第六十二話
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新月の闇夜の中、巨大樹の森を徒歩で抜け兵士達を再び馬に騎乗させたエルヴィンは、青白く輝く細い月が現れた夜空を見上げながら、シガンシナ区へ向かって馬を走らせていた。
一刻程前に、大きな地鳴りと、一瞬東の空が金色に瞬いた。
それが一体何だったのか、今となっては四ヶ月前まで巨人において無知に等しかったエルヴィン達も、答えを見出すのは容易なことになっていた。巨人が、巨大樹の森を抜けた東側で発生したのだ。しかし、エルヴィン達が森を抜けた先で巨人と出会すことは無く…合流する予定であったハル達の姿も見当たらなかった。それがどうにも気がかりでならなかったが、巨人たちの動きが活発になる夜明けまでにシガンシナ区へ辿り着かなければならず、ハル達と合流できないまま出発することになってしまった。
薄らと明るくなったウォール・マリアの大地を、長距離索敵陣形を成して馬で駆けていると、「エルヴィン団長!」と切羽詰まった声で呼ばれ、エルヴィンは声がした方へと顔を向ける。
薄闇の中から必死な形相をしたトーマが、此方に向かって馬で駆けて来ていた。
「トーマか…!」
「良かったっ…!間に合いました!」
トーマはエルヴィンの馬に並走すると、荒立つ呼吸を整えようと息を大きく吸い込んで吐き出す。背中には、見たことの無い男の姿があった。彼は調査兵に支給される深緑色の外套を頭からかぶり、両腕が無く、トーマは右の脇腹に傷を負って応急処置を施されていた。エルヴィンはいろいろと聞こうとしたが、トーマが呼吸を整え終える前に、酷く焦燥しながら、今しがた駆けてきた東の方を指差して言った。
「っハル達が、東で複数の巨人と交戦しています!地面に巨人が…いえっ…!人が埋められていて獣の巨人が叫んだ瞬間に巨人化を!」
「地面、からっ…!?」
エルヴィンは瞠目する。その報告は、ラガコ村の人間が獣の巨人によって無垢の巨人にされたことを確信づけるものでもあったが、今はそのことよりもハル達の事が心配だった。
「どうしてお前達は東に居たんだ。それに、その男は一体…っ、ハル達は無事なのか?」
エルヴィンは平静を装ってはいたが、いつもより口が急いていた。トーマは背中に乗せている男のフードを掴んで脱がせる。ちょうどエレン達と同年代くらいの少年が、侮蔑と憤懣を剥き出しにした瞳を湛えて、エルヴィンを睨みつけていた。
「知性を持つ巨人二体と交戦しました。その最中に、東に誘導されてしまって…、恐らく事前に仕掛けられていた罠だったようです。コイツは、その知性を持つ巨人の一人で、ユミルの巨人の力を引き継いでいます。此方の人質にして、獣の巨人の牽制に利用しようとハルが拘束をしました」
「彼が…か」
エルヴィンの瞳が鋭くなる。胸の内側を覗き込むような視線に、ポルコは顔を顰めると、舌を打って視線を逸らした。
知性を持つ巨人二体を相手にした後であれば、幾ら予備の装備を積んでいたとはいえ、装備だけでなく体力の消耗も激しい筈。そのうえ、平地で大量の巨人に囲まれたとなれば、戦うのは得策とはいえない。しかし、トーマだけが戻ってきたということは、ハル達は戻らなかったのではなく、戻れなかったのだろう。
「馬が、必要なんだろう、トーマ。すぐにハル達の元へ予備の馬を連れて行け。他に必要な装備も持って行って構わない。彼のことは此方が引き継ぐ。必ず、ハル達をシガンシナ区まで連れて来るんだ!」
「了解です!」
トーマはエルヴィンの傍を走っていたネスにポルコを引き渡すと、早々に予備の馬を連れている中列の方へと駆けて行く。それにネスと並走していたシスが、エルヴィンの馬に近づいて異議を唱えた。
「エルヴィン団長!馬や装備を送るだけでは不十分です!ハル達に加勢を!!」
エルヴィンはシガンシナ区の方を真っ直ぐに見つめたまま、間も開けずに答えた。
「我々は進軍する」
「ど、どうしてですか!?巨大樹の森でならともかく、装備も不十分な状態で、平地で大量の巨人を相手にしているんですよ!?いくらハル達でもっ、死んでしまいますっ!」
「おい、シス!!」
ネスがシスを咎めると、シスは手綱を握った手に力を込め、口惜しげに奥歯を噛み締める。
エルヴィンは、ネスの背中に居るポルコを見つめながら、固い声で言った。
「ハル達が、何故彼を此方に寄越し、東に残って戦っているか……シス、お前にも分かる筈だ」
その言葉に、シスは息を呑んだ。
エルヴィンは、シスを一瞥すると、再び前を向く。目が合ったのは一瞬のことだったが、その瞳には葛藤が滲んでいた。何時も己が下した選択に迷いなど見せないエルヴィンの姿から、腸を捻じ切るような痛みを感じて、下唇を噛む。
「我々調査兵団はウォール・マリアを奪還することが最優先事項だ。それは、心臓を捧げ果たすべき任務であり、壁内人類の悲願。ハル達は未来を勝ち取る為に、必死で戦っている。我々が歩みを止めれば作戦成功は遠退き、ハル達が命懸けで戦っている意味も、これまで巨人と戦い命を落とした兵士達の意味も、全て無に帰すことになるんだぞ…!」
喉を締めるようなエルヴィンの言葉に、シスは鼻に皺を寄せるように、強く目蓋を閉じる。そんなシスの肩を、ネスが掴んだ。
「信じよう、シス。ハルはいつだって不可能を可能にしてきた。今回だって、ちゃんと戻ってくるさ!」
「…はい…!」
ハルは絶死の戦場を駆け、何時も仲間に希望を与えてきた。そして多くの仲間の命を救ってくれた。その中の一人であるシスはハルとトーマ達を信じようと心に決め、閉じていた瞼を開き、ネスに頷きを返す。それに、ネスも力強く頷き返した。
ゆっくりと、空が白んで夜が開けていく–––
消えゆく闇に取り残されて、悪夢から抜け出せずにいる巨人達の気配が、荒廃した世界に現れ始める。
そんな彼等を掻き分け漸くシガンシナ区へ辿り着いても、ハル達は………戻って、来なかった。
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