が上がった。
「クソッ!お前らっ!!」
前方の獣の巨人が、再び長い腕を大きく振りかぶるのが見えて、リヴァイは半狂乱に声を上げながら、生き残っている兵士達の元へと向かった。
「何なんだよ!?この砲撃音は!」
「敵は砲台を持っていたの!?」
「だとしたら百門はあるぞっ?!」
馬を引き連れ、前線から比較的離れた場所に集まっていた新兵達は、地面に座り込み恐怖に頭を抱えて震えていた。
確かに砲撃を受けたような衝撃だが、敵がそんなものを配備している様子は無かったと、フロックは馬と共に家屋の裏に身を隠しながら、親指の爪を噛んだ。傍に居るマルロも、青褪めた顔の唇を引き結んで、この状況を理解しようと必死に頭を回していた。
そこに、酷く焦燥したリヴァイがやってくる。
「獣の巨人の投石だっ!全員馬を連れて壁側に移動しろ!」
「りょっ、了解!」
リヴァイの鬼気迫る命令に、新兵達は壁側に移動をしようとするが、その間も容赦なく獣の巨人の投石は続いた。
無数の岩が家屋を吹き飛ばし、砕かれた瓦礫がまた周りの建物や地面を抉る。
「急げ!射線の死角を移動しろ!」
悲鳴を上げながら後退する新兵達を追う形で、リヴァイも恐怖に竦んで動けない兵士の首根っこを掴みながら、壁へと移動した。
そうして内門に辿り着くと、其処にはエルヴィンが、厳しい表情を湛えて立っていた。
「状況は!?」
駆け寄ったリヴァイが現状を急かすように問うと、エルヴィンは表情を変えずに、淡々と答えた。
「最悪だ。奴の投石で前方の家はあらかた消し飛んだ。あの投石がつづけば此処もすぐ更地になり我々が身を隠す場所もなくなる」
「壁の向こうには逃げられそうにないのか」
「ああ。超大型巨人が、此方に迫って来ている。炎をそこら中に撒き散らしながらな。仮に兵士が壁を超えて投石を逃れられても、馬は置いて行くしかない。ここを退いても、その先に勝利はないだろう」
「…ハンジ達はどうなってる。エレンは無事か?」
「分からない。ナナバ達がハンジ達と合流できていれば無事かもしれないが、少なからず負傷者は出ている筈だ。獣は兵士が前方に集まるように、小型の巨人を操作をしていたのだろう。…そこで小型の相手をしていたディルク、マレーメ、クラウス班は、先程の投石で全滅したようだ…」
エルヴィンの吐息には、らしくもない荒涼が滲んでいた。
間近に迫り来る死の気配に怯え、震えている新兵達の姿を見回してから、エルヴィンはリヴァイを見る。
「つまり、内門側の残存兵力は、新米調査兵士の君達と、リヴァイ兵士長、そして私と……」
その先の言葉を紡ぐ前に、「エルヴィン団長!」と名を呼ばれて、口を閉じる。
視線を向ければ、二人で体を支え合いながら、体を引きずるように歩いてくるネスとシスの姿があった。
「ネス、シス!無事だったか…!」
二人はリヴァイとエルヴィンの元に辿り着くと、地面に膝を折る。兵服は土埃に汚れ、顔の至る所には、破片で切ったような細かい傷が走っていた。
シスは肩で息をしながら、エルヴィン達を見上げると、地面を引っ掻くように手を握り締め、血を吐くように言った。
「ですがっ…ハルが投石で吹き飛ばされてきた破片に直撃して負傷を…っ!その時に、斥候の巨人が人質と一緒に、ハルを獣の巨人の所へ、連れ去ってしまいました…!」
「「!」」
リヴァイとエルヴィンは息を呑んで瞠目した。
シスに続いて、ネスが話を続ける。
「屋根の上に居た俺たちを、投石から庇ってくれたんです。…しかし、落下の衝撃で立体機動装置が破損して、俺たちはまともに戦えず、連れ去られていくハルをただ見ていることしか、出来なくてっ…」
悔しさに摂氏扼腕し、地面を拳で叩いたネスは、すみませんと唸るように謝罪し、地面に額を押し付ける。それに、傍に居たシスも同じように、唇を噛み締めて頭を下げた。
そんな彼らの肩を掴んで、エルヴィンは「顔を上げるんだ」と告げる。それでも顔を上げられずにいる二人に、エルヴィンは離れ際に二人の背中を叩き、立ち上がった。
この絶望的な状況に、トドメを刺すように、今度は投石の衝撃ではなく、頭上で爆薬が弾けたような音が鳴り響く。
一同が顔を上げると、内門の真上に、巨人化したエレンが吹き飛ばされ、ダラリと力なく体を投げ出すように仰向けに倒れていた。
頼みの綱であるエレンは行動不能になり、ハルは奪われ、獣の巨人が絶え間なく投げ込んでくる投石も、徐々にリヴァイ達の居る場所に当たりをつけ始めているのか、衝撃音が激しくなってくる。新兵達は戦意を消失し、迫り来る死に震え上がっていた。リヴァイも、この最悪な状況を覆せる方法など最早考えられなかった。しかし、少しでも未来に希望を残す為、ぼんやりと何かを考えるようにたたずんでいるエルヴィンに、決断を迫らなければならなかった。
「獣は、ここらに当たりをつけたみたいだな。此処もすぐに蜂の巣になる。…エルヴィン、反撃の手数がなにも残されてないってなら、敗走の準備をするぞ。あそこに伸びてるエレンを起こして来い。そのエレンにお前と何人かを乗せて逃げろ。少しでも生存者を残す」
どうやって、と問い返すように、エルヴィンはリヴァイを見つめた。その間にも、獣の巨人の投石は続いている。
「新兵とハンジ達の生き残りが馬で一斉に散らばり、帰路を目指すのはどうだ。それを囮にして、お前らを乗せたエレンが駆け抜ける」
「リヴァイ、お前はどうする」
「獣の巨人の相手だ。奴を引きつけて、」
「無理だ。近づくことすら出来ない」
エルヴィンは即座に否定した。リヴァイもそんなことは百も承知だったが、このまま黙って何もせずに瓦礫に押し潰されるわけにもいかなかった。今まで命を賭して戦ってきた同胞達に報いるためにも、生き残った者の責務として、最期の瞬間まで足掻き抜かなければならないからだ。
「だろうな、だが、お前とエレンが生きて帰れば…まだ望みはある。既に状況はそういう段階にあるとは思わないか?大敗北だ。正直言って、俺はもう誰も生きて帰れないとさえ思っている…」
リヴァイは自身の右手を見下ろした。
今まで死んだ同胞達の思いを背負い戦ってきたが、終わりの時が愈々巡ってきたのかもしれない。ウォール・マリア奪還すら叶えられず何も成し遂げられなかったとなれば、仲間達を落胆させ、あの世でも恨まれてしまうかもしれない。それでも、常に全力で戦ってきたことに、悔いは無かった。
覚悟を決めよう。そうリヴァイが見下ろしていた手を握り締めた時だった。「ああ」と、エルヴィンが息を吐く。
「反撃の手立てが、何もなければな」
その言葉に、リヴァイは一抹の希望を瞳に宿し、エルヴィンを見た。
「…あるのか?」
エルヴィンは小さく頷く。相変わらず、陰鬱とした表情を変えないまま。
「なぜそれをすぐに言わない!クソみてぇな面して黙ってる!?」
リヴァイは口早になってエルヴィンに問い詰める。
エルヴィンは視線を、恐怖に怯える新兵達に向け、重い口を開いた。
「この作戦が上手くいけば、お前は獣を仕留めることが出来るかもしれない。此処にいる新兵達と、ネスやシス、私の血を捧げれば…」
投石の衝撃音は、やがて壁からも轟くようになった。
壁面に直撃した岩が壁を抉って地に落ちると、激しい土埃が彼方此方で上がった。
エルヴィンは、泣き喚く新兵達から距離を取るように、徐に歩き出した。その後ろを、リヴァイは何も言わずについて行く。
「お前の言う通りだ。どのみち、我々は殆ど死ぬだろう。いや、全滅する可能性のほうがずっと高い。それならば玉砕覚悟で勝機に賭ける戦法もやむなしだ。その為には、あの若者たちに死んでくれと一流の詐欺師のように体裁のいい方便を並べなくてはならない。私が先頭を走らなければ、誰も続く者はいないだろう。そして私は真っ先に死ぬ。地下室に何があるのか、知ることもなくな……」
「……は?」
リヴァイは、自分の耳を疑った。
目の前の男から放たれた言葉とは、到底思えなかったからだ。
瞠目して見つめたエルヴィンの顔には、はっきりとした悲嘆が浮かんでいた。
「はぁ…」
エルヴィンは身を斬るような溜息を吐き、家屋の裏に置かれていた木箱の上に腰掛け、項垂れた。
「俺は、このまま地下室に行きたい。俺が今までやって来れたのも、いつかこんな日が来るかもしれないと思っていたからだ。いつか、答え合わせが出来る筈だと。…何度も、死んだ方がマシだと思った。それでも、父との夢が頭にチラつくんだ。そして今、手を伸ばせば届くところに答えがある。すぐそこにっ、あるんだ……!」
エルヴィンは持ち上げた左腕に額を押し当て、唸るように心中を吐露する。
人類の未来の為と、これまで戦ってきたエルヴィンが、地獄で気を狂わせずに今までやって来られたのには、縋るものがあったから。だとすれば巨人の存在が実は人だったと知らされた時、エルヴィンが浮かべた笑みの理由も、今になって理解することが出来た。
リヴァイはただ、じっと目の前の男を見下ろしていた。目的の為なら冷酷な命令も厭わず、絶死の壁外で兵士達を鼓舞してきた、調査兵団団長としてのエルヴィン・スミスではない。幼い頃に父と交わした約束と、罪の意識に囚われ続けてきた、哀れな男は、ゆっくりと俯けていた顔を上げた。
「…だがリヴァイ、見えるか?俺達の仲間が。仲間達は俺を見ている。捧げた心臓がどうなったか知りたいんだ。まだ、戦いは終わってないからだ………っ」
そう告げた途端、暗いエルヴィンの瞳に光が揺らいだのを、リヴァイは見逃さなかった。
エルヴィンは自分が口にした言葉に驚いたかのように、目を見開いて固まり、太腿の上に肘を立てていた左手を緩慢に、強く、握り締めた。
失意に熱を奪われ冷たくなった左腕が、人間の生きようとする本能に突き動かされるように、ハルの温もりを思い出す。
『どんなことがあっても、諦めないでください。あなたの夢も、その先に続いていく…未来も。何一つ手放さないで、諦めないで居てください』
私を、信じていてください。その言葉を残して飛び立って行ったハルの背中が、暗雲に覆われたエルヴィンの心に光を差す。
ハルは、自分の力が最善に活かされる場所に身を置くと言っていた。その場所とは、即ち知性を持つ巨人達と、調査兵団にとって一番の脅威となる獣の動きを封じることが出来る場所だ。そして今、ハルはまさに、その場所に身を置いている。
「…そうだ。まだ戦いは終わっていない…!」
エルヴィンがそう、口にした瞬間だった。
突然、獣の巨人のいる方角の空が、黄金色に光り輝いた。稲妻が轟くような衝撃は、無い。
「…空が、光った?」
兵士の一人が呆然と呟く。絶え間なく続いていた投石も止み、辺りに静寂が生まれた。
マルロとフロックは顔を見合わせると、近くの家屋の屋根に上がり、単眼鏡を取り出す。
土煙の中に浮かぶ獣の巨人のシルエットは、固まったまま微動だにせず、徐々に視界が晴れていくと、西側に並んでいた大型の巨人達が、一様に獣の巨人の居る方へ体を向け、平伏して動かなくなっていた。ハルだ。と、フロックは万感のこもった声で呟く。
「団長っ!!獣の巨人を含めて、全ての巨人が動かなくなっています!!」
マルロはエルヴィン達を見下ろし、興奮したように叫んだ。
「ハルがっ!力を使いましたっ!!」
その言葉に、怯え切っていた新兵達が希望を見出したように喚声を上げる。
「エルヴィン立てっ!!」
リヴァイも何か大きな力に突き動かされるように、呆けているエルヴィンの胸倉を掴んで立ち上がらせた。
「まだ終わってねぇ!!そんなクソみてぇな辛してる暇はねぇぞっ!早く指示を出せ!!」
エルヴィンは、蘇ってくる生気に瞼が開いていくのを感じた。閉じていたカーテンを、朝を迎えて開いた時のように、瞳孔が引き締まる。
「俺たちの翼はまだ折れてねぇぞ…!」
リヴァイの言葉に、エルヴィンは唇を噛み締めた。いつもの彼らしい力強い瞳が戻ってきたことを確認して、リヴァイは胸倉から離れる。
エルヴィンは新兵たちの元へと向かいながら、彼等の腹に響くような気焔で反撃の狼煙を叫ぶ。
「全員!馬に乗れ!!リヴァイ、お前は獣だ!ハルを奪還するぞっ!!」
我々が背負う黒白の翼を顕現し、運命に争う彼女が、己の命を燃やしながら底知れぬ闇の渓谷に橋を架け続ける限り––––勝利への希望は、決して消えることはないのだから……!
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